吾郎の秘密

「あー……雪の季節かー……」
「何かいいことないかねー。彼女とクリスマスとかさ」
「アホ! 何言ってんだ。戦争中だぞ」
「まーた、ピーターはお堅いんだから――ま、俺ら捕虜には関係のねぇ話か」
 俺の名はピーター・ベルクソン。――アメリカの二等兵だ。
 1944年。俺達は太平洋戦争の真っ最中だった。俺らは日本軍に捕らえられ、収容所に送られた。
 にっくきジャップ――と言われてもぴんと来ないんだけど。俺が変なのかなぁ。
 俺達がいたのは日本の捕虜収容所。俺達は捕虜ってわけだ。俺の機は撃墜されて落とされた。
 それにしても、こいつらののんきな顔見てると一発ぶん殴ってやりたくなる。
 次の所長がどんなヤツかもわからんのに――ヒトラーの小型版みたいなヤツだったら、どうするつもりよ。
「あ、そうそう。エリックのヤツが新所長の顔を見たって!」
「うぇっ?!」
 ジョンがコップの水を落とした。
「まだ若いそうだよ。学生に見えたって」
「学生かぁ……」
「俺ら、学生に支配されんの?」
「まぁまぁ、可愛い顔してたらいろいろ楽しめ――おっと」
「あ……あの……」
 眼鏡をかけた童顔の青年が姿を現した。何だ、この黄色いサル。可愛くないこともないが――ジョンの病気が移ったな。
「初めまして。僕、柊吾郎と言います。ここの新しい……所長です」
 ジョンがぴぃっと口笛を吹いた。俺達が黙ってにやにやしていると吾郎は、
「My name is……」
 と、英語で喋りだしたから、エリックが、
「俺達、日本語わかるもんねー」
 と笑った。つーか、廊下で俺達の話聞いてたんじゃん? めいっぱい日本語なんだけど。
 やべ。日本語が俺の第二の言語になりつつある。
 とにかく今は吾郎の話に戻る。どっと笑った俺達は、
「悪くないじゃん」
「宜しくねっ」
 と、口々に言った。だが――
「…………」
 俺は何も口にできなかった。
 自己紹介が一渡り済んだ後、吾郎は「では……」と言い置いてそのまま室を辞した。

「かわいいねぇ」
「けっ。あんなサル」
「利用はできそうじゃね?」
 俺は、ずいぶん腰の低いヤツだなと思った。
「ポーカーしようぜ。ポーカー。煙草賭けて」
 新所長が賭け煙草を禁止しなきゃいいが、と俺は思いながらも仲間に混じった。
「ピーター、今日はずいぶん負けてんじゃねぇか」
「えっ?」
 しっしっしっ、と仲間の一人、ポールが笑った。

「ピーター、ピーター・ベルクソンくん」
 何だよ。新所長か。
「ベルクソンくん、君、アンリという親戚はいないかい?」
 俺は目を見開いた。こいつの国では、敵国の書を持っているだけで警察に捕まるという話だ。
 それなのに――アンリ・ベルクソンを知っているとは。
 アンリ・ベルクソンはフランスの哲学者だ。俺は――この異国の地で同類に初めて出会った。
 尤も、今思えば、吾郎は所長としての権限を通り越している。越権行為だ。俺達は捕虜で吾郎は支配者。そんなこともわからないのか、という話なのだが――。
 アンリ・ベルクソンの名の前には、そんなこと無意味だ。
「えと……そろそろクリスマスだよね」
「日本じゃ祝わねぇだろ」
「ええと、多分……」
 多分、て何だろ。そっちから話題ふっといて、煮え切らないヤツだな。
「君達は……クリスマスは家族で過ごしたいよね」
 当たり前だ! このすっとこどっこい!
 俺はママンの焼いた七面鳥が恋しいよ! クランベリー・ソースをつけたパンを思いっきり食べたいよ!
 ああ、目の前のこいつにぶつけることができたら――!
 その瞬間、俺は重罪捕虜収容所に送られるんだ。ここではない。どこか別の。
 俺だって、せっかくここに慣れてきたのに――。
 俺が、何と言おうか考えていると――。
「あ、ごめん。悪いこと、聞いた?」
「――そうだな。俺には話し辛いことばかりだ」
 家族にも会えねぇしな。
 吾郎はしょんぼりしていた。俺は――何だか可哀想になった。
「そうだ! ここでクリスマス祝わね?!」
「クリスマス?!」
「そうだよ! クリスマス・パーティーだよ!」
「いいね! 僕も久々にパーティーに出たかったし。あのね、讃美歌歌わないかい?」
「讃美歌ぁ?」
 いいけどよ。日本って八百万の神とブッディストの国じゃなかったっけ?
「――僕、クリスチャンなんだよ。ここでは秘密にしてるけど」
 ――隠れキリシタンか!
 俺はガシッと吾郎の手を取った。
「讃美歌が歌えるだって?! 『もろびとこぞりて』歌えるか? 『荒野の果てに』歌えるか?」
 俺は――熱心なクリスチャンではない。でも、国を離れていると、そんなポピュラーな歌が無性に懐かしくなるんだ。
「いいよ」
 吾郎は頷いて、『あら野の果てに』を歌い出した。その美声に、俺は涙が出てきた。
「あ、ごめん……」
「いいんだ。もっと歌って!」
「讃美歌だ!」
「すげぇ、讃美歌だ」
 檻の中からぞろぞろとむさ苦しいヤツらが。こんなヤツらでも、子供の頃聴いた故郷の歌は懐かしいようだ。
 クリスマス――俺達は吾郎が何とかして手に入れたローストチキン(ルートは訊かなかった。このローストチキンの入手方法について日本兵の上の輩に俺達が訊かれた時に、知らぬ存ぜぬで通す為に)を堪能した。
 俺達は、仲間だった。吾郎は美味しい日本食もわけてくれた。俺達は、何だって、分かち合った。娯楽も、祈りも、将来の夢も――。

 そして、カタストロフ……。
 吾郎は肺病にかかった。
 俺らは治ると信じていた。祈っているヤツもいた。普段は神なんて信じそうもないヤツが。
「ごめんね。みんな。僕は今日、退所します」
 そう言って吾郎は頭を下げた。俺達は泣いた。桜が綺麗な季節だった。
 吾郎はでっかい日本人だった。小柄だけど、器の大きいヤツだった。
(子供がいるって言ってたな……)
 見せてくれた写真の中に、賢そうな黄色人種の子が。龍一郎と言うんだそうだ。
 俺は、運命は信じない質だが――龍一郎とはどこかで会える気がした。吾郎に感化されたのかもしれなかった。
 そして、戦争は終わり、俺はアメリカへ帰った。十数年後、古巣の日本に戻って来た時、俺は驚いた。
「吾郎――!」
 俺は思わずその青年を呼び止めた。それが柊龍一郎だったというわけだ。――吾郎はもう亡くなっていた。
「――はい?」
 その時、青年は首を傾げて応えた。
「もしかして――柊吾郎の親戚かい?」
「はい――柊龍一郎と言います。柊吾郎は父の名前です」
 俺はこう言った。
「良かったら――ニューヨークに来ないかい? 歓迎するよ」

後書き
龍一郎の父吾郎とその仲間達です。
吾郎さんもクリスチャン。血は争えませんね(笑)。
時代考証はいい加減だったりします(笑)。
2019.12.31

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