アジアンハート 8

 日本――。
 みゃあみゃあとうみねこが飛ぶ。
「この潮臭さ。久しぶりだな」
「――僕の仕事邪魔しておいてさり気なく僕の国の悪口言わないでください」
「まぁまぁ、あなた。リチャードさんだって無意識で言ってるんだから」
「むっ。――アイリーンがそう言うんなら」
 リチャード・シンプソンは柊龍一郎とその妻アイリーンと一緒に船で海を渡っている。
「どうしても会いたい男がいてな――」
「人探しですね」
「ああ。ケヴィンによれば、ついこの間有力な情報を聞いたとか」
「流石。噂には聡いですね。ケヴィンさんも」
「そうだな」
 リチャードはケヴィン・アトゥングルに心の中で感謝をした。
「大澤遥に羽田礼紀――ですか。大澤君とは話したことありますけど、羽田君とは初対面ですね」
「遥と礼紀は日本にいるとケヴィンに聞いたからな」
「このお二人とはどういう関係なんですか?」
「――友達だ」
 今、間が空いた。
「リョウも来れば良かったのに。風が気持ちいいわ」
 アイリーンは年齢に似合わぬ黒髪を潮風に靡かせた。
「今年は卒業試験に何としても合格したいと言ってたからな。勉強でもしてるんだろう」
 龍一郎はにこにこしながら答えた。
 龍一郎とアイリーンはおしどり夫婦として有名である。この二人を見て育ったリョウはどう思っていたことだろう。幸せな環境にいると思えるが、幸せ過ぎる為、どこか欠落しているところが、リョウにはある。あまり親友と従妹の息子を悪く言いたくはないのだが。
 カレンかアリスか――手紙ではジェニーと言う女子にも言い寄られているらしい。
 リチャードとリョウは遠い親戚で、一応血が繋がっている。リョウも自分に似たのだろうと、リチャードは独り言つ。
 実の息子リックが死んだ今、リョウが息子代わりになっていた。
「リョウが電話で泣きついて来ましたよ。『最近リチャードさんがうるさい』って」
 龍一郎が仕方なさそうに呟く。龍一郎の家族は皆仲がいい。今はもうこの世にはいないが、リチャードの両親も自分に良くしてくれた。
「でも……父親として相談相手になれるということは嬉しいでしょう?」
「まぁね。――で、大澤君達に会ったら、伝言を届けなければね」
「ええ」
 船はゆったりと進んで行く。後少しで目的地に着く。

「あー、リチャードさんに龍一郎さん! アイリーンさんもいるんですね!」
「こんにちは。初めまして」
 大澤遥はアイリーンを見て赤くなった。
「え、えと……リョウから話は聞いてます。本当に美人なんですね。リョウが自慢してたのもわかるっす。肖像画、見せてもらいましたから」
「あれはカレンだろう」
「ええ。でも――アイリーンさんも混ざってると言うか、何と言うか……」
「アイリーンはラテンの血も引いている。――その特徴があの絵には現れている」
「そうそう。それ、言いたかったの! さっすがリチャードさん!」
「ここには大澤君だけ? 羽田君はいないの?」
「あ、礼紀もいます。――俺のことは遥と呼んでください」
「わかったわ。遥君」
 アイリーンが頷いた。
「おーい、礼紀ー!」
「何だよー」
 礼紀がざざっと崖を滑り下りる。上半身が日に焼けて逞しくなったようだ。
「おー、しばらく見ないうちに男らしくなったじゃないか、礼紀!」
「リチャードさんもお元気そうで!」
 礼紀とリチャードはハイタッチした。
「そこにいるのは?」
「僕は柊龍一郎です」
「ああ、ご高名はかねがね伺っております」
「私はアイリーン・柊です。龍一郎の妻です」
「これはこれは。カレン・ボールドウィンに負けず劣らず美人じゃありませんか。さ、どうぞ。こちらへ」
 礼紀が三人をとある家に案内する。
「僕の祖母が住んでいる家です。後、大叔母と叔父が住んでます」
「じゃ、およばれに上がるとしますか。礼紀。私は日本の礼儀作法には詳しくない。粗相のないように気を付けるが、何か失敗したら言ってくれ」
「わかりました。リチャードさん。……遥なんて粗相だらけですからね。楽にしててください」
「聞こえたぞ。礼紀」
 遥が姿を現した。
「何だ。いたのかよ。遥」
「いたのかよじゃねーよ。この家に招待したのはお前じゃねぇか」
「違いない」
 二人は笑いながら家に入って行く。
「何でしょうね。あれ」
 龍一郎が呆気に取られている。
「いい子達じゃない。さすがリョウの友達だわ」
「そうだね。リョウには昔からいい子の役割を演じさせてたからね。ああ言う風に遥君達とはしゃぎ回っていたのかと思うと目頭が熱くなるよ」
 そう言って龍一郎は目元を拭う。
「おっと……そんな場合じゃなかったね。お邪魔します」
 アイリーンとリチャードも揃って「お邪魔します」と唱和した。
「祖母達は今外出してますので」
「――いい家じゃないか」
「古いだけです」
「俺もこんな家に住みたいなぁ」
 遥が言うと、
「お前がいるとエンゲル係数がやばいからなぁ。ま、いてくれてもいいけど」
 と、礼紀が笑いながら答える。
「でも、遥は風だしなぁ……」
 リチャードは息子リックの葬式の時の台詞を忘れてはいなかった。
「そう。俺は風。自由が恋人。でも、もうしばらくここに留まっていてもいいかなぁ」
「祖母達は歓迎すると思うよ。――俺もね」
 遥と礼紀は抱き締め合った。
「ほら。リチャードさんも」
「あ、ああ……」
 そういえばこいつらとハグしたことはなかったな――と思い、リチャードは遥と礼紀を力一杯抱き締めてやる。龍一郎とアイリーンも同様にした。
「ふふ、アイリーンさん、やはりグラマーっすね!」
「このスケベ! すみませんね。遥はこういう奴ですから」
 礼紀の謝罪にアイリーンと龍一郎は苦笑いするしかなかった。
「あ、そうだ。これ」
 リチャードはトロールビーズアジアンハートを取り出した。
「これを遥に返そうと思ってね」
「別にいいすよ。そんな……」
 遥は頭を掻いている。
「私にはもうこれはいらないんだ。アジアンハートは既にここにあるから」
 リチャードは胸元を指差した。
「じゃあ、リックさんの墓前に捧げてください」
 そうしよう――と、リチャードは決めた。目の前には青い海が広がっている。ロサンゼルスやニューヨークに比べれば地味な眺めだが、ここにもアジアの心の原点があるとリチャードは感じた。

後書き
遥くんは別のオリジナル話にも登場します。
トロールビーズアジアンハートをネットで見つけた時、「使える!」と思いました。
いすかのはしは高校の頃思いついて、今もまだアイディアを練っている最中です。
嗚呼、あの当時に今の筆力があれば……。
2020.06.07


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