夫婦喧嘩は犬も食わない

 阿部が三橋家に遊びに来ていた頃だった。
「――おい、あれ」
 阿部が三橋に向かって顎を窓の方にしゃくった。
「ジョーイじゃね?」
「ジョーイさん……ほんとだ」
「な?」
 ジョーイと思われる女はピンポンピンポンと乱暴にチャイムを鳴らした。三橋母が玄関に走っていく。
「れーん! お客様よー」
 三橋の下の名前は廉と言う。
「は……はい!」
 三橋が母親に呼ばれて駆けていく。阿部も一緒だ。
「レーン!」
 ジョーイは三橋に抱き付いた。阿部は呆然とした。阿部は恋人の三橋が目の前で女に抱き付かれた訳だが、嫉妬を感じる暇もなかった。第一、ジョーイはもう人妻だ。
「どうしたんだ。ジョーイ……」
「……アタシ……アタシ達もうダメ……」
「どうしたの? ジョーイさん……」
 三橋が少し動揺している。ウィルとジョーイの二人といえば、誰もが羨むベストカップルだったはずだ。二人ともお互いを愛し合っていた。――阿部隆也と三橋廉のように。
「……ウィルがね、浮気してたの……」
 涙を啜りながらジョーイが話す。
「まさか!」
「それだけはないだろ?!」
 三橋と阿部が殆ど同時に叫ぶ。
「だって……ケータイに女の名前があった……」
「ウィルにだって女友達くらいいるだろ?」
 阿部は冷静を保とうとした。
「だって――『今年の誕生日は楽しみにしてください』って送信メールのメッセージに……きっと彼女の誕生日にデートでもするつもりなんだわ!」
 ジョーイはおいおいと泣いた。
「な……名前は? 相手の名前」
「アンジェリカ……」
 阿部の質問にジョーイが答えた。
「アンジェリカか……若くて可愛い娘の名前だな」
「でしょう! そう思うでしょう?!」
「でも、あのウィルが浮気なんかするかなぁ……」
 髭を剃ったら美形だが、普段はもじゃもじゃの髭を生やしているむさい男のウィルである。そんなウィルを愛しているという物好きはジョーイしかいないのではないか……? 阿部はそう思った。
「まぁさ、一旦帰ってウィルと話してみたら?」
「そうだよ。きっと、ウィルさんは、ジョーイさんを、裏切ったりは、しないよ」
 阿部と三橋はジョーイをなだめようとした。
「それとも、もう話し合って決裂した後だったとか……?」
「タカヤ! アタシ、そんなことしないわ! ウィルには内緒でこの家に来たの!」
「じゃあ、話し合いは……」
「まだよ! そんなことムリに決まってるじゃない!」
 阿部ははーっと長い溜息を吐いた。
「それじゃ、どうしようもねぇな」
「そうだよ。阿部君の、言う、通り、だよ」
「取り敢えず帰って――ウィルへの誤解を解いたら?」
「誤解じゃないわ!」
 きっ、とジョーイが阿部を睨んだ。
「アタシが浮気していると言ったら、浮気してるのよ!」
「アンタ……ほんとはウィルに浮気して欲しいんじゃないのか?」
 阿部が呆れながら言った。
「そんな訳ないでしょ! でも、ウィルはモテるから……!」
 こっちこそそんな訳ねぇよと言いたいよ! 阿部は心の中で怒鳴った。ウィルはおめーにしかモテてねぇって!
「もう帰った方がいいんじゃねぇの? どーせジョーイの誤解……」
「アンタ達もアタシを邪魔者扱いするのね!」
「そうじゃないよ。ねぇ、阿部君」
 三橋が阿部に助けを求めるような顔をする。
「いんや。はっきり言って邪魔だ」
「阿部君……」
「いいんだよ。この女にはガツンと言ってやらにゃ。昔から言うだろ。夫婦喧嘩は犬も食わないってさ」
「タカヤ……」
「なぁ、ジョーイ。推測で家出されてもウィルにとってもオレらにとっても迷惑なんだよ。離婚とかするんだったらさ――止めねぇから、本当のことがわかってからでも遅くねぇんじゃね?」
「離婚……」
 ジョーイの目が大きく見開かれた。
「離婚なんて冗談じゃないわ! アタシにとってウィルは世界一の男よ!」
「んじゃ、帰るんだな」
「うん……わかったわ。その前に――ここに一晩泊まらせて欲しいの。……ダメ?」
「オレは、いいけど……」
「三橋のお母さんに訊いてみろよ」
「わかった……お母さんに、訊いて、みるよ……ジョーイさん、ちょっと離して……」
「ごめん……」
 ジョーイの肩をぽんぽんと叩いた後、三橋は一部始終を見ていた自分の母親の方に向き直った。
「そういう訳だから……ジョーイさん、泊まって、いい? お母さん」
「ええ、いいわよ」
 三橋の母は笑顔で言った。
「その代わり、明日になったらウィルさんと決着をつけること。いいわね」
「はい……」
「お部屋だったらいっぱいあるから。好きなところに寝ていいわ」
「ありがと……ございます。レンの……お母さん……」
「こっち、綺麗だから、お勧めなんだけど」
 三橋母の案内にジョーイも同意した。
「オレらも寝るか。三橋」
 阿部も、三橋家に泊まることになっていたのだ。三橋はこくんと頷いた。

「やっぱりジャパニーズライスは美味しいわね!」
 朝になって、すっかり元気を取り戻したジョーイが阿部や三橋と一緒にもりもりと食事をしたためていた。三橋母が苦笑した。
「それはどうもありがとう」
 その時、ジョーイの持ってきた荷物から音楽が鳴った。三橋母が言った。
「ケータイじゃないの? ジョーイさん」
 ジョーイがスマートフォンを確認した。
「ウィルからだわ」
「早く出たら?」
「話したくない」
「ジョーイさん。昨日の話、忘れてないわよね。ウィルさんと決着をつけるという」
「わ……わかりました」
 ジョーイは三橋母には逆らえない様子だ。のろのろとスマートフォンに耳を近づける。ウィルと話していくうちに、ジョーイの表情が輝いてきた。
「なぁんだ。そうだったの。うふふ。わかったわ。今日の便で帰るから。それじゃ」
「どうした? ジョーイ」
 阿部が訊く。三橋もご飯を口に入れながら何故ジョーイの機嫌が治ったのか知りたそうにしていた。
「うふふ。アンジェリカって、ウィルの大叔母さんなんだって。オランダにいて、今年九十になるのよ」
「それはそれは……」
 阿部は絶句した。
「アタシ、ウィルに謝られたわ。今まで話すの忘れてごめんって。大叔母さんにアタシのこと会わせたいって」
「じゃ、もうここにいる理由はなくなったよな」
「ええ! こうなったらもうのんびりしてはいられないわ!」
 ジョーイはご飯をかっこんだ。
「じゃね、みんな。バイ」
 ジョーイは嵐のように去って行った。
 ぽかんとしている三橋に、阿部はこう呟く。
「だから言ったろ。――夫婦喧嘩は犬も食わないってさ」

後書き
自分で書いておきながら阿部が男前だ……!
この話は、ウィルジョイの生みの親maririnさんとおお振りファン山之辺黄菜里さんに捧げます。
ジョーイの性格が既に違っているような気がしますが。
2014.10.22

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