ミハシ太郎2 「おーい、阿部ー」 「いらっしゃい、田島さん」 シュンが、ドアを開けて田島を迎え入れる。 田島が入ると、阿部が玄関にやってきた。この家に田島が来るなんて、珍しい。三橋の家には、何度か行ったようであるが。 「何しに来た?」 自然、阿部の顔も不審げになる。もともと垂れ目がちなこの男は、にやりと笑ったり、不機嫌な顔をしたり、という、少し他人の心のうちに冷や汗を垂らさせる、そんな表情をするのは珍しくない。本人にはその自覚はがないのだが――いや、阿部のことだ。あるかもしれない、という気にさせられる。 今のは、弟シュンも、 「兄貴、なに怖い顔してんだよ」 と言ったぐらいであるが。 田島はそんなことは気にせず、いつも通り、白い歯を見せて笑っている。 「ミハシに会いに来たんだ」 「み……三橋? ここにはいないぞ」 さっきの表情は、うろたえに変わる。 「あー、ハムスターの方のミハシのことなんだけど」 「あ、そうか。ハムスターな」 三橋がこの家に来てくれたら、どんなにいいか、と、一瞬阿部は考えてしまったのだ。 「ミハシ、元気?」 「うん、まぁ、元気なんだけど……ちっとも懐いてくれねぇのな」 「仕方ないじゃん。ミハシなんだから」 「おう。ミハシだからな」 さっきから、阿部は田島の台詞のおうむ返しに近い返事をしている。だが、二人とも気にしていない。 「ミハシー。遊びに来たぞー」 田島が呼ぶと、ミハシがそろそろと出てくる。そして、なんとケージの縁まで来た。 (田島には、馴れてんのな) たった一、二回姿を見たぐらいで……と、一応飼い主の阿部は、少々切なくなる。 「餌、何やってる?」 「ペレットだけど」 でも、阿部の目の前では食べないで、いなくなったら餌箱が空になっている。食べているのはわかるが、食べるところを見たことがない。阿部は、そういう感情こそは表には出さないが、やはり、切ない。 「食ってんの?」 「みたいだな」 「何それ」 「食ってるとこ見たことねーもん」 「おーおー、阿部、警戒されてんな」 「うるせぇ!」 田島には、三橋に対するウメボシの代わりに、本気のチョップを食らわす。 「いってー」 田島が頭を押さえる。 フン、と鼻息荒く、ケージの中のミハシを見ると、そのハムスターは、もう、姿を消していた。隠れていても、見え見えなのだが。 (三橋みてぇな奴……) 何故か、ちょっと微笑ましくなって、阿部はふっと笑った。 特に嬉しいわけでもないけど、なんとなく、心が温かくなったのだ。 小動物に癒しの効果があるというのは、本当かもしれない。 「へぇ~、道具は立派なの揃ってんじゃん」 「でも、全然遊ぼうとしないんだ」 「阿部が怖いんじゃね」 その途端、阿部は本当に怖い顔になる。痛いところを突かれたからだ。 「ほら、その顔。さっきはもっと怖かったけど。阿部って、怖がられてんだよ。ミハシに」 それは、ハムスターのミハシのことなのか、人間の三橋のことなのか。 冗談半分で失言する田島が、時々小憎らしくなる。本当は、寂しがり屋でいい奴なのはわかっているのだけれど。 「ミハシー、出て来いよ。いいモンやるぞー」 田島が言うと、ミハシがもそもそと現れる。 (やはり、田島には……) 阿部は、密かに田島に嫉妬した。 田島は、持参していた小さなリュックの中から、ひまわりの種を取り出した。 「ひまわりの種? 確か比率が良くないっていうから、やんなかったけど」 阿部は、ミハシの為に、ハムスターの飼い方をインターネットで調べていたのだ。 「でも、ハムスターって、ひまわりの種が大好きなんだぜ。オレも飼っているから知ってるけどさ」 田島は、それをミハシの前に差し出した。 (くれるの?) ミハシの目がきらきら輝いている――ように見えた。 「ミハシー、これ、うまいぞー」 「オマエ、食ったことあんのかよ」 「あるよ。結構おいしかった」 呆れる阿部を余所に、田島はミハシの目の前で種をぴらぴら動かす。 ミハシは、タイミングを狙って、種に飛びつき、かじかじと齧り出した。 「おう、食った食った」 田島はいちいち嬉しそうだ。 (ちっ、オレのときには隠れて食うのに) 阿部は舌打ちした。 「阿部もやってみなよ」 「――おう」 少し不安だったが、やってみることにした。阿部にとって、これはちょっとした挑戦だった。ハムスターのミハシに対して。 人間の三橋も、いつも阿部を少し不安にさせる。それは、天然の田島や、クソレこと水谷には気付かれていないと思うが、花井や、モモカンは、察しているかもしれない。 ――そして、三橋は、そんな阿部の気持ちをわからない。 一生懸命世話してんのに。健康状態に気を使って、気持ち良く投げられるように、毎日コンディション整えているのに。 ミハシだってそうだ。フンだって掃除してるのに。水だってしょっちゅう取り換えてるのに。 そう思うと、怒りに似た気持ちが湧いてきた。 「おい、それ、寄こせ」 阿部が、田島からひまわりの種を袋ごと奪った。 「さぁ、食え! そら、食え!」 命令調で言っても、ミハシは怯えるだけである。とうとう姿を隠して(いるつもりなだけだが)しまった。 「えーい! 食えって言ってるだろうがー!!」 阿部はついにキレた。 「阿部、阿部、相手はハムスターだよ!」 田島ががっちりした阿部の体を押さえ、何とかして宥めようとする。 (なんで田島なら良くて、オレじゃダメなんだー!!) そんな思いはあったが、すぐに我に返った。 「そうだよな……動物なんだよな」 自分のエゴを押しつけてはいけない。阿部はそういうことを学ばされたような気がした。 「ミハシ……おまえの好きらしいひまわりの種だ……食わないなら、オレがもらう」 ミハシは隠れ家から出てきて、大きな目で、阿部を見つめた。 「欲しいのか? ん?」 ハムスターに言葉で意思表示はできない。でも、ミハシは、阿部の方に近付いた。それが、コミュニケーションなのだ。 ふっと顔が緩んだ。 「そら、食え。オレが待ちくたびれて怒りだす前に」 ミハシは、阿部からもらった種を、懸命に食べている。その格好は、なんだか和む。 (動物って、飼ってみると、いろいろなことがわかるな) 人間の三橋とも、こうやって、自然にやり取りができるようになるのだろうか。 だといいな、と、阿部は思った。 田島は、相変わらずミハシと夢中になって遊んでいる。それも、穏やかな気持ちで眺めることができた。 後書き 私達も、ハムスターを飼っていたことがありました。野良猫を飼い始めたとき、つい、ハムスターの世話をおろそかにしてしまいましたが。 今はもう、どちらもこの世にはいません。 私達は、そのハムスターの最期を看取りました。 私達家族が、ハムスターを飼うことは二度とないでしょう。 ミハシは、そんなことにはなりませんように。阿部が、ちゃんと手をかけてくれますように……。 2009.1.3 |