Ranzo!

 俺はいつも、ちぃの後ろ姿を見ていた。
 俺はちぃ――岡村千春が大好きだった。

「どうしたの? アンタ」
 ある日、ちぃに俺は声をかけられた。冬の寒い日だった。
「――君を見てた」
「あたしを」
 俺は頷いた。
「ふぅん。でも、アンタも見られてるわよ。アンタ目立つもんね。長髪だし美形だし。確か華流院乱造だっけ?」
 俺はちぃが俺のことを知っていたことに驚いた。しかし、俺に対する形容にはぴんと来なかった。
 まぁ、多少他人より整った顔立ちはしてるかもしれないが……。
 ちぃは素早く手袋でうさぎをこしらえる。
「どうしたの? 元気出して」
「それ、何?」
「ああ。手袋うさぎよ。これで人形遊びを友達としてるの。――あたし、ピーチ。宜しくね」
「よ……宜しく」
 俺はちぃを前にしてどう言ったらいいかわからなかった。
「手袋うさぎの作り方、わかる?」
「い……いや」
「こうよ」
 そう言って、ちぃは手袋の段階からうさぎのぬいぐるみを作り出した。手袋を二枚重ねてつけて、上の方の手袋を半分めくって、そこから親指と小指の部分を出す。夏は薬指を折り曲げるだけだから楽なんだそうである。
 俺は、ちぃとの手袋うさぎの話に夢中になった。
 これが――俺と手袋うさぎの出会いだった。
 俺は、ちぃやちぃの友達の仲間に入れてもらった。同じ通学路の連中である。俺ははかばかしい返事をしなかったが、それでも快く接してくれた。
 けれど、彼らと俺とは二学年違う。俺は小児結核で一年遅れているのだ。
 卒業式の日――。
「あたし、手袋うさぎから卒業しようと思うの」
 と、ちぃが言った。
「な……何で!」
「あたしももう中学生だからねぇ」
 ずきん、と胸に痛みが走った。
 俺は、後二年しないと小学校を卒業できない。
 せめて、病気にならなかったら、後一年で同じ学校に行けるのに!
 俺は駆け出した。
「あっ、乱造――!」
 ちぃの声も聞かず、俺は走っていた。
 手袋うさぎ――いや、ちぃは俺の全てだ。
 俺は泣いていた。爆風スランプの『大きな玉ねぎの下で』がBGMとしてかかっていた。
 誰だ、こんな曲かけたのは。――今の俺の心情を歌っているようだ。
 いいさ。ちぃはもう俺と同じステージには立たない。
(あたしね――手袋うさぎに元気をもらってるんだ、いつも、いつも――)
 俺もだよ、ちぃ。
 不意に、手袋うさぎで作品を描きたい衝動がつき上げて来た。
 俺はよく、イラストやらマンガやら描いていたのだが(だから、同じクラスの奴に絵を頼まれることもある)、こんなにのって描けたのは初めてだった。
 ちぃは俺に新たな世界の扉を開けてくれた。
 主人公はピーチといううさぎ。俺は所属していたイラストクラブでよく見かける西澤明をモデルにキャラクターデザインをした。
 西澤は俺のことを悪く言うが、俺はあいつのことは嫌いではなかった。何でだろう……どこかちぃに似ていたからだろうか。
 それとも、正直だったからか。
 あいつだけだ。俺の本性をずばり見抜いたのは。
 だから、俺はあいつがどんなことを言おうとも、自分の作業に没頭できた。あいつの言うことは本当なのだから。
 あいつも、俺の作品に関してだけはあまりケチをつけなかった。
 それでも、俺が好きだったのはちぃだ。ちぃがいたから、俺は、一生モンの素材に出会えたのだ。手袋うさぎという、素材を。
(そういえば、同人誌即売会を知ったのも、ちぃがきっかけだったっけ)
「乱造、ちょっと手伝ってくれない?」
 そう頼むちぃの言うままに、俺は同人界に足を踏み入れた。
 正直言って、やおいだのBLだのという世界はよくわからない。男同士の絡み見た時、これは駄目だ、受け付けない、と思ったし。
 しかし、俺の手袋うさぎの作品を知ってもらうにはいい機会だった。
 俺が初めて自分で描いて作った本を売った時――いきなり完売になった。
 嬉しかった。手袋うさぎを好きになってくれる人がたくさんいて。俺は、自分のマンガのことよりも、手袋うさぎが受け入れられたことの喜びの方が大きかった。
 ちぃは言った。
「乱造ってば、才能あるんじゃないの? プロになったら?」
 ――俺はプロの漫画家になることを決意した。
 しかし、そうそう金が続くわけではない。俺にとって高校は遠い道だった。同い年の奴らとは僅か一学年の差なのに。俺は勉強を怠ったことはなかった。
 俺は職員室に呼ばれたことがある。
 何か失敗をやらかしたのだろうか――どきどきしながら職員室に行くと、教頭先生が照れたように、
「ああ、華流院くん。ここに馬の絵を描いてくれないか」
 俺は即興で描いてやった。先生はしみじみと眺めながら、
「上手だねぇ……まるでプロみたいだ」
 と感嘆したように言った。
 俺は……嬉しさ半分、こそばゆさが半分だった。
 こんなこともあった。
 俺がコンビニで原稿をコピーしていると(オフセは金がかかるからやらない)、小二か三ぐらいの子供達が俺の周りに集まって、
「うめぇー!」
 だの、
「すげぇー!」
 だのと叫んでいた。挙句の果てには、
「お母さん! このお兄ちゃん、絵上手だよ!」
 と母親まで引っ張り出す始末。俺はどうにも居心地が悪かった。
「あら、本当ね」
「大したものじゃないか」
「君、中学生?」
 と、ギャラリーが集まり始めた。
「お兄ちゃん。一枚ちょうだいな」
 ピーチにそっくりな可愛い女の子が頼んできた。
 スケブみたいな感覚で俺はその子にピーチのアップのイラストのコピーを渡した。
「ありがとう、お兄ちゃん! 大切にするね!」
 女の子は大喜びで母親の元へ帰って行った。
「あー、いいな、いいな。俺も欲しい」
「俺も俺も」
「あー……」
 俺が困っていると――。
「君、華流院乱造だよね」
 俺は頷いた。俺は本名で漫画を描いている。かなり珍しいそうだが。――声をかけたのはコンビニのバイト店員だった。
「オレもファンなんだ。イベントはよく行くからね。良かったら後で一枚描いてくれない?」
 妙なことになったと思いながら、俺は諾った。
「さぁ、ほら、みんな。並んで並んで」
 コピー機にはずらりと行列ができた。俺にはコピーする時間ももどかしかった。これはまるで――。
 そうだ。これではまるで、同人誌即売会ではないか。
「ありがとう。これ、代金」
「いいえ、受け取れません」
 俺は慌てて言った。
「とっときなよ。本出すのにも金がいるだろ」
 さっきの店員は俺に耳打ちした。
 ちょっと騒ぎにしてしまって申し訳なかったな、と思った。
 それから、俺はなるべく深夜にコピーすることにした。コピーセンターに行くという道もあるにはあったが、その頃の俺はよく知らなかった。
 ちぃにそのことを話すと(ちぃは気が置けない、唯一の友達である)、
「やるじゃん! 乱造! 伝説の第一歩だね!」
 と我が事のように喜んでくれた。
 俺には果たしてああいうのが伝説なのかいまいちわからなかったのだが。神様が小児結核になった俺のことを少しだけでも憐れんでくれたのだろうか――。
 だったら、世の中捨てたもんじゃない。
 ありがとう、ちぃ。
 そして、俺には、ちぃの他に気になる女子ができた。恋とかそういうんではない……はずだ。だが、同類の匂いがした。
 その子の名は水無月美都。前述の西澤明の友達である。

 俺はずっとちぃの背中を見ていた。
 けれど、ちぃにはちぃの世界がある。そのうち彼氏だってできるかもしれない。それはそれで構わない。
 俺にもまた、新たな世界が拓けて来る。
 ああ、でも俺はちぃに感謝したい。手袋うさぎを通して世界への扉を開くきっかけを作ってくれたのは紛れもなく彼女なのだから。

後書き
風魔の杏里さんが、「乱造の話も書いてみたら?」というので書きました。
かなりノって書いたなぁ……。
これを読んで下さった全ての方々に、ありがとうございます。
2012.11.18

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