ライバル 三星学園中等部―― 野球部の部室には、重い沈黙がたれこめていた。 扇風機が、ぬるい空気をかき回している。 「おう、三橋」 沈黙を破ったのは、野球部のキャッチャー、畠であった。 「俺達、また負けたよな」 畠の台詞に、三橋は俯き、唇を噛みしめている。微かに震えてもいる。 「これもおまえのせいだよなぁ、ああ?!」 畠は三橋の方に詰め寄ると、胸倉を掴んだ。 「ご……ごめん」 「謝るぐらいなら、もっとやることあんじゃねぇのか?!」 畠は力を込める。三橋はますます青褪めてきた。 「やめろ!」 そう言ったのは、もう一人のピッチャー――叶修悟であった。 黒いウェーブの髪を短髪にした、吊り目の美少年であったが、怒るとなかなか迫力があった。――ちなみに、彼はこの野球部の中で三橋に好意を寄せるただ一人の人物である。 「おい、叶、そんな奴庇うことないぜ!」 「そうそう。じいちゃんの力がないと、何にもできないやつだからな!」 チームメイトが次々に言い立てる。 「畠……放してやれ」 静かだが、命令調であった。 「でも、叶……」 「いいから!」 畠は叶の言葉に従ったが、それでも気がすまないらしく、ふん、と鼻を鳴らした。 「おまえなんか――ほんとのエースじゃねぇくせに」 その台詞は、三橋に向けられたものだった。 「このヘボピーが」 畠が言った瞬間、ガン、と音がして、バケツが転がった。叶が蹴ったのだ。 「三橋をバカにするな」 叶のきつめの顔が、更にきつくなった。 その双眸は瞋恚に燃えていた。 好敵手と自分が認めた相手を不当にけなされた時の、理不尽な怒りが彼を満たしていた。 「でも、叶……こいつは実力がないくせにエースになったんだぜ。それに、監督だってこいつにだけは怒らなかったし」 「だって、三橋が悪かったわけじゃないだろ!」 「ヒイキだよ! ヒイキ!」 「おまえは黙ってろ!」 横合いから叫んだチームメイトに、叶は怒鳴った。 「叶、俺、やっぱりおまえの方がエースに合ってると思うぜ。スピードだって実力だって充分あると思うし」 「畠。俺は、三橋のお下がりのエースの座なんて、いらねぇ」 「う……叶、くん?」 「なんだよ、三橋」 「俺、俺……」 三橋は、それ以上言葉にならなかったみたいだ。 また、不愉快な沈黙が降りた。 「……おい、畠」 「な、なんだよ」 「フォーク練習するからつきあいな。――今日は十球増やしてやるから」 「ほ、ほんとか?!」 畠は、嬉しそうな声を出す。 叶には、畠が三橋を敵視する理由はわかる気はする。するのだが――。 畠は三橋を理解していない。三橋の祖父が、三星学園の理事長をしているからだと思っている。 いや、それを言い訳にして、自分の実力を出し切っていないのだ。――叶は辛辣だった。 畠が三橋を嫌ってサインを出さないことも知っていた。 叶はチームメイトの態度にも腹を立てている。 (あんな努力をしている奴は、この部では他にいやしない) 叶は、三橋の力を買っていた。それは、幼馴染だからというだけではない。 本当は自分より実力のある選手として、三橋には一目置いている。 叶だって、中学生であっても、いっぱしのピッチャーだ。己に頼むところもある。実力だって、そう劣っているとは思わない。しかし、だからこそ、三橋のすごさがわかる。 だが、他の人々には、それがわからない。贔屓だと思われている。 (今の俺では、三橋には敵わない) だからこそ、三橋を庇うのだ。自分より、強い者として。 あのコントロールも球筋も、一朝一夕でできたものではない。 (三橋……いつか俺はおまえに勝つ。エースになるのはそれからだ) 三橋は、マウンドの上でしか生きられない。 それを卑劣な手段で取り上げるのは、不当だし、叶のプライドが許さない。 チームメイトに訴えられてエースになるのは、三橋が贔屓でエースになるのと同じくらい、あってはならないことだ。――勿論、叶は、三橋のことは贔屓だからだけとは思わないが。たとえ、少しはそれがあったとしても。 「叶……叶!」 畠に呼ばれ、叶は我に返った。 「なんだよ」 今の自分は心ここにあらずという感じだったに違いない、と叶は思った。 「おまえ……今日の球荒れてるぞ」 「ああ、わりぃ。考え事してた」 「――三橋のことか?」 言い当てられて、叶は、ああ、と答えた。 「あんな奴、気にすることないぜ。おまえがそんなつもりないなら――俺があいつの腕折ってやろうか?」 叶の目に、再び怒りが点った。 「腕はピッチャーの命だぜ。それに、そんなこと言うなら、俺はおまえを一生許さない」 叶の迫力に気押された畠が、 「わ……わかった」 と、おずおずと言った。 「さ。あと十球だぞ」 「お……おう」 叶は上手く納めた。少なくともこの場は。 三橋も三橋だ。もっと自信を持って毅然としていればいいものを。 あんなだから、畠なんかに甘く見られるんだ。 (そういえば、三橋はどうしたかな) フォークの練習が終わった後、叶は部室棟の方に回ってみた。 そっと草むらに身を隠す。 三橋は泣いていた。時々、顔を腕で拭う。 悔しそうな、ふがいない自分に怒っているように見えるのは、気のせいだろうか。 三橋は、まっすぐ前を向いていた。 彼は何を思っているのだろう。 頼りなさそうに見えても、たとえヘロピーに思われても、実は一本芯の通った彼だ。そうでなかったら、叶も相手にしなかったであろう。 ――そっとしておいてやった方が良さそうだな。 叶は音を立てないようにその場を離れた。 いつだったか、三橋が言っていた。 「叶、くんは、なんで、オレに、よく、してくれて、いるの?」 「それは……」 小学生の頃から一緒に遊んでいたから。それもある。 だが、それだけではない。 友達であるのは本当だ。しかし、その言葉も少しふさわしくない。 なんたって、なんたって―― 「決まってるだろ。おまえは俺のライバルだからな」 叶は口元をにっと綻ばせた。三橋も、安心したような表情を見せた。 今、野球部では三橋は浮いている。三橋が野球であると思っているもの、それは断じて野球ではない。 叶は、三橋と『野球』がしたかった。 (いつか、対決してみたいな。今のまんまじゃだめだけど。三橋が三星をやめない限り――) だが、三橋をこの学校から追い出すことはできないし、もし三橋がいなくなったら、一番寂しがるのは自分だろう。 (それでも、やってみたいな――あいつも、優れたピッチャーなんだから) 「じゃ、オレ、これで」 駆け去っていく三橋の背中に、『1』という背番号が見えたような気がした。 そして、叶が不可能と思っていた希望は、高校で叶えられることになる――。 後書き 中学生時代のカノミハを書いてみました。 カノミハ、というより、カノ→ミハという感じですが。 叶は、三橋の素質を見抜いていたのですね。 多分こんなことがあったんじゃないかなーと想像しながら書きました。 畠が「三橋の腕を折る」と言ったのは、原作からのネタを借りて来ました。けれど、畠も本気じゃなかったと思います。って、何故畠のフォローをしなければならないんだろう(笑)。 2010.2.21 |