タイムスリップ

 阿部隆也が散歩と称してぶらぶら歩いていると、街の掲示板の一枚のビラが目に留まった。

『タイムマシンに乗りたい人 募集中 あなたも時空の旅をしてみませんか?』
 そして、電話番号と場所が書いてあった。
(ふぅん、この近くなのか)
 阿部にそこへ足を運ばせたのは何なのか――ただの好奇心かもしれない。
(話のタネぐらいにはなるだろう)

 阿部がその場所へ行ってみると、既に数人の人間が集まっていた。
「皆さん、よく来てくださいました」
 白衣を着た、まるで女の子のような男が言った。
「集まってもらって悪いのですが、タイムマシンに乗れるのは一人だけです」
 途端にブーイングが起こった。
「亡くなった息子の姿を見たいのよ!」
「若い頃の恋人に会いたいんだ!」
「まぁまぁ、公平にくじで決めましょう」
 グンマ博士――自分でそう名乗った――は、何本もの細い紙切れを差し出した。当たりには、先っぽに赤い印がある。
 当たったのは――阿部だった。
「おめでとう。君、名前、何というの?」
「阿部。阿部隆也」
 阿部はぶっきらぼうに名乗った。
「そう。阿部君。よろしくね。こっちに来てくれる?」
 いくつもの残念そうな眼差しを無視し、阿部は博士について行った。

「これが君の乗るタイムマシンだよ」
 博士にそう言われ、阿部は、
(へぇー、結構かっこいいな)
と思った。
 造ったのが、この頼りない博士というのが、ちょっと心細くはあるが。
「さ、いつの時代のどこに行きたい? 過去にも未来にも行けるよ。さぁ、どこにする? 二千年前のエジプト? 十九世紀のヨーロッパ? それとも、三十世紀の東京?」
 どこ……?
(そうだな……)

「小さい頃の三橋のいるところ」

「――もうちょっとわかりやすい場所を特定できないかな」
 博士は困ったような顔で言った。
「じゃあ、十年前のギシギシ荘」
 阿部は、ギシギシ荘の話を三橋から聞いていた。
「ギシギシ荘ね。待って。マザーコンピューターで検索するから」
 そう言うと、博士は、コンピューターの前に座り、ディスプレイを見つめていた。データがざぁっと流れる。博士はそれを自在に操っている――ように見える。
「十年前の『山岸荘』でいいんだね」
「ああ」
「じゃ、乗って。携帯などは預かっておくから」
「わかった」
 しかし、これはどう見たって一人乗り……。
「アンタはどうするんだ?」
「僕? 僕は外部から調整しないと……」
 そそくさと別室に去ろうとする博士を見て、
(逃げたな……)
 直観的に悟った。
「あ、そうだ」
 ひょこっと博士はドアの隙間から顔を出して、
「マシンの中に入ったら、僕の言う通りにして」
と言った。

 阿部は、不安に思いながらもタイムマシンに乗った。
「これからどうするんだ?」
「じゃ、シートベルトつけてね」
「おう」
「それから、大きく過去を変えるのはご法度だよ。まぁ、ちょっとは過去の人々に関わってもいいけど、名乗ることは絶対にいけないからね」
「過去の人々……関わってもいいのかよ」
「もちろん。そうでなきゃ、行った意味がないでしょ? 行き過ぎのときには、タイムパトロールが押さえてくれるから」
 なんだか、SFの世界だ。今更だけど。
 まぁ、いいや。小さい頃の三橋を一目見るだけで――阿部はそう思っていた。
「それから、あちらの世界で二十四時間以内に帰ってきてね。でないと、いろいろ面倒だから。赤いボタンを押してね」
 ポチッ。
 途端に、体に圧力がかかる。
「あ、そうそう。出発時にはGがかかるから気をつけて……」
 もはや阿部は聞いてはいなかった。

 目的地に着いた後も、阿部は、ショックで何も言えなかった。
「あー、具合わりぃ」
 ようやっと、そんな台詞が口から出るようになる。
 空間が、ぐにゃりと回ったような気がして、嫌な感じだった。
「着いた?」
「あー、着いた着いた」
「帰着時は、もうちょっと慣れていると思うから」
 帰るときにも、こんな衝撃を味わうのだろうか――そう考えて、阿部はげんなりした。
「帰るときは、青いボタンを押してね。あ、その前に連絡してね」
「おう……」

 阿部がマシンから降りると、夕日が綺麗だった。
(あそこか、ギシギシ荘は)
 なるほど。ギシギシ荘という名にふさわしいオンボロアパートである。
 わりと広い庭では、子供達が野球に興じていた。
(あ、あれは浜田だな)
 まだ小さいけど、特徴がよくわかる。どうして三橋が気がつかなかったのか、謎だ。
(確か、グローブ、浜田にもらったって言ってたな)
 それが野球を始めるきっかけとなったとも、三橋は話していた。
 その当の三橋は――いない。
(まぁ、話しかけるくらいなら、過去を変えることにはならないか。ちょっとは関わってもいいと言われてたしな)
 阿部は、浜田に話しかけた。
「君、三橋知らないか?」
「ミハシ……? おっちゃん、ミハシのこと探してるの?」
(おっちゃん……オレはまだ高校一年だぞぉー!!! オマエより年下なんだよ!)
 思わず、いつも三橋にやるようにウメボシしたくなったが、自制した。
「そ、そう。三橋のこと探してるんだ」
「ふぅん……」
 浜田がじろじろと阿部を見る。
「知ってても、おまえなんかには教えないよ」
 どうやら、阿部は、浜田に警戒心を起こさせたようである。
(あれ? 今の浜田と全然違う……)
「ミハシなら、隣町まで買い物だよ」
 他の少年が教えてくれた。浜田が、(馬鹿ッ!)と目で叱った。
「ありがとう」
 阿部は駈け出して行った。

 近くに公園があったので、阿部はベンチに座った。
(ここからなら、三橋も見えるかな)
 公園の前には、大きな道路があった。三橋もこの道を通るだろうか。
(眠ぃ……)
 阿部は寝てしまった。

 ようやく目を覚ますと、もう、日はとっぷりと暮れていた。
(三橋! 三橋は?!)
 阿部は道路に飛び出した。
(いるわけねぇか……)
 もう諦めて、現代に帰ろうとしたときだった。
「ムッフッフ~ン♪ ムッフッフ~ン♪」
 この調子っぱずれな、今より甲高い声は……。
「三橋!」
 間違いない。茶色っぽくもある、亜麻色の髪に、同じ色の大きな瞳。段々に下がった眉。
 小さな三橋は、買物の荷物とおぼしきビニール袋を手に持っている。
「え? お兄ちゃん、誰?」
「え、オレは……」
 答えようとして、阿部は博士の注意を思い出す。
(誰かに名乗ることは絶対にいけない)
「オレか……オレは、未来から来たんだぞ!」
「え? 未来? どうして未来から来たの?」
「秘密の指令でな」
「ヒミツ……?」
「そ、ついでに名前を言うことも禁止されている」
「――か、カッコイイ! スパイ、みたい」
 三橋はきらきらと尊敬の目で阿部を見つめている。
「いやいや、まぁまぁ」
 やっぱり三橋は可愛いな。
「う、え? お兄ちゃん、なに、変なかおしてんの?」
「あ、ああ……いやいや。買い物の帰りか?」
「うん。オレね、じぶんでね、行くって、いったんだよ」
「偉いな。でも、こんなに遅くなっちゃ危ないから、お兄ちゃんが送ってやろうか」
「え? でも、ヒミツのシレイは?」
「いいんだよ。オマエを危険から守ることも、使命のひとつさ」
 高校生になったって、それは変わらないぜ。三橋。
「お兄ちゃん、ほんとに、カッコ、イイ!」
「ありがと」
 今の三橋も、そんな風に思ってくれるだろうか。
 阿部と小さな三橋は、手を繋いで、ギシギシ荘に向かった。もちろん、阿部は三橋の荷物を持ってやった。

「た、ただいまー」
「お帰り! レン! 心配したんだぞ! と、その人は?」
「あ、えっと……みらい、から、きた、お兄ちゃん」
「まぁ。親切なお兄ちゃんに送ってもらってよかったわね。――あのね、お父さんね、レンが帰ってくるまでずっとそわそわし通しだったのよ」
 三橋の両親は、阿部を不審には思ってはいないようである。おおらかな人達だ。
「じゃ、オレはこれで」
「待って。せっかくだから、夕ご飯食べていきませんか? その……多く作り過ぎちゃって」
 三橋の母だ。
「そうだよ。お兄ちゃん、たべて、いってよ」
(オレは、幼い三橋と手を繋げただけで充分なんだけどな……)
 でも、食事に誘われて嬉しくないわけはない。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
 阿部が、靴を脱いで三橋宅にあがった。
「今日はレンの好きなカレーライスよ」
 カレーライスをご馳走になるのは、これで二度目だ。――もちろん、三橋には言わない。
「わーい、ニンジン、ニンジン」
「もちろん、レンの好きなニンジンも入ってるわよ」
「わーい」
 カレーの美味しそうな匂いが漂う。三橋は、じっと母に寄り添っていたが、何かを思いついたらしく、たたっと部屋に走って行った。
「お兄ちゃん」
 再び阿部の前に姿を現した三橋の手には、使い古されたボールが。
「これ、あげる」
「おいおい。あげるんだったら、もっと上等なものがあるだろ」
 三橋父が諭す。
「いや……嬉しいよ。ありがとう」
 実は、今日は阿部の誕生日であった。
 他の部員からは、おめでとうコールやメールが来たというのに、三橋からは、まだ届いていない。
 だから、これは、本当に何よりも嬉しいプレゼントだ。
(今頃、オレの家でも、お袋がご馳走作ってオレの帰りを待ってるだろうな)
 シュンの方が好きな阿部の母も、阿部の誕生日には豪勢な料理を作ってくれている。しかし、それよりもみすぼらしいアパートで食べるカレーライスの方が嬉しいなんて、家族に対して薄情だろうか。
「それに、そのボールは、レンの一番お気に入りだったやつだろ」
 そんな大切な物をオレに……阿部は幸せでくらくらした。
「クリスマスに、パパサンタとママサンタに、新しい、ボール、かってもらうから、いい」
「あらあら。もうレンを騙すことはできないわね」
(ちゃっかりしてんなぁ)
 だが、そんな三橋を微笑ましく思った。
 カレーを食べ終わり、阿部が帰る時間となった。
「お兄ちゃん。クリスマスにも来てね」
「わるいけど、今はそれができないんだ」
 すると、三橋の目に、じわっと涙が滲んだ。
「じゃあ、じゃあいつ会えるの?」
 阿部は、泣いている三橋の頭をぽんと叩いて、全開の笑顔で言った。
「未来で、会おうな」

「どう? 過去への旅は楽しかった?」
 博士の声が訊いた。
「ああ。満足だ」
 阿部は大きく息を吐くと、シートに体をうずめた。もう重力も怖くない。
「三橋って子から、ボールをもらったんだね」
「どうしてそれを」
「タイムパトロールが教えてくれたよ」
「そうか……でも、いいだろ? このぐらい」
「まぁね」
「帰りは、青いボタンだよ」
「わかった」
 阿部は、青いボタンを押した。

 帰ってきたが、時計や周りの風景は、出発時と何分も変わっていないように見えた。
「これは……」
 すっかりこっちも夜になっているはずだと思っていたのに。
「お帰りー。時間通りに戻ってこれたね」
「今は……夜じゃねぇのか?」
「ああ。あっちで何年暮らしても、でかけたときと同じ時間に、マシンは着くんだよ」
「じゃあ、あっちに居ついてしまって、よぼよぼのじいさんになってからマシンに乗っても……」
「そう。同じ時間に来るってわけ」
 こういうの、ウラシマ効果って言うんだよ、と、博士が説明してくれた。
「そうなると、何かと不都合が出てくるでしょ? もっとも、タイムパトロールが、そういうことのないように見張っているけどね」
「ふぅん……」
 細かいことはどうでもいい。取り敢えず、家族を待たせることはなさそうなので、阿部は安堵した。こういうところは、阿部の優しさでもある。
「携帯返してくれ」
 三橋から、メールが来ていた。
『お誕生日、おめでとう。阿部君』――と。

 数日後――
「おーい、三橋」
 三橋は、いつもよりびくびくしていた。
「な、なに? 阿部君」
「クリスマスにパーティーやらないか。場所は……オマエの家を借りられれば、一番手っ取り早いんだがな。オレの家は狭いし」
「う、うちで、よければ……」
「よし、じゃあ場所は確保できたな。後は、三橋のおばさんに許可をもらって……あ、そうだ。篠岡と浜田も呼ぼうぜ。全員でぱーっと騒ぐんだ。いや、あまり羽目外してもおばさん達に迷惑かな」
「く、クリスマス、みんなで、祝う、の?」
「そうだよ」
 阿部が頷くと、三橋は俯いてしまった。どうやら泣いているらしい。
「な……何だよ。みんなでクリスマスやんの、そんなにイヤか?」
 三橋はふるふると首を振った。
「オレ、誕生日に、みんなで、祝ってもらったの、すごく、嬉しかったから……あれをもう一度やるんだと思うと、嬉しくて、嬉しくて……」
 なんだ。悲しくても、嬉しくても泣くヤツなんだな。阿部は苦笑した。
「でも、オレ、阿部君の、誕生日、忘れてた、のに、どうして、こんなに、よく、して、くれるの?」
「オレの誕生日? ちゃんとおめでとうメール受け取ったぜ?」
「あ、あれは、田島君に、言われた、から……プレゼントも、一日遅れで……」
「あのお守りだな」
「田島君と、一緒に、選んだ、んだ。オレ、間違えて、安産祈願の、お守り、買おうと、して……田島君に、阿部君に、子供、産めって、いうのかよ、と、笑われて……」
「うーん。確かにオレには三橋の子供は産めんな」
「あ、あべく……」
「冗談だよ」
 阿部は三橋の頭を軽く撫でた。
(それに、オマエからは、ちゃんと誕生日プレゼントもらってんだぜ。オマエは忘れてるだろうけどな)
 ちび三橋からもらったボールは、人目につかないところに、大切に保管してある。家族に見つからないように。
「じゃ、例の話、よろしくな」
「う……うん」
 片手を上げて、まだ戸惑っている三橋に後ろ姿を見せて、去って行こうとした阿部が、言った。
「プレゼントは、新しいボールでいいか?」
 阿部の去り際の台詞に、三橋ははっとした。
(もしかして、もしかして、阿部君て――)
 だが、三橋がその疑問を口に出す前に、阿部はいなくなっていた。

後書き
二日がかりで書きました。阿部の誕生日のときには、ちょうど異国の地にいました。
阿部君、誕生日小説遅くなってごめん! そして、ハッピーバースディトゥーユー!
ゲストとして、某ギャグマンガのキャラクターも出ています(笑) 越境パロディー!
タイムスリップものは何度も書いてるけど、ちょっとワンパターンかな? 精進します。
この話は、いつもお世話になっている山之辺黄菜里さんに捧げます。
2008.12.18
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