三橋と中学生の阿部

「おーい、みっはしー!」
 授業も終わった頃だった。もう、かなり遅くなっていた。
 田島が後ろから抱きついてきた。もちろん、他意はない。
「三橋、これ知ってるか?」
「え? う、どれ?」
「じゃーん! なんと、タイムマシンの広告だぜー!」
 田島は得意げに三橋に見せた。
「タイムマシンなんて、あるわけないだろ。だいたいなぁ、タイムマシンというのは……」
 くどくどと説明し始めた花井を無視して、田島は言う。
「なぁっ! すげぇだろ! すげぇだろ! 今日はテスト休みだから、帰り寄ろうぜー! 花井も来るか?」
「今日はそれどころじゃないのは、オマエも知ってるだろうに」
「じゃ、オレ達、一緒に行くね~」
 こうして、三橋はぐいぐいと田島に引っ張られて行ったのだった。

「キミ達も、タイムマシンに乗りたいの?」
 博士――『GUNMA』とネームプレートに書いてある――は、嬉しそうに歓迎してくれた。
「ほら、キミ達が最後だよ。早くくじを引いて」
「はぁーい」
「それから、マシンには一人しか乗れないからね」
「えー、つまんねー」
「ごめんね」
 博士が拝むように謝った。
「しゃあねぇ。よし、引くぞ」
 異様な緊張感の中、三橋も、田島がくじに当たるように、心の中で、祈っていた。
 どきん、どきん、どきん……
「んじゃ、行きまーす!」
 パンパカパーン! と、どこかで効果音が鳴った。
「見事、大当たり―!」
「すげぇー! オレってすげぇー! どこ行こっかなー……恐竜のいる時代へでも行こうかなー」
「よ、良かったね、田島君」
 三橋も我がことのように喜んでいる。
 しかし、田島はこのとき一瞬、真剣な顔をした。
「そっかー。一人乗りかー……」
「どうしたの? 田島君」
「今日はおまえの誕生日だから、この権利、やる?」
「え? え? てことは……」
「時間旅行、オレの分まで楽しんで来いよ」
 そう言って、田島はにやっと笑った。三橋は、我知らず、赤くなった。
「あ、ありがとう……」
 パチパチと、博士が手を叩いた。
「素晴らしい友情だ。三橋君、こっち来て。そうそう、携帯は渡しておいてくれない?」
「うん」
 三橋は、阿部が一番に誕生日おめでとうメールを寄越してくれた携帯に、しばしの別れを告げた。そして、別室へと呼ばれる。
 その部屋には、たくさんの器具類が並んでいる。その中央に、タイムマシンと思しき乗り物。
「かっ……かっこいい……!」
「さ、君は、どの時代に行きたい?」
「え? どの時代って?」
 まさか自分が乗ることになるとは思わなかったから、どこへ行こうか、決めていなかったのだ。
「阿部君、という人には会いたくないの?」
「え? どうして、阿部君、知ってるの?」
「彼も、ここに来たことがあるからね。君は三橋廉君でしょ?」
「ど、どうしてわかるの?」
 三橋は博士を尊敬の目で見つめた。
「タイムパトロールから、資料が届いたんだ。大丈夫。君の経歴は立派なものだよ。時々、タイムマシンを使って、悪用する人達もいるからね。嘆かわしいことだよ」
 博士は、仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「お、オレ、阿部君に、会いたい」
「いいよー、どの時代の阿部君?」
 そう訊かれて、三橋はぐっと返答に詰まった。
「う……うーんと。野球、している、時代の、阿部君」
「と言ってもなぁ……ああ、そうそう。恣意的にその本人を必要としている時代に行ける機能を、キンちゃんが付けてくれたんだっけ。君も、どこにつくかわからない方が、楽しみが増していいでしょう? それとも不安?」
「う、うーん……ちょっと、不安、かな」
「ま、僕とキンちゃん、それにイバラギの力があるから、どんなことでも任せといて! それと、阿部君には、ちゃんと会えるように設定するからね」
「う、うんっ!」
「ああ、それと、行った先では、自分の名前を名乗らないこと。いいね」
「わ、わかった!」
「まぁ、絶対的禁止事項じゃなくなったけど、守らないと、タイムパトロールとキンちゃん達がうるさいからな……」
 博士の独り言を、三橋は「??」と言う顔で聞いていた。
「あ、ごめん。こんな話、君には関係なかったね。じゃあ、乗って」
 いよいよタイムマシンに乗り込むのだ。せっかく田島がくれたチャンス。楽しまなきゃ損だ。
(ありがと。……田島君)
「それでは、スイッチオン!」
 部屋中が明かりできらきらと輝き出した。
「三橋君! 赤いボタンを押して!」
「うん、ああ、これ」
 三橋がボタンを押すと、景色と感覚が変わった。

「大丈夫? 三橋君」
 博士の声がする。ここは森の中だ。
「人目につかないところに着陸させたから。君、方向音痴とかではない?」
「だいじょうぶ……だと、思う」
「マシンの位置がわからなかったら、タイムパトロールが教えてくれるから」
「うんっ!」
 タイムパトロール――SFなんかによく出てくる存在だ。異世界に来たみたいで、うきうきしてしまう。
 森は、思ったよりも近くで途切れていた。
 視界には野球場が広がっていた。
 阿部君は――と。
 三橋は無意識のうちに会いたい相手を目で探す。
 いた。
 今よりも背が低いが、それでも、負けん気の強そうな垂れ目は、変わらない。
 グラウンドの練習場でボールを投げながら、何か呟いている。
「どうしたんだろ……」
 独りで投げている阿部は、一応、様にはなっているが何だか哀れだ。
 練習場に勝手に入ってはいけない、ということも忘れた。
「阿部君……!」
 どうしても声をかけずにはいられなかった。
「あん?」
 阿部は、機嫌が悪い様子でこちらを睨んでいる。
「なんだオマエ」
「オレ、みは……」
 言いかけて、三橋は博士の言っていたことを思い出した。
(行った先では、自分の名前を名乗らないこと)
「ミ……ミハ、ミハ、ミハハハハハハ!」
と、三橋は咄嗟に誤魔化した。
 阿部は、「なんだこいつ」と言う顔で、こっちを見てる。
「あ、阿部君……練習してたの?」
「ああ、これか。ピッチングも兼ねてな」
「え、でも、阿部君、キャッチャーじゃ……」
 阿部が、またしてもじろりと睨めつける。
「ピッチャーになろうと思ったんだよ。あいつを打ち負かすためにもな」
 あいつ――榛名さんか。
 三橋は何となく見当がついた。
「お、オレ、ピッチャーなんだ!」
 三橋が言った。
「だから?」
「だから……一緒に、キャッチボール……できない、かな、と」
「ふうん。オマエみたいなヘロピーが、ピッチャー務まるのかよ。そしたら、楽だね、そこ。何というトコ?」
「西浦……」
「西浦ね。でも、オマエみたいなヘボいヤツ使ってるんだから、大したトコじゃねぇな」
 三橋は何も言わなかった。沈黙だけが降りて行く。
「悔しくねぇのかよ」
「別に……だって、中学のとき、よく言われてたし」
「あ、あのなぁっ! オレだって、本気で言ったわけじゃねぇんだぞ! ただ、今日面白くないコトあってつまり――」
「いいよ」
 ボールを持った三橋が、微かに笑った。
「キャッチボール、やろ?」
「わっかんねぇヤツ」
 言いながらも、阿部はグローブを、ベンチに置いてあったキャッチャーミットに変えた。
「さぁ来いよ! キャッチャーとして、オマエのヘロ球受けてやる!」
 あ、そうだ、と言いながら、阿部はグローブを三橋にぱしっと投げた。
「オマエはそれ使え。……硬球でいいな」
「う、うん」
 三橋が一球を投げると、受け取った阿部が、妙な顔をした。
「……変な球」
 おーし、もう一回、と、阿部はまた三橋にボールを送る。
 二球、三球と続けていくうちに、阿部の疑問は確信に変わったようだった。
「おい、オマエ」
「何?」
「オマエ、コントロールは自信ある方か?」
「う、うん」
 そう言われ、頷けるようになった程には、コントロールには自信を持ち始めたところだった。
「サインは?」
「ああ、いつも使ってるヤツ、あるけど」
「じゃあ、それ、教えて」
 三橋は、阿部の言う通りにした。
「嘘だろ……こんなに投げれんの?」
「う、うん。まぁ、一応」
「変化球は?」
「よ、四種類ぐらいかな?」
「そうか、よぉし」
 阿部はにやりと笑った。
「今の言葉、フカシでないかどうか、確認してやるよ!」
 その結果、三橋が受けた評価は……阿部としては最上級であろう賛辞、「オマエ! すげぇよ!」だった。
「球は遅えけど……速けりゃいいってモンじゃねぇしな! なんでこんなリード通りの投球できんの? オマエ」
「これでも、練習、してるから。球は、遅い、まま、だけど。榛名さんは、速い、よね」
 何気なく放った一言だったが、阿部は、顔を強張らせた。
「あんなヤツのこと、思い出させんな。アイツ、すっげぇノーコンだし」
「で、でも……オレも、速くなりたいから」
「だから榛名に憧れるってか? やめとけやめとけ。オマエにはオマエのイイところがあるんだしさ」
「うん……」
「ところで、西浦って、高校?」
「そ、そうだけど……」
「なんだ、おまえガキくせぇから、てっきりオレと同じ、シニアだと思ってたぜ」
 これには、さすがの三橋もグサッと来た。
「じゃ、オレ、高校は西浦行くわ。武蔵野なんか行かないで」
「武蔵野……?」
「榛名……オレのシニアでのピッチャーが、武蔵野行く、オマエも来ないか、って言ってたからさ。でも、あんなヤツ、こっちからお断りだよ。へへーんだ。……って、何シケた顔してんだよ」
「ううん。何でもない」
 そうか、この頃から、阿部君と榛名さんの仲は悪かったのか――何とかして、仲直りさせてあげたいな。だけど、そうすると、西浦にはオレのキャッチャーがいなくなってしまう!
(田島君もすごいけど……オレのバッテリーは、やっぱり阿部君だよ)
 ごめん。榛名さん。阿部君をオレにください。
「な……何泣いてんだよ」
 阿部が三橋の顔を覗き込んだ。
「お……オレ、スゴイ、ワルいヤツ、だ……」
「はぁ? まぁ、スゴイ投手だってことは認めるけどよ」
(オレ、阿部君のこと、榛名さんから横取りして、ひどいヤツ、だ――)
「ごめん。阿部君。オレ、最低のヤツ、だ――」
「最低のヤツ――」
 阿部は何か考え込んでいる風だったが、やがて言った。
「それなら、オマエなんかより、もっと最低のヤツがいるから――大丈夫だよ」
 最後は消え入りそうになった。
 阿部君は、榛名さんのこと、まだ、好きなんだ――。
 だからこそ怒っている。だからこそ、怒りの炎は消せやしない。
 阿部君は、オレに、西浦を選ばせてくれた。だから、今度は、オレが阿部君を――。
「阿部君……ホントに、西浦に来る?」
「ああ。辞めようと思っていたキャッチャーも、オマエのおかげで続ける気持ちが出てきたしな」
(阿部君……ありがとう)
 心の中でそう言って、帰ろうとした。グローブを置いて。
 阿部が三橋の背中に叫んだ。
「オレ、行くからな! 絶対絶対、西浦に行くからな!」
 待ってろよー!!と阿部が全身全霊で大声を出す。
(阿部君、その一言で充分だよ――)
 三橋は、どこか満足げな笑みを浮かべながら、タイムマシンへと戻って行った。

「どうだったー☆ 時空の旅は」
 きゃるんっ☆とでも言いたげな博士が訊いた。マシンは、無事現代に戻ってきていた。
「うっ……」
「わっ、何? どしたの?」
 三橋の目からは涙がこぼれていた。
「阿部君、阿部君……」
 三橋はそう言って泣き続けた。
 これでいいんだ、と納得したはずなのに。阿部の心の傷につけ込んで、榛名から阿部を奪ったような思いが、今になっても湧いてきて。
 阿部も、榛名の元で野球をやっていた方が良かったのではないか。どうしても、そんなことを考えてしまう。
「キンちゃん……」
 博士が、近くにいた青年に声をかけた。
「ん」
 キンちゃん、と呼ばれた青年は、資料のファイルを繰った。
「阿部隆也。中学時代に榛名元希と大喧嘩をする。――ちなみに、この少年の行った日に、その出来事が起こったらしいな」
「だって。何を泣いているのか知らないけど、君は阿部君を救ったんだよ」
「阿部君を……救う?」
「うん」
「だって、オレは、いつも、阿部君に、助けて、もらうばかりで……」
「でも、キミが阿部君を支えたときだって、あるでしょ?」
「あ……」
 様々な時期に、色々な時間で。
 バッテリーは、一方通行じゃない。それはモモカンが言っていた。
「博士――」
「なぁに?」
「今日は、ありがとうございました」
 三橋は深々とお辞儀をした。
「どういたしまして。もう、帰った方がいいんじゃない? あ、これ、携帯ね」
 博士が三橋に、預かっていた携帯を手渡した。 

「おー、三橋ー。これから行くところかー?」
 応接室で本を読んでいた田島が声をかけた。
「え? ううん。もう、行って、きたよ」
「はっえー。便所行くよりはえぇんじゃねぇの?」
 そう言って、田島は笑った。三橋も、気持ちがほぐれてくるのがわかる。
「じゃ、オレ達も急ぐか」
「う、え、なんで?」
「オマエん家に行くからに決まってるだろ? もう皆来てっかなー」
 田島は携帯で電話した。
「あー、花井? オレオレ。オレオレっていうヤツは知らないって? 声でわかんだろ。田島だよ。もう皆集まってる? わかった。今、三橋も一緒だから。じゃあな」
 携帯を切ると、田島が飛びっきりの笑顔で言った。
「皆、いるってさー」
 皆、ということは、阿部もいるはず。
 阿部だけじゃない。西浦野球部のチームメイト全員が、この日の為に集まってくれたのだ。
(オレの、ために――)
 三星では、そんなこと考えたこともなかったけど――こんな幸せな毎日が来るなんて、思いも寄らなかったから――
「行くぞー、三橋ー」
「待って、田島君」
 田島は、あははは、と笑い、三橋の後ろに回って肩を叩いた。
 二人は、このごつい外観の建物の出入り口へと向かった。

後書き
恒例の、タイムマシンものです。
えー……いろいろと、不満な点もありますが、書いている間、楽しかったです。しかし、やたらと長かったな(笑)。タイトルはそのまんまです。
三橋、誕生日おめでとう!
2009.5.17


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