虎徹、貴方は美しい

「美しいですね」
 唐突にバーナビーが言った。
「は?」
 虎徹はつい間抜け声を出してしまった。が、気を取り直した。
「ああ、あの花畑の花な。確かに美しいな」
「僕の言ってるのは花のことではありません。――あなたのことです」
 そう言って、バーナビーは頬を染めた。
「な……」
 からかってんのか、とも思ったが、バーナビーはいたって真顔でこちらを見つめて来る。
 正直やりづらい。
 この頃のバーナビーの様子は変だ。たとえば、今のように、可愛いだの何だのと言い始めた。
(俺はただのくたびれたおっさんなのにな……)
 だが、バーナビーにはそれがわからないようだった。
 いや、わかってはいるが、その現実には目を閉じているだけなのか。
「……おまえ、折紙の変装ってことはないよな?」
「何言ってるんですか。何なら今ここで能力発動してもいいですよ」
「いや、それはやめとけ」
 バーナビー本人であることは、パートナーである虎徹がよく知っている。
「じゃあ、何だ? 俺のこと美しいってのは冗談なんだろ?」
「冗談じゃありません!」
 きっぱりとバーナビーは言い切った。
「そういうことは、おまえに似合いの可愛い娘にでも言ってやれ」
「だから言ってるじゃありませんか。虎徹さんは美しいと」
「あ、あのな……」
 だめだこりゃ。全然人の話聞いてない。
「ねぇ、虎徹さん。貴方をじろじろ見る変質者の視線を感じたことは?」
「ねぇよ」
「あまつさえ貴方の家までつけてきたりとか」
「ねぇってば」
「じゃあ、あれだ。ワイルドタイガ―宛てのファンレターの中に卑猥なものが混じっていたとか……」
「それはちらほら……って、ねぇよ! そんなこと!」
 本当はあったのだが、バーナビーに話して相手がまたとち狂うといけないので、ないことにしておいた。
(っつか、バニ―ちゃん、ほんと変……)
 バーナビーはクールダウンするかのように深呼吸した。
「さっ、戻りますよ。虎徹さん。会社に」
「あ、ああ……」
 しかし……。
「あのー。バニ―ちゃん?」
「何です?」
「この手は何かなぁ?」
「手を繋いでいるんですよ。いけませんか?」
 けろっとしてバーナビーは答えた。
「いや、いけなかないけど……大の大人が真昼間から手を繋ぐなんて恥ずかしいだろ」
「虎徹さん……」
 バーナビーは虎徹の方を見てから続けた。
「あ、貴方が道に迷うといけないと思って……」
「おまえに手を引かれなくても会社にはちゃんと戻れるっつーの! 子供じゃないんだしさ!」
「ああ、こういうところが可愛いんですよね……」
「ん?」
 言いたいことは山程あるが、取り敢えず保留にしておいた。
 デスクワークはバーナビーの仕事だった。バーナビーもこの時ばかりは仕事に熱中している。
 虎徹はというと……紙こよりを作ったりして遊んでいた。
「虎徹さん、仕事してください」
「わぁってるよ」
(良かった……前のバニ―ちゃんに戻ってくれた)
 ツンツンしているけれど、有能なバーナビー・ブルックス・Jrに。
(あれ? でも、前のバニ―ちゃんに戻る時って、案外少なくなっているような……)
「もういいです。貴方に任せるといらない仕事が増えそうですから。その代わり今夜つき合ってくださいよ」
「へ?」
 虎徹から飲みに誘うことはあっても、バーナビーからは初めてのお誘いである。
「なんか……どうしちゃったの? バニ―ちゃん」
「いえ……」
 バーナビーはこめかみにうっすらと汗をかいている。
 まさか……緊張してる?
(まさかな……)
 虎徹はへらっと笑った。
「じゃ、お願いしちゃおっかなー」
「わかりました」
 カタカタカタカタ。カタカタカタカタ。
 キーボードを打つ音が静かな部屋に響く。この時のバーナビーは優秀な社員だ。
 バーナビーの横顔はすっきりしていて、女の子ならうっとりしてしまうだろうほど整っていた。
(バニ―ちゃんの方が美しいよなぁ……)
 虎徹は男だからそれだけではときめかないが、一方で、きゃあきゃあ騒ぐ女の子の気持ちもわかるような気がした。
「どうしました?」
 バーナビーが笑顔で応対する。前はそんな顔しなかったのに。しかも、そんな柔らかい表情は。
「んー? おまえさん美形だなと思ってよ」
「虎徹さんにそう言われると……嬉しいです」
「はぁ、そうかよ」
「でも、虎徹さんの方が僕より美しいですよ」
 また美しいと来たか。
「心も、貴方の方が美しいですよ。……ねぇ、僕が何を考えているかわかりますか?」
「は? 何考えてんの?」
「いつでもおじさんのことで頭がいっぱいなんですよ。休みが取れたらおじさんとどこへ行こうかとか」
「ほうほう」
「それから、どうやって家に招いてあげればいいか」
「おまえ、前は家に俺を入れたがらなかったじゃねぇか」
「昔のことです。後は――どうやっておじさんを手ごめにしようかとか」
「ちょっと待てーい。最後のは何だ?!」
「しまった。つい口が滑って」
「ついじゃねぇだろ、ついじゃ!」
「冗談ですよ。本気にしてくれるなんて、本当におじさんは――」
「可愛いと言うんじゃないだろうな」
「僕の台詞取らないでくださいよ」
 バーナビーがちゃかした。
「明るくなったな、バーナビー。最初は心配してたけど」
「おじさんに心配してもらえて嬉しいです」
「うーん。そう言われると尻の辺りが何かもぞもぞするな」
「尻って……」
 バーナビーは何でか赤くなって俯いてしまった。
「バニ―……おまえ、さっきはものすごいこと言ってたくせに……おまえさんも結構可愛いんだな」
 虎徹が笑った。
「そういうのって、言う方は案外平気だけど、言われると恥ずかしいんです」
 バーナビーの長い睫毛がけぶって憂愁を帯びさせる。
 こんなにいい男じゃよりどりみどりだろうな、と思う。男でも女でも。
 今はただの馬鹿話しかしていないのだが。
「いいのかよ。花の金曜日にこんなおじさんと飲みに行くなんて」
「ええ。いいんですよ。虎徹さんとなら」
 バーナビーがにっこりと微笑んだ。
 仕事が終わった後、バーナビーが連れて行ってくれたのは、高級そうなバーだった。
 虎徹は落ち着かず、バーナビーと別れたら、カリ―ナが歌っている店にでも寄ろうかと算段していた。
「あまり楽しそうではありませんね」
 バーナビーが顔を覗き込んだ。
「い、いやいや。そんなことねぇよ。酒も旨いし。でも、雰囲気に慣れなくってさぁ……」
「この後で、カリ―ナさんのいる店にでも行くつもりでしょう」
 見事言い当てられてしまった。
「だめですよ。おじさんは、僕のものです」
「おまえなぁ……『僕のもの』だなんて、人のことをおもちゃみてぇに」
「おもちゃならまだ可愛げがあります」
 バーナビーは脹れっ面をして横を向いた。
「あ、バニ―ちゃん、怒ってる? ごめんね」
「いえ――でも、カリ―ナさんの店に行くのはやめてくださいね」
「わかった――今日のところはそうするよ」
 てか、バニ―ちゃんてこんなにうるさい奴だったっけ? と虎徹は思った。
 少し前まで、プライベートに干渉するな、などと言っていたのはバーナビーの方であったはずなのだが。
「でもさ、カリ―ナほんとに上手いんだぜ。バニ―ちゃんも聴いてみればわかるはずだから」
「――そうですか」
 バーナビーは何か考えているようだったが、やがて立ち上がった。
「気が変わりました。行きましょうか。カリ―ナさんのいる店は僕も知ってますし」
「え? 今から?」
「いけませんか?」
「いや、そうじゃないけど――ここ、おまえさんのお気に入りの店なんだろ? もう出ていいのか?」
「ええ。思い立ったら即実行、ですよ」
 わけのわからない奴――と虎徹は思った。けれど、バーナビーのそういうところは嫌いではない。些か性急ではあるが。
 勘定はもちろんバーナビーが払った。割り勘でいいと言う虎徹の意見を聞き入れなかったのだ。尤も、割り勘でも値段は相当なものだ。
 バーナビーに任せたが、これで良かったのだと、虎徹は自分の心に言い聞かせる。
 酔いが回って足に来た。
(おかしいな。そんなに飲んでないはずなのに――)
 こりゃ、もう年かな、とか、飲みつけない高級な酒で、ペースが掴めなかったのかな、などと考えていると――。
 バーナビーが体を支えてくれた。
「大丈夫ですか?」
「だいじょう――むぐっ!」
 虎徹はバーナビーにいきなりキスされた。
 車のヘッドライトに二人の姿が映し出される。
 その時、女の話す声が聞こえた。ここまで来る――そう思った時、虎徹はわざと体の力を抜いた。バーナビーの唇が離れる。
「虎徹さん! 虎徹さんどうしたんです?!」
 女達は特に訝しむ様子もなく過ぎ去って行った。
「ふぅー、行ったか」
「あの……」
「ああ、さっきの女達な。噂になるといろいろ面倒だろ」
「僕の為にわざわざ……?」
 バーナビーは自分の軽く口元を押さえた。
「すみません、虎徹さん。今のは僕のキスで脱力したのかと――」
 どこから来るんだ? その自信は。
 しかし、確かにバーナビーのキスは悪くなかった。
「行きましょうか。カリ―ナさんのところに」
「――いや。今日は俺の馴染みの酒場に来いよ。今度はおまえが俺につき合う番だ。飲み明かそうぜ」
「でも、虎徹さん酔ってたんじゃ――」
「今のですっかり醒めちまったよ。俺は飲み直すつもりだが、おまえはどうするんだ?」
 バーナビーの顔つきが明るくなった。
「はい――はい! 虎徹さん! もちろん僕も行きますよ!」
 嬉しそうに答えたバーナビーが虎徹の横に並んだ。
「やっぱり虎徹さんは美しいです。ほら、あの男、貴方のことばかり見てましたよ」
「阿呆。あれはおまえを見てたんだよ」
 人目を引くバディ二人は笑って手を繋ぎ合いながら、やがて夜の盛り場の喧騒に紛れ込んで行った。

後書き
またいろいろパクってしまいました。今更というような気もしますが。
タイトルは、杏里さんから教えてもらった、『生きろ、そなたは美しい』というもののけ姫のアシタカの台詞のアレンジです。
2011.10.10

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