いい子なんかじゃない

 昔、よく言われてきた言葉がある。
「三橋さん家の廉くんはいい子ねぇ」
「ほんと。素直で明るくて」
「そうかしら」
 お母さんも満更でもないように受け答える。
 オレだって昔なら単純に自分はいい子なんだって信じただろう。
 でもね、オレ、いい子なんかじゃないんだ……。

 今日もまた、試合で負けた。畠君、すごく怒っていた。
「だからさー、三橋のヤツ、マウンドから引きずってでも降ろした方が良かったんだよ」
「そんなことできるわけないだろ!」
「三橋はひーきされてんだよ、えこひいき」
 そんなチームメイトの会話を聞きたくなくて、オレは物陰で小さくなってかたかたと震えていた。
 ごめん、みんな……。
 ごめん、畠君。そして――。
「三橋、こんなところにいたのかよ!」
 叶君!
「ほら、立て。三橋」
「う……ごめん……」
「謝られたくて来た訳じゃねぇから」
「でも、オレの、せいで、みんな、負けて……」
「違う!」
 叶君が叫ぶ。オレがびっくりして叶君の方を見ると、叶君は涙を堪えているようだった。
「それは、違うんだよ……」
「どう、違うの?」
「確かにチームは負けた。でも、お前のせいだけじゃない」
「違うよ……オレがひいきにされてるから、負けたんだ……」
 それでもマウンドは譲りたくない。
 オレは、卑怯者だ。叶君にも、誰にも、マウンドを渡したくない。
 実力ないくせに……。
 そう、実力がない。わかってる、わかってるんだ……。
 叶君もきっと呆れてる。でも、マウンドの上にしかオレの存在価値はないんだ……。
 オレ、悪い子だよ、ね。いい子なんかじゃないよ。
「三橋!」
 叶君がまた叫ぶ。
「は……」
 も、戻らなきゃ。……でも、上手く言葉にならない……。
「お前、いつからそんなに卑屈になっちまったんだよ!」
 卑屈……? うん。そうかもしれない。あんなに好きだった野球が、今では苦業だ。
 でも、オレには野球しかないから。
 どんなに辛くても苦しくても、野球をやめるなんてできない。それだったら生きている意味がない。死んだ方がマシだ!
「叶君……?」
 強くてかっこいい憧れの叶君が、泣いている。オレ、叶君に笑って欲しいのに、上手く慰められない。
「オレさぁ、悔しいよ。今の三橋、ちっとも楽しそうじゃない」
「え、でも、オレ、ひいきされてるから……」
「違うよ、違うんだ……」
 叶君、さっきから違う、違うばかり言ってる。
「オレ、こんな三橋見てるの、耐えらんねぇよ。お前、いいヤツなのに、何でこんな苦労すんだよ……」
 苦労? ひいきされてるのに?
 ひいきされなければもっと大変な道を通ったはずなのに。叶君だってエースになることができたのに。
 オレはちょっと叶君に心の中で反発した。でも、本当の心の奥の奥では、嬉しかったんだ。
「オレ、いいヤツじゃない……」
「いいヤツだよ! なぁ、昔の三橋に戻れよ!」
「昔……」
 いい子だねって褒められてばかりの昔。友達もいっぱいいた昔。
 楽しかった、な……。
「オレ、邪魔か? 一緒にピッチャーにならない方が良かったか?」
 叶君が言う。オレはふるふると首を振る。そんなこと……叶君は本当だったら三星のエースだ。
 叶君のおかげで何度助けられたことか。
 オレがいるせいで、叶君はエースになれないんだ。
「ごめん、なさい……」
「謝るなよ……」
 叶君が涙混じりの困った笑顔でオレの頭を撫でてくれる。
 マウンド譲れなくてごめんなさい。
 いい子になれなくて、ごめんなさい。
 生まれて来て――ごめんなさい。
「オレは、ひいきだと思ってないからな」
 叶君がはっきりと言った。
「もう一度言う。オレは、ひいきだなんて思ってない。三橋はすごいヤツなんだ。まぁ、皆には伝わってないけど」
「そんなこと、ない……」
 本当は畠君は叶君とバッテリーを組みたかったんだ。オレはそれを知っていてエースの座を降りない。
 オレは、酷い、ヤツだ……。
「なぁ、三橋。今すぐにではなくてもいいから……チームメイトと溶け込む努力しようぜ」
「う……」
 皆の顔が目に浮かぶ。蔑みの色に満ちていた。世界は敵意に満ちていた。
 マウンド……。
 そこでならオレは生き返る。生気を取り戻せる。
 例え、負け試合であったとしても――。
「三橋、三橋!」
 叶君が、呼んでる……。
「三橋……オレ、この頃何だかお前が怖いよ。お前がすーっとどっか消えちゃいそうでさ」
「え?」
「マウンドを降りたらさ、お前はいない人間みたいに扱われるだろ。オレはそのうち本当にお前がどっか行っちゃうんじゃないかと……」
 叶君が眉尻を上げた。そして目元を拭う。
「くっそ、畠のヤツ、自分が三橋を理解できてないくせして! オレ、抗議してくる!」
「やめて……」
 オレは叶君の袖を引っ張る。
「ムリだよ……」
「……そうだな。今言っても火に油を注ぐだけだろうからな。あいつらの頭が冷えた後、話してみるよ。――畠にも」
 叶君も我に返ったらしかった。
「――叶君、優しい、ね」
「え? そんなことねぇよ。だって、ダチじゃねぇか。つか、いい意味でライバルだと思ってるし。オレはお前にこんなところで潰れて欲しくないんだよ」
 ダチ……いいライバル……。今のオレには勿体ない表現だ。
「あ、ありがとう」
 叶君、オレのこと、認めてくれてるんだろうか。ううん、いい気になるな、三橋廉。叶君は思いやりがあるから……。でも、心に沁みた。これで、明日もまた、生きられる。
 自殺は考えたことなかった。家族が、悲しむから……。
 お父さんとお母さんは、こんな酷いオレのことを、いい子だって、言ってくれるんだ……。
「三橋。お前、ちょっと辛いかもしれないが、我慢してろよ。もう少しの辛抱だからな。今から試合後のミーティングがあるから」
 みんな、今や遅しとオレを待っているんだろう。もしかすると勝手に始めてたりして。
 でも、行かなきゃ。オレは、叶君に連れて行ってもらった。

後書き
カノミハです。三橋達の中学時代のお話。
でもやっぱり三橋は高校生の時の方がいいですね。成長したっていうか、どこかふっきれたというか。それなりに悩みはありますが。
叶はいい男だと思います。
この話はカノミハが突然書きたくなってできました。
タイトルは矢沢あいの名作、『天使なんかじゃない』のもじりです。あれは少女漫画だけど。
このお話はおお振りファンの山之辺黄菜里さんとmaririnさんに捧げます。
2016.1.30

追記
また手直ししました。

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