アルバートの殺人

 1934年、コネチカット州のとある森――。
 スチュアート・シンプソンとその妻ナタリー、二人の一粒種リチャードは休暇を利用して別荘に遊びに来ていた。
「はぁ……寒い」
 リチャードは白い息を吐いた。この森には雪が積もっている。綺麗な雪だ。リチャードはコネチカットの雪が大好きであった。
 でも――今日はパパもママもいない。仕事に行っているのだ。何の仕事かは幼いリチャードにはわからない。
(さびしいなぁ……)
 ――リチャードは視線を感じた。振り向くと、そこにはすごく綺麗な子が立っていた。
 肩まで伸びた銀色の髪、金色の瞳。少年か少女か、一目ではわからない中性的な顔立ち。
(なんて……きれいなんだろう……)
 リチャードは近付いて行った。相手は突っ立ったままだ。この子と友達になりたい、とリチャードは思った。
「君、名前は?」
「……アルバート」
 綺麗なアルトの声であった。男の子か――ちょっとがっかりしたが、それでもその事実はアルバートの美しさを損なわないでいた。
「僕、リチャード。リチャード・シンプソン。宜しくね」
 リチャードが笑うと、アルバートも笑った。花のかんばせだ。リチャードは先生に教わったことを思い出していた。
「いくつ?」
「――十歳」
「僕も十歳だよ。ねぇ、雪投げして遊ぼうよ」
「うん!」
 アルバートが頷いた。これが、リチャードの生涯の友でもあり、敵でもあったアルバート・オブライエンとの出会いである。

「アルバートはどこから来たの?」
 或る日、リチャードが訊いた。シンプソン家の別荘の近くに川が流れている。アルバートは、
「どこでもいいだろ……」
 と答えた。リチャードは知りたかったが、アルバートが答えたくないようなのを見てとって黙っていた。かえって、謎めいたところが好きになった。
 アルバートは水切り石を投げた。石が川面を跳ねて行く。アルバートの水切りはリチャードよりも上手かった。
 何につけ、アルバートはリチャードよりも優れていた。遊びも、読んでいる本も。そんなアルバートをリチャードは尊敬していた。
「今日はパパとママに紹介してあげるよ」
「興味ないし……」
「ほらほら、いいから」
 リチャードはアルバートを引っ張って行った。パパとママを自慢してやりたかったのだ。
 金髪に眼鏡のスチュアート・シンプソン。銀行の仕事をしている。これがリチャードのパパ。
 同じく金髪に青い目のナタリー・シンプソン。とても美しいリチャードの自慢のママだ。
 アルバートは最初は渋い顔をしていたが、徐々にリチャードの両親にも打ち解けてきた。
「いやぁ、この間は急に接待が入ってきて参ったよ――その日に、リチャードはアルバートくんと出会ったんだよな」
「うん」
「アルバートくん……リチャードと仲良くしてやってくれ。リチャードもアルバートくんに親切にしてやるんだぞ。それが友達なんだからな」
「友達……」
「僕、リチャードくんのいい友達になります。リチャードくんは僕が守ってあげます」
 アルバート、普段は自分のことを『俺』と言っているくせに、今日は『僕』と言っている。それに――そうだ。リチャードを守るって……。
「僕も、アルバートを守るよ!」
 リチャードはつい力説してしまった。そう宣言しないと、アルバートに負けたような気がして――。
「よぉーし。これからは二人とも友達だな」
 スチュアートがリチャードとアルバートの手を取って握手させる。アルバートは何故かそっぽを向いた。だが、リチャードは「これがアルなんだから」と悪い気はしなかった。

 アルバートもリチャードも手探りしながらお互い仲良くなって行った。そして――1939年12月31日。この日は彼らにとって運命の一日となった。
 アルバートはリチャードの別荘の近くに遊びに来ていた。
(やっとここまで辿り着いた――)
 アルバートは孤児院から脱走してきたのだ。お金がなくなると客を取った。もう、自分の容姿が大人達の劣情をかきたてるのは知っていた。アルバートは、その年で既に最高級の娼婦――少年だが――だった。こんな美しい子が一晩でも安く手に入るとなると、大人達は喜んだ。
 リチャードは知らない。男達の欲求も、欲望も。セックスという言葉の意味すら知らないんじゃないかと思う。金髪で青い目の天使。彼は汚れを知らない。でも、そんなことは関係ない。アルバートと同じ境遇に立たされたら、リチャードは嫌でも味わう――性の汚さ、そして聖さを。
(リチャード、俺が守ってやるからな)
 に、しても、リチャードは来ない。何かあったんだろうか。いやいや。すぐ心配をするのは俺の悪いくせだ。
 遊びに行ったらどうだろうか。リチャードの家に。迷うことはない。あの子は友達なんだから。友達の家に行くのは、別段不自然なことではない。
 けれど――俺の正体を知ったら、リチャードは離れて行くのではないだろうか。リチャードは離れたくなくても、彼の両親が俺を遠ざけるのではあるまいか。
 ままよ――。
 アルバートはリチャードの家に向かって行った。
 彼は知らなかった。ここの近所で強盗事件があったことを。

 二発の銃弾が、人の運命を変えることがある。
 ――銃声が聞こえてきた時、アルバートは嫌な予感がした。リチャードが遠くへ行ってしまいそうで。
 別荘の裏口が微かに開いていた。アルバートは気配を殺して近付いた。――誰かいる。それはアルバートなりの野性の勘だ。アルバートは扉から滑り込んだ。
 それは――よく知った、欲望を湛えた男の気配だ。スチュアートでもナタリーでもリチャードのでもない。アルバートは台所に移動する。
「それにしても、人間てのはか弱いなぁ」
 大人の男が椅子に座っておだを上げていた。そして、ぐっとボトルから酒を呷っていた。
「こんなちゃちなピストルで死んじまうんだからよぉ。この家があって良かったぜ。ま、こいつらには気の毒だけどな」
 そう言って、男は既に空になった酒瓶を蹴る。それはスチュアートの頭にぶつかって止まった。スチュアートはもう何も言わない。死んでいるみたいだ。ナタリーも既にこの男によって死亡させられているのだろう。リチャードはいないようだが、彼も殺されているのだろうか。
 アルバートの頭に血が上った。
 彼は音を立てないように包丁を取り出し――男の後ろに回って力の限り思い切り首を刺した。背中も――。何度かなんて覚えていない。多分、何度も。男は血を吐きながら絶命した。
 アルバートは項垂れながら泣いた。
 リチャード、ごめん……おまえのこと、守れなかったよ……。

 リチャードは屋根裏部屋で目を覚ました。屋根裏部屋は寒いけど、リチャードにはそれが心地よかった。
 二発の銃声が聞こえたような気がする。どうしたのかな。何が起こったのかな。まだ夢の中なのかな。――リチャードはしばらく微睡んでいたが、ようやく眠い目を擦る。
 今日もアルバートを招いてママの手作りの料理を食べてもらおう。だって、もうすぐアルとはお別れなのだから――。僕達家族は帰らなければならないのだから。
 リチャードはとんとんと階段を降りた。二階の廊下に着くと――。床に転がっている両親と、うつぶせになった血だらけの男、そして、小さなアルバートの姿がパノラマのように目の前に映し出され――。
「アル……?」
 アルバートがこちらを見た。
「リチャード……」
 アルバートが泣いている。
「どうしたの? ねぇ、これは――」
 リチャードは急いで階下に降りてアルバートの元へ行こうとする。アルバートは何も言わずに走り出した。裏口のドアから飛び出して――。
「アル、アルー!」
 外は吹雪いていた。きっと急に吹雪いてきたのだろう。リチャードは声を限りに叫んだ。アルバートは吹雪の中に消えた。
 リチャードは裏口の戸を閉めると、両親や見知らぬ男の死体をつぶさに見つめ、男の傍に落ちていた包丁を洗って指紋を拭き取って片づけた。――そして、張りつめた緊張の糸が切れたリチャードは意識を失った。

「彼がリチャード・シンプソン君ですか」
「ええ。この施設に来てから、あの子は一言も喋りません」
「全緘黙症ってヤツだな」
「ええ――」
 施設の職員達が話し合っている。リチャードのいる部屋のドアが開く。リチャードは俯いたままじっとしていた。
「可哀想だ。見てられないよ。あの子――」
「あの子がニックを刺したのかい? ニックは確かシンプソン夫妻を殺したのだったね」
「――だと思います。銃弾がニックの物でした。ニックは――リチャードが殺したのではない、という見方が強いですね。大体、あんな非力な子供が、大人を殺せるわけないですよ」
 リチャードは聞いているのかいないのか微動だにしない。
「リチャードくん……」
 生きているのか死んでいるのかわからないリチャードに向かって、職員は言う。
「あの時――ご両親とニックと君の他に、誰かいたかね?」
 リチャードの肩がぴくりと動いたのは気のせいだったろうか。彼は何か知っている――それは職員の勘だった。
 ニックが背中を刺されているのも気になることのひとつだった。それも、何度も。けれど、直接の死因は急所への一突き。ニックは不意を突かれて殺されたのだろう、怨恨の可能性も捨てきれない、捜査陣は侃々諤々議論を戦わせているようだった。だが、リチャードは何も喋らない。ニックが死んだ今、唯一の証人だというのに。
 リチャードは自分の声を殺し、アルバートのことを言わなかった。リチャードはアルバートを守ったのだ。それがリチャードの、友に対する守り方であり、また愛し方でもあった。

後書き
ここが、いすかのはしの大事な部分です。
もう、この話がなかったらもう『いすかのはし』ではないといった具合にね。
この話を書く為にこのシリーズを始めました。でも、まだまだこのシリーズは始まったばかりです。
2020.01.14

BACK/HOME