いつの間にか……

 別に、野球じゃなくてもよかった。
 打ち込めるものがあれば、それでよかった。
 けれど、あの女が――モモカンが、
「オレ、入んのやめまーす」
と言ったときに、捨てられた子犬のような目をしたから――。
 もっとも、次の瞬間には、巧みなバット捌きに目を奪われたが――。
 その日、阿部と三橋のバッテリーと、三打席勝負をしたが、オレが途中で、驚きのあまり、試合を放棄したから(ていうことになるんだろうな。不本意だけど。当然、決着はまだついていない)、オレは、なし崩し的に野球部に入部することになった。

 それから一ヵ月、いつの間にか西浦高校野球部の主将にされてしまったが、中学のときも主将だったから、慣れている。
 モモカンから任されたのだ。――イヤとは言えなかった。モモカンはその馬鹿力で恐れられてはいたが、怖い、というより、頼りにされてる、という嬉しさの方が強かった。
 いつだったか、田島が、「花井はお母さんみたいだ」と馬鹿げたことを言うので、どついてやった。

 オレも年頃だ。やっぱりいろんな妄想をしてしまう。
 けれど、シチュエーションは大事だ。
 トランジスタグラマーの女教師が、英文を黒板に書いて、日本語に訳すようにと、オレに言う。
 振り向いた女教師の顔は――モモカンの顔になっていた。

「お兄ちゃん、朝だよ」
 妹に起こされた。この声はあすかだな。アクセントでわかる。
 いつものアレが終わった後、オレはベッドにも横にならずに寝てしまったらしい。
 後片付けしておいて助かった。パンツもズボンもちゃんとはいている。
「今度は着替えてから寝なよ」
「わかった」
 あすかが出て行くと、オレは、どうしてモモカンが妄想のとき出てきたのかと、考え込んでしまった。

「花井はさ。ほら、あれだろ? 年上の先生といちゃいちゃするシチュが好きなんだろ?」
 昼飯のとき、田島が訊いてきた。オレは内心ドキッとした。
「はいはい。お前が野球部員とマネージャーというシチュが好きなようにな」
「野球部員とマネージャー! いいね、それ」
 篠岡とのことを皮肉ったつもりなのだが、田島は全然気づかないらしい。おめでたい奴。
 篠岡は篠岡で、他の奴が好きなのかもしれないがな。

 オレが野球部にこだわるようになった理由は、他にもある。田島だ。
 本人は野球バカだから気付かないが、オレは、あいつにライバル心を持っている。
 また、そうでないといけない。
 オレは、まだ、田島に敵わない。
 でも、競わなくちゃいけない。
 三橋も、オレと競う、と言ったんだから。
 あの三橋がだぞ。入部当初は、おどおどしてた奴がだぞ。ずいぶん変わったと思う。自信がついたんだな。
 オレは、今の三橋は嫌いじゃない。中学のときだったら、間違いなくいじめてただろうけど。
 オレも、田島と競えるような実力を養っていかなくてはいけない。

 オレの中で大きな存在として厳然といるのは、田島だ。
 あいつに褒められると、訳もなく嬉しくなってしまう。
 それから、モモカンだ。
 モモカンも、オレの中では、大きな割合を占めている。
 いつの間にか。
 そう、いつの間にか――。
 卒業したら、告白しようと思う。
「ずっと、好きでした」と。
 オレは、モモカンにふさわしい男になりたい。だから、田島にも負けるわけにはいかない。

 田島とモモカン、この二人が、オレにとって、野球部の中でも特に重大な存在である。
 この二人に出会えたオレは、ラッキーだったのかもしれない。

 今は、野球が面白い。熱中していると言えば、言える。
 色恋沙汰もいいけれど、オレは今、打ち込めるものができて幸せだ。
 絶対行くぞ、甲子園!
 オレも田島の馬鹿がうつったかな。
 でも、桐青の人にも「目指した方がいいよ、甲子園」と言われたしな。
 正直、嬉しかった。

 朝のグラウンド。
 田島と阿部は既に来ている。
 ここは神聖な場所。野球が好きで好きでたまらない奴らが集まるところ。野球バカが集まるところ。
 これから、また世話になる。
 一人で気合いを入れるのもなんだけど――心の中で叫ぼう。
「西浦ーぜっ!」

「おーい、花井。ノックやろうぜ。せっかく三人もいるんだからな」
 田島だった。
「おう!」
「おっ。えらく張り切ってんじゃん」
「わかるか」
「うん。お前のこと、よく見てるもん。愛だよ」
「気色悪いこと言うな」
 オレは田島に肘鉄を食らわす。
「冗談冗談。花井の愛しているのはモモカン、だろ?」
 田島は、モモカン、のとこだけ声を低めて言った。
 オレが、見透かされた悔しさと恥ずかしさで頬に血を上らせたとき、田島は既に阿部の方に駆けてっていた。

後書き
実は、この続きの話もあるのですが、カットしました。それにしても、私は花井が好きみたいです。
2008.10.24

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