浮気な男2 ~アーサー編~ フランシスがマシューを追ってアーサーの家を出て行った後―― アーサーとアルフレッドの二人の間にしばらく沈黙が下りた。 「さてと」 アルフレッドの目が眼鏡の奥から剣呑な光を帯びた。そう思ったのは、強ちアーサーの思い込みではない。 お互いの間に緊張が走る。 「よくも嘘をついてくれたね――アーサー」 静かな怒りを潜めてアルフレッドが言う。 「何が嘘だよ」 アーサーも立場が弱いながらも反論する。 「君はアメフトが嫌いだと嘘をついた」 「嘘なんかじゃねぇよ」 「僕が出かけるのを知ってて、フランシスと二人きりでいちゃいちゃしてたんじゃないか?」 「違う! 俺はただ――」 「ただ? 何?」 アーサーは言葉を失った。流されそうになったのは事実だ。憎まれ口を叩きながらも。 フランシスは昔の恋人だった。今ではお互い、本命がいる。 フランシスにはマシューが。アーサーには――今目の前にいるアルフレッドが。 「アメフト嫌いなのはほんとだからな」 アーサーはそっぽを向いて呟いた。 「何で嫌いなんだ?」 「あのスポーツは、ルールがわかんないからだよ」 「そうだね。君は馬鹿だからね」 「馬鹿はおまえだろ。それなのによくあんな複雑なスポーツのルールがわかるな」 「僕の国のスポーツだからね。けちをつけないでくれるかい?」 「……マシューはアメフト好きなのか?」 「大好きだよ!」 アルフレッドは、叫んだ後で急にしょげた。 「本当は君と行きたかったんだぞ」 「――アル……」 「それなのに君はアメフトは嫌いと来ている。何故だ」 「……その理由はさっき言った」 「君が好きそうな肉弾戦なんだぞ。君は元ヤンなんだから。ルールがわからなくても楽しめるじゃないか」 「俺はわからないと嫌なの! それに元ヤンは関係ねぇ! つか、そう言うな!」 ――話が脱線した。 「君はフランシスと浮気してたんだな」 話が元に戻った。 「そんなことねぇ! 俺には、おまえ一人だ!」 「フランシスもマシューにそう言ってるかもね。で、一週間後には新しい浮気相手ができてるってわけだ」 「――アル」 「そんな風にアルなんて呼ばないでくれ! 汚らわしい!」 アルが怒っている。 自分の恋人が昔の彼と何かしていたら、それは怒るだろう。アーサーが逆の立場だったら、弁解に耳を貸さないに違いない。 加えてアルフレッドは潔癖だ。それも若者らしくて好もしいと思えるが、反面、自分が爛れているようにも感じる。 それを自覚した瞬間だった。 「もうアメリカに戻るんだぞ」 「おい、アル……」 アルフレッドは噛みつくようなキスをした。 「アル!」 アルフレッドも出て行った。 何故、あんなキスをしたのか――アーサーにはわからないことだらけだった。 しかし、今しなければならないのは――。 「追いかけないの?」 妖精が訊いた。 妖精達はさっきから二人の喧嘩を見ていたのだが、口を差し挟むような真似はしなかった。 そもそも、妖精はアーサーにしか感知することができない。 「アル、本気よ。だからあんなキスをしたのよ」 「追いかけなくていいの?」 「――あいつが、勝手に拗ねてるだけだ。明日になったら忘れるよ」 アーサーの顔が鏡に映る。自分の顔が青褪めているのを彼は見た。 「アーサーだって、アルのことは本気でしょ?。それなのに、わかってもらう努力もしないで」 アーサーにはマイナス思考に浸る癖があった。その方が楽だからだ。 「今を逃すと、アルは国に帰ってしまうわよ。それで――お互いすれ違いながら生きるのね。一生」 妖精は敢えて苦言を呈した。 「だったら帰っちまえばいいんだ。俺が嫌なら」 「そんなの、アーサーじゃないわ!」 妖精は地団太を踏んだ。 「私達の好きなアーサーじゃない! 私達は嬉しそうに笑っているアーサーが好きなの!」 「悪いのはフランシスだ」 「でも、強く拒まなかったでしょ」 確かに悪態を吐くばかりで強くは反抗できなかった。 そこをずばりと言い当てられた。 フランシスも、アーサーの性格を計算していたのだ。 なお、妖精達が来たのは、ちょうどアルフレッドとの喧嘩が始まったばかりの時だが。 ――フランシスのアホ。あいつのせいで話がややこしくなったんだ。 「そりゃ、フランシスも悪いでしょうけど」 「私達はフランシスとアーサー、二人が浮気してるところは見てないのよね。惜しいことをしたわ。あの時その場にいたら、蹴りを入れてやったのに!」 尤も、今いる妖精達の攻撃は、フランシスには蚊に刺されたほども感じなかっただろう。もっと高位の妖精ならばともかく。 「アルがもっと大人だったら良かったんだけど――彼も若いしね」 「ああ……」 そんなアルフレッドだからこそ、好きになった。好きになれた。 「――俺、行ってくる!」 「行ってらっしゃい!」 妖精達に見送られて、アーサーはアルフレッドを探す為に出て行った。トレンチコートを羽織って。 「ふぅー。寒い……」 イギリスはいいところだし、イギリスの化身であるアーサーは誇りに思っているが、寒い時は寒い。霧も深いことがある。 空は陰鬱な色をしていた。間もなく雨が降るだろう。そう言った予感はよく当たる。果たして、雨は降って来た。 「アル―! アル―!」 傘を持ってきて助かった。しかし、雨足は激しくなるばかりだ。 「俺が悪かったー。戻ってきてくれー!」 けれど、アルフレッドの姿は見えない。イギリスは広い。 「帰って来てくれ……お願いだ……」 傘の下でアーサーはべそをかいた。これがかつての大英帝国かと思うと、アーサーは自分が情けなくなった。 (あんな力任せでのし上がった若僧一人に――何てざまだ) アメリカンフットボールが嫌いなのも、アメリカのスポーツだったからだろう。アーサーは、心の底ではまだアルフレッドが可愛い弟だった時のことを引きずっている。 (俺から離れて行きそうな気がして、嫌だったんだ。俺は、アメフトに妬いている) 「坊っちゃん……!」 その声は――フランシス! アーサーは急いで涙を拭い、平常心を取り戻そうとした。フランシスはマシューを伴っていた。 「どしたの? アルでも探してんの?」 「そうだよ。――そっちは仲直りしたのかよ」 「おかげ様で」 畜生! そんな嬉しそうな顔すんじゃねぇよ。マシューもマシューだ。こんなヤツ許さなくていいのに。 「俺達、ラブラブだもんな」 「フランシスさん……」 この二人は傘も持たずにこんなに濡れて、風邪をひかないのだろうか――アーサーは二人の健康がふと気懸りになった。 「この傘、貸してやるよ」 「ありがとう、坊っちゃん」 「おまえにじゃねぇよ! マシューにだよ!」 「……あ、ありがとうございます」 マシューは済まなそうにぺこりと頭を下げた。 「坊っちゃん。アル、早く見つかるといいな」 フランシスはぽんぽんとアーサーの肩を叩いた。もう、フランシスに対して怒りの感情は湧いてこなかった。 こいつも決して悪意があるわけじゃない。 アーサーも長い付き合いで、フランシスの気性を飲み込んでいた。 だが今はそんなことよりも早くアルを探さなくては。アーサーは彼らと別れた。 (全く……あの馬鹿どこ行った) 雨の矢が降り続く。服も濡れたし重たくなった。靴には水が染み込んでくる。手がかじかんできた。手袋も用意すれば良かった。 アルフレッドとデートの時には必ず行く喫茶店の前――今日はその店はやっていなかった――そこでようやっとアーサーは階段に座っているアルフレッドを見つけた。 「帰るぞ」 アーサーはぶっきらぼうに言った。 「言うこと違うんじゃない?」 アルフレッドの言葉にアーサーはかっとなりかけたが、そこは理性で抑えた。 「――すまん」 アルフレッドは立ち上がってアーサーの手を取った。 「冷たいね」 「――まぁな」 「君の家には傘はないわけ?」 「マシューに貸した」 「マシュー、見つかったんだ」 「ああ。今頃はフランシスとよろしくやってるよ」 「そう、良かった」 アルフレッドがアーサーの腕にしがみつく。 「今日はこの店休みだし、仕方ないから今日のおやつは君の作る不味いスコーンで我慢するんだぞ」 「『不味い』は余計だ」 そう言いながらもアルフレッドの笑顔を見た途端、アーサーは安心感で心が満たされた。 後書き いつもより長くなりました。 『浮気な男』と内容がリンクしています。 2011.12.6 |