クリスマス・イブ

 三橋は急いでいた。
 今日はクリスマス・イブ。プレゼントを持って阿部のところへ。
 駅前のクリスマスツリー。この間、阿部とキスを交わしたところ。それを思い出す度、三橋の顔は赤くなる。
 阿部はまた、キスしてくれるだろうか。
 いや、そんな場合ではない。三橋は、ぶんぶんと首を横に振った。
 とにかく、待ち合わせ場所へ向かう。ただでさえ、遅れているのだ。プレゼント選びに時間がかかってしまって。
 その時だった。
 四歳ぐらいの女の子が、心細そうに辺りを見回していた。
 人々は振り返らない。そんな女の子がいることも知らないのだろう。気付いても、通り過ぎてしまうか。
「ど……どうしたの?」
 何となく、みんなに無視されている女の子を可哀想に思い、三橋は言った。
 見知らぬ女の子に声をかける勇気が出たのは、らーぜの友達のおかげかもしれない。この一年(まだ一年も経っていないけど)で、三橋は随分変わった。度胸がついてきたと言ってもいいかもしれない。
 女の子は、不安そうに三橋を見上げる。逃げなかったのは、三橋のことが怖くなかったからかもしれない。
 三橋は、威圧感などとは無縁であった。何となく、相手を安心させるところもあった。特に子供には、三橋は好かれていた。三橋は自覚がないのであるが。
「あ、あのね……迷子になっちゃったの」
 女の子は、それでもまだ幾分不安そうに三橋に言う。
「じゃあ、交番に行かないとね」
 交番……。
 三橋は自分の言葉に呆然とした。
(阿部君との待ち合わせに遅れちゃう……)
 でも、この小さな女の子をこのままにしてはおけない。
(阿部君、ごめん)
 三橋は、女の子の手を取った。
 女の子も三橋も手袋をしている。あったかい。
「君、名前は?」
「みゆきちゃん」
「そう。俺は三橋廉。よろしく」
「へぇ……ねぇ、レン兄ちゃんって呼んでいい?」
「いいよ」
 何となくほっこりして、三橋が答えた。
「わーい。レン兄ちゃんレン兄ちゃん」
 みゆきが連呼する。
(かわいい、な……)
 三橋は思った。妹というのがいたら、こんな感じだったろうか。
 でも、交番への道はいつもより遠いように思えた。二人とも、だんだん無口になっていく。
(阿部君、帰っちゃったりして。それとも、怒っているかな……)
「ねぇ、レン兄ちゃん。交番まだ?」
「ん。もうちょっと」
「みゆきちゃん、疲れた」
「だ、大丈夫?」
「疲れたー疲れたー」
 みゆきは泣き出してしまった。さっきから寂しさを味わっていたのである。不安定になったとしても無理はない。
「じゃあ、おんぶして、あげる、よ」
 三橋がしゃがんで、背負い上げる体勢を整えた。あまり大きくないバッグは肩に引っ掛けて。
 みゆきが三橋の背中に乗る。
 三橋は、見た目は華奢だが、野球部で鍛えられているので、体力はかなりある。
「レン兄ちゃん、あったかい」
 みゆきがすりすりする。
 それからは、みゆきはぐずることもなく、無事交番に着いた。
「ま、迷子ですー」
「あ、ご苦労さん」
 交番のお巡りさんが言った。
「あれ? 君、見たことあるね」
 一人の警官が、興味津々に三橋を見つめている。
「え? え? そうですか?」
「あーっ! 思い出した!」
「な、なんですか?」
「君、あれでしょ。西浦高校野球部のエース! 三橋廉」
「ええっ?! 何で知ってるんですか?」
 名も知らない人に指摘されて、思わず三橋は驚いた。
「俺、野球大好きなんだよ! 学生時代は野球部にいたぐらい。いやぁ、感激だなぁ。三橋廉に会えるなんて」
「ねぇ、レン兄ちゃん。この人知ってる?」
「い、いや……」
 知らない、とも断言できないので、あまりはっきりしたことを言わずにお茶を濁した。
「西浦ってすごいんだよ、お嬢ちゃん。一年だけなのに、夏に桐青をくだしたんだからね」
 警官に説明されても、みゆきにはちんぷんかんぷんのようだ。
「サインしてくれないか! 三橋君!」
「あ……オレ、字汚いけど……」
「いいんだよ! あんまり上手いサインだと、こっちが恐縮しちゃうからね」
 三橋は、警官の差し出したノートに自分の名前を書いた。
「ありがとう。大事にするからね」
「こらあ、斎藤!」
 もう一人の、年嵩の警官が怖い声を出す。
「迷子だって言ってるだろうが」
「ああ、そうそう。お嬢ちゃん、お名前は」
「みゆきちゃん」
「苗字は?」
「苗字? えっと……さかぐち。さかぐちみゆき」
「坂口さんちのみゆきちゃんか。どこに連絡すればいいかわかる?」
 みゆきは首を横に振った。
「そっか……困ったな」
 警官が心配そうな顔をする。
「あの、オレ、行ってもいいですか?」
「レン兄ちゃん……行っちゃうの?」
 みゆきが不安そうな声を出す。そう言われると、三橋は何となく立ち去り難く感じた。
「お嬢ちゃん、携帯持ってる?」
 警官が訊いた。
「ううん」
「そうか……おうちの電話番号はわかる?」
「ううん」
(どうしよう……)
 そう思った時だった。
 車が一台やってきた。女性が後部座席から降りる。
「みゆき……みゆき!」
「ママ!」
 みゆきが、若い女性に飛びつく。
「急にいなくなって、この子は……」
「ママ、ごめん! ごめんなさい!」
「お母さん。叱らないであげてください」
 警官が笑顔で言う。
「この三橋廉君が、ここまで連れてきてくださったんですよ」
「まぁ、ありがとうございます」
 女性は、三橋に向かってお辞儀した。
「いいえ……」
「お母さん。どのぐらいみゆきちゃんを捜しました?」
 斎藤という警官が尋ねた。
「ここに来たのが最初です」
「三橋君、みゆきちゃんを見かけたのはどこで?」
「――商店街です」
 三橋は商店街の名前を口にした。
「じゃあ、私達はもっとみゆきを捜さなければならないところだったのですね。まさか商店街にいたとは知らなかったものですから」
 みゆきの母親は笑った。
「クリスマスには、こんなこともあるんですねぇ」
 斎藤は心動かされたかのように呟いた。
「さ、早く彼女を迎えに行ってやるんだな。三橋君」
 もう一人の警官が言った。
「ええっ?! 彼女?!」
「そう。そわそわしてるからね。おおかたデートの約束でもあるんだろ?」
 警官はウィンクをした。
 デートの約束……確かにデートだった。相手が『彼女』ではなく、『彼氏』というところが違うけれども。
 三橋は時計を見た。待ち合わせ時間より二十分も遅れてしまった。プレゼントのこともあったので、みゆきのせいだけとはいえないが。
「さよなら。みゆきちゃん」
「バイバイ。レン兄ちゃん」

 三橋は走った。肺に冷たい空気が満ちる。
(阿部君……)
 その時流れたのは、山下達郎のクリスマス・イブ。
 三橋もこの歌は好きだったが、今は少し腹立たしいものだった。
 彼女を待っても来ない、ひとりぼっちのクリスマス・イブ。
 阿部がもう帰ってしまっていたらどうしよう。
 クリスマスツリーの前まで来た。周囲をぐるぐる回ってみても、阿部はいない。
(阿部君……遅れてごめん。もう俺のこと、嫌いになっちゃったんじゃ……)
 その時――
「三橋!」
 阿部の声だ。
(えっ……ウソ……)
「阿部君!」
「心配したんだぞ! 俺のこと忘れたんじゃないかと……そんで、ちょっと探してた」
「う、ううん」
 俺の方こそごめん……そう言おうとした時だった。
「三橋、携帯は?」
「携帯?」
「ああ。それで、『少し遅くなる』って連絡入れてくれてれば、こんなにやきもきしないで済んだんだよ」
「――あ、そうか!」
「俺からも携帯に連絡入れたんだけど、届いてないか?」
 三橋はバッグから携帯を出した。
「あ、あべ、くんから、の、着信、入ってる!」
「ったく、オマエはどっか抜けてるからなぁ……」
「ご、ごめ……」
「まぁいいさ」
 阿部はあっさり流した。
「そ……それで、あべ、くん。これ……クリスマスプレゼント……」
「おう。ありがと」
 阿部はプレゼントを受け取ると、自分からも包みを手渡した。
「これ、なーんだ」
「あっ、これ……」
 形状といい、大きさといい、
「野球ボール?」
「当たり」
「あ、ありがと……」
「じゃ、お礼もらうな」
 阿部は三橋を抱き締めた。
「あ、阿部君……?」
「あったかいな……」
 これも阿部のクリスマスプレゼントだろうか。
 このぬくもりは本物だから。この瞬間は本物だから。だから――これは聖夜のちょっとした奇跡。
 そして、この間より、ほんの少し深いキス。
「さ、どうして遅れたか、言い訳してもらうぞ」
「う、うん!」
 阿部の言葉に、三橋は嬉しそうに頷いた。阿部が話を聞いてくれる――それだけで喜べる幸せな三橋であった。

 ちなみに三橋のプレゼントはというと――
 天使の置き物であった。その天使の面差しは、ほんのちょっと、阿部に似ていた。

後書き
クリスマス・イブ。一日遅れのクリスマス・イブです。
いろいろひっかかるところがあったので、家族にいろいろ聞きました。
阿部より、みゆきちゃんの方が目立っているという気もしないではないですが。
最後に、山下達郎さんならびにそのファンの方々、すみません。私もあの歌は大好きです。
2009.12.25

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