優しい木吉サン

 木吉サンは近所のバスケ好きのおじさんだ。
 ――おじさんというのは失礼かもしれない。だって、木吉サンは本当は大学生ぐらいの年齢だからだ。
 でも、何となく茫洋としたその風貌が大人びて見える。
 木吉サンは体も手も大きい。
 彼がにこにこしながら僕達の方を見ていると、
「木吉おじちゃーん」
「相手してー」
 と言いながら子供達が群がる。木吉サンはよしよしと請け合う。
 木吉サンに憧れる子供は多い。
 昔はとんでもない選手だったと聞かされているが、僕達にとっては親切な近所の『木吉おじさん』だ。
 だから――あんなことがあった時はとてもびっくりする。
「おい、木吉」
 木吉さんに比べて些か線の細い、だがバネのありそうな体。フレームレスの眼鏡。黒い髪を短髪にした男。その男が木吉サンを呼んだ。
 ――友達に訊くまでも無い。日向順平だ。
「おっ、あれ、日向じゃね?」
「ほんと?」
「あのな、オマエら――あのクラッチシューター日向順平がこんなところに来るかよ」
「お生憎様。オレは正真正銘の日向順平だぜ」
 そう言って日向サンは眼鏡の奥で笑った。
「えーっ?! 木吉サンて、こんな有名人と付き合いがあるのー?!」
「オレが有名かどうか知んねぇけどな。木吉は高校時代はオレよりすごかったんだぜ。ま、怪我で引退を余儀なくされたけどな」
 そっか……そういえば木吉サンと日向サンて同じ高校だったんだよな。そんな知識が頭を過ぎる。
 確か、誠凜……そうだ。誠凜だ。
「誠凜バスケ部を創ったのはこいつだ」
 日向サンが木吉さんを指差す。
 へぇー。今の強豪校、誠凜があるのはこの人のおかげか。
 かくいう僕も誠凜に行ってみたいな……と希望してんだけど。親がバスケ好きなのでどうも感化されてしまったらしい。
「日向。ここへは何しに来たんだ?」
 と、木吉サン。
「里帰りだよ、ダァホ!」
 ――日向順平が口が悪いというのは本当らしい。
 んー。でも、結びつかないなぁ。
 木吉サンと日向サン……一方は近所のおじさんで一方は大学生の間でも屈指のクラッチシューターだもんな……。
「木吉……オマエのじいさんとばあさんは元気か?」
「すごく元気だよ。毎朝早く起きて体操してる」
「怪我の方は大丈夫か?」
「うん。まぁ、無理さえしなきゃね」
「それでこんなところでガキにバスケ教えてんのか」
「やだなぁ、何言ってんだよ。教わっているのはオレの方だよ」
 そう言って木吉さんは笑う。けして故のない謙遜ではないらしい。
「ふぅん。――相変わらずだな」
「ねぇ……木吉さんて何でバスケを始めたんですか?」
 僕が訊いた。
「バスケが好きだから――かな」
 この上も無くベタな答えだ。日向サンが続けた。
「オレだってこんなバスケ馬鹿見たことなかったんだよ。バスケやろうバスケやろうってつきまとってさ――うるさかったのなんの……」
 そうだったんだ……日向サンは木吉サンに才能を見いだされたってわけか。
 ちょっと……羨ましいな。
 だって、オレはそんな風に求められることはなかったのだから。
「んで、1on1で対決したら見事玉砕。ついにオレはバスケ部に入って、ついでに主将もやらされたんだよ」
「えー?!」
「日向サンでさえ敵わなかったんだぁ、木吉さんに」
 僕達は普段から木吉さんに一目置いていたが、ますます尊敬の念を深めた。
「あの頃のオレは――ちょっとグレててな……髪も金色に染めてたし」
 日向サンが金髪……想像できない……ふふ。笑っちゃ悪いか……。
「オラ! そこのひょろっちぃガキ! 笑うんじゃねぇ!」
 そう言った日向サンも笑っている。
 でも、ひょろっちぃガキはないと思うな。それに――日向さんだって筋肉はあるけど、決してパワー型の選手ではない。
「日向サンだって人のこと言えないじゃないですか」
「るせぇなぁ。そういうことはもっと体鍛えてから言え。もやしっ子」
 ――僕は毎日牛乳を飲んで体格良くすることに決めた。
「日向サン。久保はね、シュートを撃つのが上手いんだよー」
 と、友達の岩木が言う。ありがとう、岩木。
「そっか。――じゃ、そのうちライバルになっかもな。宜しく」
 僕達はグータッチを決めた。僕もいつか必ず日向サンに追いつくことを信じて。
「日向君」
 女の人の声がする。可愛い……真っ白なドレスが似合っている。中学生くらいかな?
「おう。リコ」
「誰? 娘さん……じゃないよね」
「ダァホ! リコとはタメだ、タメ」
 ええっ?! 木吉さんや日向サンと同い年――それにしては胸のボリュームが……まぁ、胸のない女の人なんて世の中にはいっぱいいるけどさ。
「リコも来てくれたのかぁ」
「木吉君、久しぶり」
「君も里帰り?」
「うん。参ったわよ。うちのパパ、すっごく『大学では彼氏できたか? できたか?』ってうるさくって……」
「リコは可愛いからすぐできるよ」
 そう言って笑った木吉サンに他意はないらしい。
「やだぁ……彼氏ができてもパパに紹介したら即座に別れさせられちゃうわ――でも、今はバスケが恋人かな。私はサポートする役回りなんだけど」
「いいじゃんか。大切なことだよ」
「桃井さんも協力してくれてるわよ」
「あの巨乳の子か」
「何だ。木吉君もやっぱり胸に興味があるのね」
「うん。だって男だからな。気になるよ、やっぱり。それに、リコだってそんな貧乳ってほどではないと思うな」
「――ふん。いいわよ、そんな付け足しのフォローしなくたって」
 リコさんはちょっと気分を害したらしい。
「胸のことはともかく、あの子――桃井さんはデータ収集に関してはすごい子だわよ。私、あの子好きじゃないけど――それだけは認めるわ」
「そっかー。リコもライバルのいいとこ認められるようになったんだ。えらいえらい」
 木吉サンはリコさんの頭をわしゃわしゃと撫でる。――リコさんは嬉しそうだった。
 何となく、お父さんと娘って感じだなぁ……。リコさんそんなに背が高くないから、ますますそう映る。
 同い年には見えないよなぁ……。
「おい、ここで観戦しってから練習の成果を見せてみろよ――オマエら」
「えー、でも……」
 コート内がざわつく。日向順平が来たというのは、それだけ凄いことなのだ。
「そんなに固くならないの。日向君は私の幼なじみだし――趣味で武将フィギュアを集めている男なんだから」
「なっ……ちょっ、それ、関係あんのかよ」
「大ありよ。私がフィギュア折ったおかげで日向君はシュートの腕を必死で磨いてきたんじゃない」
 フィギュアを折る? あの固そうなのを? リコさんて実はただ者でないかもしれない。ものすごく怪力の持ち主とか――。ま、つっこむのはよそうっと。
 僕達はそれぞれ日向サンとリコさんに自己紹介をした。
 リコさんはすぐに僕達個々の弱点を見抜いた。凄い人だと思った。――弱点については敢えてここでは触れないけど。
 木吉サンが審判を買って出た。
「さぁ! 君達の実力をあの二人にも見せておくれよ!」
「はい!」
 僕達は揃って返事をした。
 ――試合は僕の入っているチームが勝った。けれどみんな仲間なんでそんなことは関係なく、試合の終わった後は、馬鹿騒ぎをしたり無駄に頓狂な声を上げたりアクエリを飲んだりする。
 でも、試合の時には全力を尽くす。それが木吉サンが教えてくれたバスケの楽しみ方だった。
「懐かしいね」
「そうだな」
 リコさんの台詞に木吉サンが答える。この瞬間も記憶の中にしまわれる日が、いつか僕達にも来るのであろうか。
「感傷に浸ってんじゃねぇよ。――ダァホ」
 日向サンの『ダァホ』には二人に対するあたたかみが感じられるような気がした。木吉サンは太陽のような笑顔で頷いた。

後書き
22巻読んでびっくりしました。まさか木吉にあんなところがあったなんて……!
でも年相応で可愛かったです。日向と木吉のケンカ(笑)。
この話の木吉さんはそのシーン見る前に書いたのでちょっとオッサンくさいです(笑)。
2013.7.15

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