ターニング・ポイント

「つぐなわせて、くれないか」
 畠達が申し出た時、西浦の選手達はざわついた。
 三橋は三星学園に帰るかもしれない。
 そんな期待が、叶修悟の脳裏に浮かんだ。
 これは、西浦側も予想外だったらしい。
 阿部というキャッチャーが、厳しい顔をした。
 三橋はぐっと拳を握りしめた。腕が震えていた。
 やがて、三橋が呟いた。
「みんな……ごめん」
 そして続けた。
「オレ、やっぱり三星に戻るよ」
 西浦のメンバーは、みな悔しげな顔をする。くそおっ、と叫ぶ者もいた。
 三橋にとって西浦なんてそんなもんだ、と叶は思った。
 三星の選手達は、三橋を囲んでいた。みんな笑顔だった。
 やはり、慣れた環境の方がいいのだろう。
 これでやっと三橋と『野球』ができる。叶は嬉しかった。

 一週間後。
「てめえのせいで負けたじゃねぇか!」
 畠がそう言って三橋を責めていた時、叶が部室に入ってきた。
 そこには、畠の他にも何人かの部員がいた。
「おい、畠、どういうつもりだよ!」
 叶が叫ぶ。
「これじゃ中学時代の繰り返しじゃないか!」
 畠がいささかたじたじとなった。このキャッチャーは、叶に弱いらしい。
「でもよぉ、こいつ、中学時代から何も変わっていないから……」
「変わってないのはおまえの方だろ?」
「なあ……やっぱりおまえの方が上だよ。またオレと組まないか?」
「いやだね。三橋に『つぐなわせてくれ』と言った舌の根も乾かぬうちに」
「でも、こいつだって西浦の奴ら裏切ったんだぜ」
「おまえがそう仕向けたんじゃないか」
「叶!」
「や、やめて……叶君、畠君」
 三橋はただおろおろとしている。
「オマエが全部悪いんだよ!」
 畠が更に言い募ろうとした時、
「喧嘩してる場合やあらへんで」
 長身の織田が入ってきた。体だけでなく、もう既に大人の風格を備えている。
「そんな暇があったら、早く練習しようや、な。先輩も来るし」
「あ……うん」
 三橋が頷くと、
「三橋が投げたんじゃ練習にならないんじゃないかな」
「ヘロピーだしな」
「叶の方が上手いよ」
 チームメイト達はげらげらと笑った。
「でも、西浦が勝ったのは、三橋のおかげだぜ」
「まぐれだよ、まぐれ」
「球がいい具合に荒れてたのさ」
 しかし、やはりその時は三橋が投げた。マウンドの上の彼は小さく見えた。

 帰る時に、叶は織田と一緒になった。
 織田は嫌いではない。図体はでかいが、細やかな心配りができる。
「あまり苛立つんやないで」
「苛立ってないけど……」
「これも三橋が選んだ道や……」
 叶は唇を噛んだ。
 ずっと気になっていたことがあった。それは……。
 三橋は西浦に行った方が幸せだったんじゃないか。
 少なくとも、阿部のキャッチャーとしての力は、畠より上だ。あの三橋を生かすことができるんだから。
 やっぱり西浦に行った方が良かったんじゃないか……。
 思えば西浦との対決の後。あれが三橋のターニング・ポイントだったのではあるまいか。西浦に留まるか、三星に戻るか。
「何ボサーッとしとるんや」
 叶は織田に、軽く頭を小突かれた。
「過ぎたこといろいろ考えてもしようがないやろ」
 そうか……だからさっき、『これも三橋の決断だった』みたいなこと言ったのか。
 織田は……わかってくれてたんだ。
「だな。三橋は実力ではね返すだろうしな」
 叶は、一抹の不安がないでもなかったが、織田に笑ってみせた。
「本当に実力があれば、やがな」
「三橋には力があるよ。オレが言うんだから間違いない」
「せやな。しかし叶――三橋のこと本気で心配しとるようやな」
「そうだな。幼なじみだからかな」
「ふぅん……わいにはようわからんけどな。普通ライバルは蹴落とすもんやろ」
「そうかな……なんかあいつにはそんな思い持てなくてさ」
「それがあんたのええところや」
 織田は笑いながら、きゅっと叶の首を脇の下に挟んだ。叶はびっくりして、「うわっ」と声を上げた。

 三橋がいなくなった――そのニュースが入ったのは、叶と織田が寮の同じ室で眠っていた時だった。
 叶達もその他の部員達やクラスメートも、話をいろいろ訊かれた。
 一晩中捜したが、どこにも見当たらなかった。
「おーい、叶。三橋の行きそうなとこ、他に知らんか?」
「って言われても……あ!」
「どうしたんや?」
「ある!」
 それは――西浦高校野球部。
 もうすっかり日が昇っていた。織田と叶は埼玉へ行った。休暇届けを出して。
(待ってろよ、三橋)
 祈るような気持ちで、叶はバスに揺られながら目的地まで向かった。
 やっと西浦高校に着いた。
「静かだな……」
「あなた達……三星の子?」
 そう声をかけてきたのは、西浦の女監督である。若くて美人な人である。
 叶達はびっくりして振り返った。
「あ……あの……はい。そうですが」
「三橋君なら、今朝来たわよ」
「そ、そうですか……ありがとうございます。あの……どこへ行ったかわかりませんか?」
「さぁ……阿部君がかなりキツイこと言ったみたいだけど。私もせっかくのピッチャーにやめられて痛かったし」
「そうですか。すみません」
「あなたが謝ることないのよ」
「おおきに。監督さん」
 織田が、礼を述べた。
「お役に立てなかったようね」
「あ、いえ……」
(やっぱり三橋はここに来ていたんだ)
 とすると、この近くにいると考えられる。
「ありがとうございましたー」
 叶と織田は西浦高校を後にした。いろいろ歩いているうちに、人の集まっているところに彼らは来ていた。
「叶、もうこれ以上は無理やで」
「でも、今日は休みにしたし。時間が許す限り捜したい……織田だけ先に帰っていいんだぞ」
「かなんなぁ」
 織田はぶつぶつ言いながらも、叶に付き合った。
「あ、あれ、三橋じゃないか?!」
 デパートの屋上に誰かいる。視力の良い叶には、それが三橋だとわかった。
「あいつ、あんなとこで何やって……あっ!」
「あかん!」
 三橋は落ちた。
 ぽとーん、と。小石のように。簡単に。
「三橋……」
 三橋ーーーーーーーッ!

 叶は目を覚ました。ルームメイトの織田は豪快にいびきをかきながら寝ている。叶はトイレに行って携帯で三橋に電話する。本当は、今の時間携帯を使うことは、規則で禁止されているのだが。
「はい、もしもし――」
 寝ぼけた声がする。
「あ。三橋、叶だけど――」
「修ちゃん? どうしたの?」
「いや……」
 三橋は生きてる。叶はほっと胸を撫で下ろした。
「今の学校、楽しい?」
「うん……楽しい、よ。みんな、いい人、だし」
「良かった……」
 叶は安堵の息をもらした。
「じゃあ、もう切るよ。夜遅くにすまなかったな」
「うん。おやすみ」
(三橋は元気なようだ――)
 それが、叶には嬉しかった。
 三橋は嘘をつくような奴ではない。本当に今の学校が合っているのだろう。
(西浦選んで良かったな。三橋――)
 彼が三星を選んでいたら、それこそ、さっきの夢みたいになっていたかもしれない。そう思うと、叶の背筋に悪寒が走った。
 安心した叶は、部屋に戻ってベッドに潜る。やがて深く寝入った。

後書き
三橋が三星に戻ったら――という設定で書きました。
想像すると、結構怖い話になりましたね。味方は叶と織田だけ……まるっきり味方がいないよりはいいですが。
全部叶の夢ということで一応収拾をつけましたが、現実になったら――『ヤサワタ』の弥恵ちゃんのようになるのでしょうか……そんな三橋、見たくないですが。
不愉快に思った方、申し訳ありません。これもひとりの女のたわごとだと思って。
もちろん、私は三橋の幸せを祈っています。
なお、織田の関西弁は適当です……(汗)。
2010.8.29

BACK/HOME