阿部の後悔、そして弟の気遣い

「う~っ!」
 オレはベッドに寝転んで唸った。
「あ~っ!」
 今日こそはって思ってたのに!
 三橋廉――西浦のピッチャー、俺とバッテリーを組んでる――に、終業式の今日告白できなかったのが、同じく西浦のキャッチャー、阿部隆也。つまり今ベッドで輾転反側しているオレってわけだ……。
 電話してみようかな。
 けど、あっちにも都合というものもあるだろうしな!
 オレは起き上った。
「ああ! もう!」
 オレは短めの黒い自分の髪をがしがしと掻いた。まぁ、短髪ってほどではないのかもな。
 うちのチームには他に、今時坊主頭にしてる花井梓ってやつもいるもんな。一八〇の長身なのに名前のせいで田島にからかわれてる。
 田島……。
 三橋がオレのことを好きだと教えてくれたのは感謝だが、あいつがいなきゃ今頃オレは両思いだったんだよな……。
 逆恨みしてんのは自分でもわかるけどさ……。
 それにしのーか……ああ、どうしよ……。
 贅沢な悩みだけどさ、オレの本命は三橋なんだ。しのーかには本当に悪いけどさ。
 しのーかは可愛いからオレの他にもいい男が見つかるさ、うん。
 オレは、無意識のうちに携帯を手にしていた。
 三橋……三橋……あかさたなま……。
 三橋廉。
 そこでオレの指は止まる。もしあれが田島のフカシだったとしたら?
 本当は三橋はオレのことなんかこれっぽっちも……いや、ただのバッテリーとしか見ていなかったら。
 オレの脇に冷たい汗が滲んだ。
 怖い。
 オレは携帯を持ったまま唾を飲み込み――そのまま携帯をベッドの上に投げ出した。
 えい! もう何がどうだっていいんだ! どうせオレは水谷並みのヘタレだよ!
 半ば自棄になってまた寝転ぶ。本当は三橋の心が欲しくて欲しくて仕様がないくせに。
 コンコン。トイレノックだ。
「兄ちゃん、いる?」
 弟のシュンだ。
「おう、入れ――」
「ねぇ、兄ちゃん――学校で、何かあったの?」
 シュンはストンと神妙に床に座る。
「え? 何もねぇけど――」
 そう何もねぇんだ。何も。だからつれぇんだ。
「そっか。良かった。メシ」
「おー、今行く」
「兄ちゃん」
「ん?」
「後でキャッチボールしようね」
 そう言ってシュンは笑った。三橋の笑顔が重なった。
 こいつ、もしかして……オレを気遣ってくれてんのか?
 ありがてぇけど――重い。
 そこへ――
「シュンちゃん、タカー。ご飯よー」
 と、お袋の声。
「わぁったよー」
 と返事する。途端にお腹がぐ~っと鳴った。
 悩んでても腹はへるもんだな。健康な証だ。
 オレは沈みながら一口一口、ゆっくりご飯を噛み締めた。どうしてこういう時の飯は妙に旨いのだろう。
 どうして、不幸なはずなのに心はあったかいのだろう。
「ありがとな、シュン」
「ええっ?! オレ、兄ちゃんに礼いわれるようなことなんかした?!」
「――別に」
 そんな驚くことねぇだろ。オレはそんなに薄情な兄貴か。
 ――薄情かもしれねぇけどよぉ。
「良かったわね、シュン。タカ、アンタ何があったのか知らないけど、やっぱり兄弟っていいわねぇ」
 お袋がにこにこと笑いながら刺身をつまむ。お袋はシュンが好きだ。だからといって、オレが憎いわけじゃないんだろうけど。
 シュンは苦労がない。三橋の笑顔も初対面で見ることができた。
 きっとこいつは幸運の星の下に生まれてきてるのだろう。どうでもいいけど。
「おう。でも、なんかあったらいつでもオレ達に相談していいんだぞ。二人とも」
 親父が言った。
「うんっ!」
 シュンは勢いよく諾った。オレは――黙っていた。
 息子が男に惚れるなんて、親父もお袋も思ってもみなかっただろう。
 でも、三橋がオレの初恋なんだ。
 そう言ったらこの団欒の空気はどうなるだろう。
 重い、あまりにも重い。
 神様とやらはどうして男と女という性をつくったのだろう。どうして男同士というだけで、こんなに悶々と悩まなければいけないのか。
 相手が女でも悩むだろうが、悩みの質が違う。日本ではまだ同性同士の結婚は認められていない。
 ああ、どうして同性婚を認めている国にオレと三橋は生まれて来なかったのだろうか。オレ達だって、人並みに祝福されたい。
 ――いや。多くは望むまい。
 オレが欲しいのは三橋廉。ただ一人だけなのだから……。
「ごちそうさまー。メシうまかった! 兄ちゃん。後で外でキャッチボールね」
「ああ」
 オレはやっぱり野球が好きだ。怪我で出られなくなった時、どれほど悔しかったか……。榛名の気持ちがわかるような気がした。
 選手って、怪我したら終わりだもんなぁ……。
 野球が好きだから三橋が好きなのか。三橋が好きだから野球が好きなのか。鶏が先か卵が先かの問題だが、野球がきっかけで三橋に出会えた。
 オレ、やっぱり野球やってて良かった。
 シュンとキャッチボールするのは久しぶりだ。いっちょ付き合ってやったるか。思えばあいつも寂しかったのかもしれないな。オレはこんな兄貴だが、シュンにとってはただ一人の兄だからな。
「兄ちゃん」
 オレはミットを構えてシュンの球を受けてやった。こいつ、上達してやがる。これだと今の西浦なら即戦力だ。
 まぁ、来年以降の西浦には新年生が入部するかもしれねぇけどな。
 でも、西浦のピッチャーは……ピッチャーは……。
「マジでなんかあったの?」
「――何もねぇ」
「オレは弟だからなんにも言えないかもしれないけど、お父さんやお母さんには」
 びゅっ! すぱん!
「相談してみたら?」
「相談するほどのことじゃねぇ……」
「――もしかして、怪我がぶり返したとか?」
「――いや」
 オレは首を横に振った。シュンはシュンなりにオレのこと心配してるんだな。じーんと胸が熱くなった。こいつが弟で良かったと思った。
「オレ、兄ちゃんと同じ西浦行きたい」
「そうか、がんばれよ」
「野球部にヤなヤツいない?」
「うぜぇヤツならいるがな」
 オレはボールをシュンに返す。
「うざいだけならいいよ。――ああ、安心した」
「なして」
「だって兄ちゃん、野球部で嫌がらせされたのかと思っちゃったんだもん」
「ま、悩みはあるけどな」
 田島にはオレの気持ちバレてるし、マネジには密かに恋心抱かれているようだし、オレが本当に好きな相手は中性的な外見をしているとはいえやはり男だし――。
「はぁ~」
「兄ちゃん、投げるよ!」
「おう……」
 キャッチボールを終えた後、へとへとになってベッドに倒れ込んだ。疲れた。肉体的ではなく、精神的に。
 ベッドには投げ出したままの携帯。
 三橋、まだ起きてるかな。
 風呂とかに入ってるかな――やべ。入浴シーン思い浮かべたら勃ってきちまった。
 こんな邪な気持ちで電話なんかかけらんねぇ。また今度にしよう。
 ああ、オレ、いつの間にこんなにヘタレになっちまったんだろう……。オレの気持ち知ったら三橋は離れて行くかな。せっかく(田島情報では)好いてくれてるらしいのに。
 シュンだって心配してくれてるのになぁ。あいつ、いつの間にあんな気遣いができるようになったんだろう。
 数学の問題を考えていたらようやく落ち着いた。
 ――電話はしなくていいか。
 そう思うと、オレは何となく三橋に復讐めいたことをした気分になった。オマエもオレが好きらしいが、オマエから電話来るまで、オレはかけて寄越さねぇぞ。
 シュンとはキャッチボールできたのに、本命の三橋とは心のキャッチボールができそうもないオレであった。

後書き
『今日こそはって思ってた』の続きです。
山之辺黄菜里さんのカキコミと、彼女が貸してくれた同人誌のおかげでできあがったようなものです。黄菜里さん、ありがとうございます。
『阿部達の初詣』のちょっと生意気なシュンくんとは違いますね。この話のシュンくん。
2013.1.8

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