愛のキャッチボール

「三橋、キャッチボールやろうぜ」
 西浦野球部のキャッチャー阿部が、ピッチャー三橋に声をかける。
「う……え……うん」
 多少戸惑った顔をした後、三橋は頷いた。
(よし、挙動不審も我慢できるようになった!)
 阿部はキレやすくて有名だったから、阿部自身も何とかせねばと思っていた。
 けれど、三回に一回は我慢できるようになった。
 自分で自分を褒めてあげたい。
 幸い、練習後だった。もう時計は九時半を回っている。
 三橋の両親が心配してるんじゃないかとは、ちらとは思ったが、三橋の家はすぐ近くだ。阿部の家は放任主義だし。
「よし、行くぞー」
 怪我が治った阿部は、絶好調である。キャッチャーというポジションがどんなに危ないかもわかったし。
(気をつけていても、怪我する時は怪我するもんだしなぁ)
 夏大で榛名が投げているのを見て、どんなに体が疼いたことか。
 ゲームに出られる。それだけで恵まれていることを噛み締めた。
 榛名も辛かったんだろうな……。
 アイツのやったことは、まだ許したわけではないけれど……アイツも変わったしな。
 ああ、野球ができるって幸せだ。
 しかも、気心の知れた三橋とキャッチボールができるなんて……。
 いや、気心の知れたどころじゃない。阿部は三橋が好きなのだ。初恋と言ってもいい。
(三橋、オレはオマエが好きだ)
 でも、言葉では言い表せない。
 だからこそ、想いを球に込めて投げる。
 三橋は、阿部の想いを受け取るかのように、ボールを受け取る。そして返す。
 三橋の鉄壁のコントロールが崩れるはずはない。
 阿部のミットにすうっと吸い込まれて行った。
(こんな選手、そうない)
 阿部はまた三橋にボールを返した。
 三橋は理想の投手だった。首は振らないし。けれど、それはよくないこと。
 オレ相手でも、遠慮なく首振っていいんだぜ、三橋。
 今はキャッチボール。ただのレクリエーションだから、首を振る必要はないわけだが。
「わっ、オレもやりてぇ」 
 田島がひょこっと出て来る。
「はいはい、そこ。邪魔しない」
 花井がやってきて、田島の首根っこを引っ掴んだ。
「何でー? オレもやりたい、キャッチボールー」
「いいから。ここはアイツらに譲ってやれ」
「ちぇー」
(サンキュー。花井)
 阿部が今の時間をどれほど貴重に思っているかを察したのだろう。さすが、西浦野球部のキャプテンだ。
 花井に密かに感謝した。
「ま、まだ続ける?」
 三橋が訊く。
「オマエはどうだ?」
「も、もっと……投げたい!」
「よしっ!」
 阿部は心の中でガッツポーズをした。
 こうやって、ボールのやり取りをすることは、言葉のやり取りをするより、何倍も相手のことがよくわかる。
 それは、阿部達が野球、という共通言語で話しているからかもしれなかった。
 しかも、どちらも野球中毒と来ている。
 三橋は投げるのが好きだし、阿部一家は野球で繋がっているようなものだ。
「ようし! もうちょっとだ!」
「うんっ!」
 三橋の機嫌がいい。また笑いかけてくれるかもしれない。
(いつかの三橋の笑顔、可愛かったな)
 スパーン、とミットの中央に球が入る。考え事をしていても、外さないのは流石だ。
 こいつともっと昇りつめたい、もっと、もっと……。
 けしからん肉欲に負けないように……。
 いつの間にか、モモカンが傍に来ていた。
 彼女も、野球に命を懸けている。どうしてそうなのかは、詳しくは知らない。
 シガポと付き合ってるんじゃないかという説も出たが、それはあまりにもあんまりだ。
 第一、それだと花井が気の毒だ。
 シガポには奥さん、子供もいる。けれど、野球に熱を入れているのは間違いない。数学教師だが。
 あの先生は、妙な知識をたくさん持っている。けれど、それはみんな有用なものばかりだった。
 モモカンも謎だ。何でソフトボールに行かなかったのだろう。
 阿部は、モモカンをちらりと見た。モモカンは笑っている。
「監督。気が散るんすけど」
「わかってるわよ」
 そして、またとっておきの笑顔を見せた。花井に見せたら惚れ直すかもしれない。
「でも、ごめんね。しばらく見てたい」
 ただのキャッチボール見てて、何が楽しいと言うのだろう。まさか、キャッチボールに名を借りた自分達の交情を見抜いたわけではあるまい。
 モモカンは純粋に野球が好きなのだ。
 そう思うと、既に不純な気持ちを込めてボールを放っている自分が恥ずかしくなる。
(まぁ、ちょこっとだけだけどな――)
 三橋への想いはおくびにも出さないようにしている。
 三橋も、モモカンの登場に特に動揺した様子もない。
(強くなったな――アイツ)
 三橋は、入部当初、モモカンを怖がっていた。無理もない。自力金剛輪は痛かった。
 しかし、それから阿部のウメボシは生まれたのである。
 三橋にとっては痛いのは同じだろうが。
「やっぱり球、速くなったわね」
 隣にしゃがみこんだモモカンが呟いた。
「――? 何すか?」
「ああ。独り言。続けて」
 オレもそれは感じていた。
 三橋の球が速くなっている。
 三橋が速球派の選手でないことは見ただけでわかる。だが、これでスピードが加わったとなると――。
(鬼に金棒じゃねぇか)
 にやり笑いを止められない。
「んじゃ、阿部君、三橋君。キリのいいところで帰りなさいよ」
「はい」
「は……はい」
 阿部と三橋は殆ど同時に返事をした。
「私もやることがあるからね」
 そう言って、モモカンはファイルをめくっている。時々、満足そうに頷いている。
「阿部君、投げて」
「おお、わり」
 三橋のボールは、言葉よりも多く語る。口ではどもりがちの三橋が、投球では生き生きとし出す。
 モモカンに注意され、続きは明日でということになった。
 阿部の楽しみがまた増えることとなる――。

後書き
昨日、三橋の誕生日だったの忘れてたの。ごめんね。
しかも、妹と同じ誕生日だというのに……!
これを三橋誕文とします。
主人公は阿部ですが、三橋なら気にしないでしょう(笑)。
2012.5.18


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