おっとどっこい生きている番外編その8~みどりのファーストキス~

「きゃはははは。きゃーははは」
 私と将人に手をひかれながら、隼人がはしゃいでいる。
 秋の気配が漂っている。秋の空気、秋の匂いもする。――秋野みどり。それが私の名。秋でも、緑の葉の木はある。うちでは常緑樹が茂っている。私も秋に生まれたかった。
「あっ、マーシャだ。手、離して」
「隼人ー、ハロー」
 隼人はマーシャとどこかへ行ってしまった。去る瞬間、隼人が私達にウィンクした。マーシャに会ったのも嬉しいんだろうけど――あれは私達に対して気を使ってくれたんだろうか……。
 隼人ってば、もう……。
 あの子は早熟ね。弟だからかもしれないけど。将人がちらちらこちらを見てる。私はとっておきの微笑みをしてあげた。将人が――可愛い。
「――公園に行こう。あのさ……」
「何?」
「俺が、その、変なのかもしれないけど……ずっと君とキスをすることを考えていた」
「――私もよ」
 いつぞや、私達はキスしようとしたことがある。……未遂に終わったけど。あれから、私も――暇さえあればずっと将人とキスすることを考えている。
「でも、それ以上はまだなしね」
「勿論」
 将人は幾分ほっとしたようだった。キスするのだって緊張するのに。――ほら、心臓がドキドキ言ってる。
 ここには誰もいない。将人は私の顎に手をかけた。
 唇と唇が触れ合う。軽いキス。でも、私はしびれたようになった。
「――みどり?」
「ああ、ごめん。将人――キスに酔っちゃって」
「あんなキスで? ――と言いたいところだけど、俺もなんだ。……君が愛しい」
 そして、私達がもう一度キスしようとすると――。
「あー、あのお兄ちゃん達キスしようとしてるー」
 近所の鼻たれ小僧が囃し立てる。野球帽かぶったのが二人いる。
「ほんとだー」
 この子達はそういうことに興味がある年齢に違いない。その……私も経験あるもの。硬派のみどりと言っても、人並みに恋愛に興味のある時期はあったのだ。例え今日がファーストキスだったにしても。
「行こうか」
「そうね――」
 将人と、キスしちゃった――。
 このことは、小説には書かないと思うけど。――日記にも、書かないと思うけど(兄貴に見つかって揉めたら嫌だものね)。
 でも、小説のネタにはするかもしれない。将人との思い出の為に。
 何でだろう。兄貴が女の人を抱いたと聞いた時は、あんなに怒り狂ったのに、今では、兄貴の気持ち、ちょっとわかる。そりゃ、キス以上は怖いし恥ずかしいけど――。
「将人、あのね、また、キスしてくれる?」
「いいとも。……でも、ここは人目があるから」
「うん。今でなくていいの」
「みどり――額ならいいかな」
「どうぞ」
 将人が周囲を見渡す。……額に柔らかい感触があった。
 将人の唇、いい匂いがしたな。清潔な匂い。――イメージと殆ど同じだった。
 昔、奈々花が将人に憧れていたの、わかる気がする。私だって――こんないい男が彼氏だなんて、今だって信じられないし。自慢の彼なのよ。ほんとに。
 将人の唇も柔らかかった――。
 感触がよみがえる様な気がして、私はぽぽぽと頬が上気した。
「家、来ない? みんな待ってるわよ」
「そうだなぁ……」
 将人は迷っているようだった。もしかして、自分が男性陣にはよく思われてないの、知ってた? でも、あれはみんながやっかんでいるのよ。将人があんまりにも優れているから。兄貴だって――。
「高部さんどうしてる?」
「元気よ。――今、張り切って家事覚えようとしてる。えみりが先生よ。それに、今は彼女、秋野姓よ。夫婦別姓も考えたけど、やっぱり『秋野』がいいって」
「そうだったね。じゃ、行こうかな。本当は赤ちゃんが生まれてから訪ねようかなと思ってたんだけど。――君のお兄さんと高部さんの子供だったら、きっと可愛いだろうな。今帰っても、うち、親いないし」
 将人には、牧村のことは話していない。例えあの男が本当の父親だったとしても――。
 ううん。由香里のお腹の子はうちの兄貴よ! そう思うことにしたの!
 牧村なんてろくでなしは置いといて――。
「将人が来ればえみりも由香里も喜ぶと思うわ。――由香里のお腹の赤ちゃんも」
「――行く前に連絡入れとかなくていいのかな」
「待って」
 私は携帯を取り出す。今は携帯とかみんな持ってるからかなぁ……。そういえば、兄貴がクリスマスプレゼントに新機種買ってくれるって言ってたっけ。いらない、と答えてんだけどなぁ……。
 以前は携帯を持ってないことが私の自慢だったけど――。
 携帯は確かに便利だし、ただの道具とみなして使えばいいんだし。使い過ぎないようには気をつけているし。
「家の人に電話する。――えみりとか、いるかな。由香里も」
 由香里は安定期に入ったのか、上機嫌でいることが多くなった。つわりも治まったらしいし。兄貴ともとても仲が良い。由香里は私の料理もぺろりと平らげてくれる。妊婦のご飯は二人分よね。やっぱり。つわりが酷かった時は流石に私も心配したけど。学校でも吐いてんだもの。
(駿はね、今から名前を考えてるの。親馬鹿でしょ?)
 由香里は笑いながら言った。――そういう男なんだ。兄貴は。今からベビー用の道具や服も揃えようとしているし。親戚も自分の子に使っていたベビー用品も譲ってくれる。
 ――それよりも、今は電話だ。
 呼び出し音がなると、ちょっとしてから由香里が出て来た。
「もしもし。秋野ですけど」
 ――ちょっと気取った声。
「もしもし、私も秋野なんですけど」
「何よぉ、みどり。――何か用?」
「今から将人と家帰るから。――アンタの他に人はいないの?」
「いないわ。――猫はいるけど」
 猫というのは飼い猫のフクのことである。
「秋野家の人達は皆で散歩に行っちゃった。しばらくしたら帰って来ると思う」
「あら、私達、公園にいたけど、兄貴達には会わなかったわよ」
「じゃあきっとすれ違ったのね。この辺は山もあるし――それにしても、アンタ、将人と二人で何してたの?」
 由香里が舌なめずりをしているのが伝わってくるように思う。由香里は恋の話が大好きなのだ。
「――切るわよ」
「……みどり。私に、『家に帰るから』って言う為に電話したの?」
「そうよ。だって、私達家族でしょ?」
 何気ない一言のつもりだった。けれど……沈黙の後に、受話器の向こうからすすり泣く声が聞こえた。
「由香里っ?! どうしたの?! どこか悪いの?!」
 もしかして、お腹の赤ちゃんに何かあって――? それとも、由香里が体が辛くって――?
「……私、嬉しいの。アンタに家族って言われて――」
「……そんなことで、泣いてたの?」
「うん。……私、家族と疎遠になってたでしょ? だから、ジローとも付き合ってた訳だし……」
「いい? 由香里。お腹の子は兄貴の子よ」
「……でも……」
「生まれて来る子にも、本当のことは内緒にしといて」
「うん……」
 ――私は電話を切った。
「秋野、あの……」
 将人! そうだ、将人がいたんだった。
「お腹の子、本当は駿さんの子ではないのかい?」
 あー、迂闊だ、私。将人は私の話で、事実を知ったんだわ。
 ――仕方ないから、私は将人に話すことにした。由香里のこと、兄貴のこと、赤ちゃんのこと――。かなり大雑把にだけど。
「偉いな、駿さん」
 話が終わってから、将人がぽつりと言った。私も偉いと思う。そりゃ、最初にのせたのは私だけど――。
 兄貴は由香里のことをすごく気にかけてる。周りの男性陣も。本当は由香里がやる仕事だった作業も代わってくれている。いい男達だな。――そうとも思う。
 兄貴はよく由香里にキスをする。周りの目なんか関係ない。だから――私も恋人とのキスに憧れてたって訳。――今日、それが無事に果たされた訳だけど。今の自分ははっきり言って嬉しい。月にまで行っちゃいたいくらい。
「ただいまー」
 由香里はコーヒーを淹れてくれていた。インスタントだけど。兄貴がコーヒー好きだから、いつか本格的なコーヒーを淹れてあげたい、そうも言っていた。兄貴なんかに気を遣うことないのに……。
 将人が由香里に頼んでお腹を触らせてもらった。わぁ、蹴った蹴った、なんて言って喜んでいる。きっと、あれは未来の私達の姿。――玄関が開く音がする。皆が帰って来た。

後書き
みどりと将人のキスはいつかどうにかしようと思ってました。
これは随分前に書いたものですが……。
楽しんでくださったなら嬉しいです。
2020.06.22


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