見ちゃった

「こんにちはー」
 私がいつも通り野球部の部室のドアを開けると――
「よぉ」
 阿部君がいた。しかも、普段着を脱いでアンダーシャツに着替えているところだった。
「す……すみません!」
 私は急いでドアを閉めて退散した。
 見ちゃった、阿部君のヌード……上半身だけだけど。
 私がドキドキしながら座り込んだ。足に力が入らないのだ。
 阿部君……。
 まだ、心臓のドキドキが収まらない。頬が熱い。
 早く行かなきゃ、グラウンドに行かなきゃ。いつも通りマネージャーの仕事に熱中していればこんなことは忘れるはず。
 でも……立ち上がれない。
 この心を知られるわけにはいかない。野球部のみんなにも。
 それなのに……それなのに……。
 私はなんでこんなに阿部君が好きなんだろう……。
 阿部君の体、逞しそうだったな……。
 上半身ヌードを見ても、例えば水谷くんや三橋君のを見てもそんなに気にはならなかったと思う。
 でも、これは……この感情は、内緒、内緒。
 田島君は……彼はいつも裸見せてるもんなぁ……それをいつも花井君がたしなめたりして。
「しのーか」
 着替えを終わって部室のドアを開けた阿部君が声をかけてきた。
 しのーかと言うのは私の名前。私の本名、篠岡千代。
「大丈夫か? 具合でも悪いのか」
「う、ううん……」
 阿部君が心配してくれると思うだけで――こんなにも嬉しい。
 こんな私はきっとマネージャー失格だと思うけど。
「あ、あの……平気。ちょっと座っていれば治るから」
 いつもの演技も今日はできない。
「そうか……無理すんなよ。一緒に行くか?」
「う……ううんっ!!」
 一緒に行ったらきっと平静でいられなくなるから。
「後で行くね」
「そっか……」
 阿部君は憂い顔だ。
 ああ、こんな表情阿部君にさせて悪いな。
「じゃ、俺、先行ってるわ。モモカンにも言っておくか?」
「いいよ……大したことじゃないんだし」
 ほんとは大したことなんだけど。私にとっては。
 阿部君の姿が消えると私はほっとした。
 なんで恋をするとこんな気持ちになるの?
 しかも、阿部君の裸見ちゃって……阿部君は平気なのかな。私に見られて。何とも思わないかな。
 まぁ、男子だからそんなに気にしないのかもしれないけど――。
 阿部君、筋肉質だったな。腹筋なんかも割れてて……。
 やだ。何考えてんだろ。私ったら。
 でも……好きな人の裸はどうしても気になっちゃうんだよね……。
 ああ、なんて邪になっちゃったんだろう。
 行かなきゃ……みんなが来る……。
 でも、行かなきゃと思うけど体が動かない……。
「あれー。しのーか、まだいたのー?」
 田島君だ。明るく声が弾んでいる。田島君はいつも元気だ。
「どしたの? いつもだったらグラウンドにいる時間じゃん」
「ちょっとね……」
「ふぅん……」
 田島君は何か言いたそうな顔をしたが、通り越して部室に入って行った。
「元気出せよ」
 ――との言葉を残して。
 田島君の気遣いはありがたい。でもね……阿部君に心配された時の方が嬉しかったんだ。
 それって、思っちゃいけないことだよね。
「しのーかー」
 笑顔で水谷君がやってくる。水谷君はちょっと頼りないところがあるけど、優しい。周りはちゃら男だっていうけど意外と硬派なところもある。
「水谷君」
「なにー? こんなとこにしゃがみこんで」
「――何でもない」
「しのーか、あのね……」
「おーい」
 田島君が出て来る。着替えるの早いんだよね。田島君は。
「邪魔が入った。じゃ、後で」
 そして水谷君は部室に消える。
「なんだよ、水谷のヤツ。邪魔って……」
 田島君が不満そうにぶうぶう言う。
「おい、しのーか。女子マネはみんなのアイドルなんだぜ! しかも、しのーかぐらい可愛かったら。だから――」
 田島君は一拍置いた。そして続けた。
「何があっても笑顔でいなきゃいけないんだぜ!」
 そう言って田島君はいつもの笑顔を見せた。私はそれを彼の励ましととらえた。
「そうだね……」
 しっかりしなきゃ。男の子の裸見るのだって、こんなハプニングよくあることじゃない――かな。
 そんなことで動揺してはいけない。だって、私はただのマネージャー。阿部君の恋人でも何でもないんだから。
「うん。グラウンド行こ」
 私はようやく立ち上がることができた。
「待って。水谷が来てから……」
 田島君が待ったをかける。
 ほんの少しの間田島君と喋っていると水谷君が現われた。
「よぉ、水谷遅かったじゃん!」
「あ、しのーか待っててくれたの?」
 水谷君は田島君をスル―した。
「うん、まぁ……」
「しのーかがね、水谷君待っててあげよって言ったから」
 なっ……デタラメ言わないでよ、田島君!
「ほんと?!」
 水谷君の顔がぱっと輝いた。
「待っててって言ったのは田島君じゃない」
「あ、そうだったっけ……なはは」
「そっか、田島か……」
 水谷君の顔から輝きが消えた。なんでだろう。
「おーい、しのーかー」
 阿部君と花井君がやってきた。
「元気ないっていうから様子見に来たぞ」
 花井君が言った。
「やっぱさ……いつも元気なしのーかが変だとみんな心配すんだよ。阿部がしのーか普段と違うって言ってたから」
 阿部君が?!
「いや、まぁ、そのな……病気だと困るから……」
 言葉を探すように阿部君が続ける。
 阿部君の心遣いは嬉しいけれど、今はまともに顔が見れない。なんだかまた頬が火照ってきた。
 だけど、『女子マネはみんなのアイドル』という言葉を思い出して、やっぱり野球部は恋愛禁止で阿部君への恋心も秘密にしていかなければいけないんだな、と思った。
 そうね。じゃあ、ちゃんとマネージャーの仕事をしよう。がんばってくれるみんなの為に。これからも。
 なんたって西浦野球部は甲子園目指すんだから!
 それに阿部君は私のことを何とも思っていないんだもの――。
 告白するのは野球部引退する時でもいいよね。卒業式もチャンスだけど。
 阿部君のヌードの衝撃も時間が経てばそのうち薄れると思う。でも、
(見ちゃった……)
 その想いはまだ消えない。私は必死で心を落ち着かせようとした。 

後書き
篠岡純情恋物語。
阿部ったらモテますねぇ。三橋にも篠岡にも。
羨ましいね、阿部。
2013.3.4

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