田園交響楽 10

(レオ――)
 カレンはレオを見つめていた。同士でも見るような心持ちで。親を亡くした子供の気持ちは同じような人にしかわからない。
 レオは花のかんばせをにこーっと笑みの形に崩した。
 レオが好きだ。例え恋ではなくとも。レオは美しい熱帯魚だ。世話をまめにしてやらないと死んでしまう。けれど、熱帯魚は水槽の中をひらひらと泳ぐだけ。人はその美しさを愛でる。
 リックがスープを飲み干した。カレンもスプーンを動かす手を早くした。早く食べないと冷めてしまう。
「このスープ美味しいわね。――香りがいいわ」
「ここの店のは何でも旨いんだ。さっきカレンを連れて行ったのは余所行きのレストランでね。この店は――特別な人しか案内しないんだ。――だけど、この店自体は誰でも入れるよ」
「ふぅん……」
 カレンは特に感動した訳でもなかった。カレンもリックにとって特別な存在であると認めたと言われているようなものなのに。口説かれているとは全く思わなかった。リックにはレオがいる。こんな美しい男が傍にいるのでは、恋愛どころではなかろう。
「カレン。明日――ギルバートさんに会いに来ないかい?」
 リックが言った。カレンもそれに否やはなかった。――というか、早く会いたくなって来た。
「レオも来るかい?」
「僕も行ったんじゃ、邪魔じゃないかな」
「ギルバートさんは今のところ元気だ。僕の働いている病院に来てくれたら、案内しよう」
 それに、ギルバートさんは一人にしない方がいいんだ。そう言ってリックはウィンクする。
 ――後でクロエにギルバートのところに行くかどうか訊いたら、私はやめておくわ、との返事が返って来た。

「あ、フェリア」
 病院にはリチャード・シンプソンとフェリア・ライラが来ていた。
「カレン!」
 フェリアが駆け寄って抱き着いた。――可愛い。もし、私が男だったら嫌な気はしないな、とカレンは思った。彼女には天性の愛らしさがある。
「リチャード・シンプソン様にフェリア・ライラ様、カレン・ボールドウィン様ですね。こちらです。――ギルバートさんはとてもお元気ですよ」
 受付の女性が言った。――リックは多忙で、レオは後から来る予定だと知らされた。リックったら、案内するって言ったのに――カレンは残念に思った。この病院にはリラックス出来るような音楽と匂いが漂っている。流石、高いだけのことはある。
「おお、愛しのマイ・ラヴァー!」
 カレンが来た時、体を起こしたギルバートは腕を広げた。
「ちょっと。カレンが恋人なら、あたしは何なの? ギルバートおじ様」
 フェリアが自分を指差す。
「お前さんは世界中の男の恋人さ。――そして、俺の愛娘だ」
「あら嬉しい」
 ――フェリアとギルバートは早速意気投合したみたいである。

「ふー、それにしても疲れたな」
 フェリアが帰った後、ギルバートは難儀そうに溜息を吐いた。リチャードはそのまま残っていた。
「それはフェリアさんに失礼じゃないですか?」
「フェリアに失礼なのはそっちだろう。――いや、いろいろ考えてな。……俺は、どうやら長くないらしい」
「そんな……ギルバートさん……」
 ギルバートの病気が治癒するようにとの願いを込めて――。
 カレンはギルバートの頬にキスをした。
「何だ。――唇にしてくれるんじゃないのか」
 ギルバートは残念そうに呟いた。
「唇へのキスは恋人に対するものだから――」
「わかったわかった。お前さん、結構固いな。俺でさえ手が出せなかった」
「早く元気になってくださいね」
「ああ。映画撮影も待っているしな」
「あの――ギルバートさん、他の役者さんに変えてもらった方がいいんじゃないかって、私、考えてたんだけど――」
「駄目だ!」
 ギルバートは咆哮した。
「あの役は俺がやる! 他の誰もやるのを許さん!」
「そうですか……それじゃ、ビル役はギルバート・マクベインだけにしかやらせないことにするわ。作者権限で」
 そう言ってから、カレンは小さく、「あ」と声を洩らした。
「どうしたね。カレン」
「この話は……一人で書いたものではないんです。あの、リックも……」
「結局リックはカレンの話に手を入れたのか。――仕方のない奴だ」
 リチャードが忌々しそうに言った。
「あ、でも……リックさんだけじゃなく、リチャードさんやクロエさんも脚本に注文を――」
「――そうか。そうだったな」
 リチャードが苦笑する。
 そう。この話は一人で出来たものではない。
 リチャード、ロザリー、クロエにリック……その他沢山の人間が関わって出来た脚本なのだ。
 それは、怒ったこともあった。今でもまだ、納得しきれないところもある。けれど、この物語は『生まれた』のだ。
 物語の源。カレンはその存在を信じている。それは、完璧な世界にしかないイデアだ。
 私達はしがない須臾の生を生きている。けれど、物語の力は信じたい。まだ、脚本家としてはひよっこもいいところだけど――。
 聖書だって物語なのだ。あの本はこれからも、何千何万という人の魂を救うだろう。
 そして――『田園交響楽』
 カレンの好みであるとは言い難いが、読んで良かったと思っている。
 ああ、ジェルトリュードも救われますように!
「ねぇ、リチャードさん、ギルバートさん……私は魂の救いの為に物語を書くわ」
 そして、幼き魂のジェルトリュード――カレンの中に住んだ女性の為に、書く。
 この心には、いろいろな魂が住んでいる。それは、生まれ出る日を待っている。どの登場人物も愛おしい。彼らが幸せになることを――願う。
 それが、自分の使命ならば――。
 私は、書いていないと駄目なのだ。例え、偽物、作り物の生であったとしても。いや、それだからこそ、ぬっと生々しく虚構が現実を切り裂く瞬間。それを捉えることが出来るだろうか。
 それを出来る作家になりたいと、カレンは、願う。
「済まなかったね。カレン。やはり、リックは私の息子だ。勝手なところなんかそっくりだ」
「まぁ……」
 カレンはくすっと笑った。その通りだと思ったからだ。
 けれど、リチャードとリックは、違う。当たり前だ。親子とはいえ、違う魂なのだから。
 似ているところはあったにしても――。
「さぁ、食事でもしたためてくるといい」
 ギルバートが言った。
「俺は他にやることがあるから――あの聖書を読む」
「聖書?!」
 ギルバート・マクベインに聖書だなんて! この無頼派にこんなに似つかわしくない本もないだろう。
「そこにあるだろう」
「ほんとだ……気づかなかった」
 リチャードが呆然と呟く。
「前に知り合いにもらったんだ――その人はクリスチャンでね。早死にしたけれど、俺は形見としてもらっておいた。――というか、何も言わずに俺の為に置いてってくれたんだな。俺は正直馬鹿にしてたけれど――」
 ギルバートは茶色がかった、白髪の多くなった髪を掻き上げる。
「けれど、命に終わりがあると思うと、無性にこんなのが読みたくなってね」
「それはいいけど――撮影までに体調を整えることは出来ますか?」
 カレンが訊いた。
「あたぼうよ」
 ギルバートはにやっとした。そうすると、映画界で西部の男を演じていた頃の粗野な顔が浮かんでくる。
「がんと戦って、映画界に新たな足跡を刻む人生――悪くないと思うぜ」
「ギルバートさん……」
 もし、ギルバートが途中で命を落としたらどうするか。それは時間との戦いであった。カレンは、ギルバートが勝ってくれることを祈る。
 ギルバートが死んでも、代役は探さない。
『かつてのスターに花束を』――映画のタイトルだが、それはそのまま、ギルバートへの墓碑銘である。
(今日もギルバートさんに会えて良かった――)
 そして、彼に会わせてくれたリックに感謝をした。いつか、リックとレオの為にも脚本を書きたいと思う。世話になったクロエの為にも。それが、カレンに出来る魂鎮め。カレンの方が先に亡くなるかもしれないが、そうなったらそうなったで、あの世でもまだ書いていることだろう。
 世界に終わりはない。例え、形が変わっても、存在はそこに居続ける。そしてまた、物語にも終わりはない。――人生そのものが物語になるのなら。
後書き
ここまで読んでくださってありがとうございます。
私も物語の永遠性を信じています。自分が限りある存在だと思うから特に。
それにしても、ギルバートさんも聖書読むようになったんですねぇ(しみじみ)。 2021.12.27

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