キツネノシンゾウ ~きつねとちき~

「ん~。朔羅ちゃんの淹れたお茶は美味しいわねぇ~」
「ありがとうございます。十兵衛、台所借りてすまないわね」
「それはいいんだが……マリーアはいつまでいるつもりなんだ?」
「あらん。俊樹ちゃんに会いたいのがいけないってわけ?」
「そうではないが……」
 十兵衛は言葉に詰まる。
 彼とて、俊樹を可愛がるマリーアの気持ちはわからなくもない。自分自身がまず、俊樹に参っているのだから。
 だから、彼としては、マリーアの訪問も、一応は歓迎しているのだ。――怪しげなお土産を持ってこない限りは。
「ねぇ~、このマンドラゴラ、俊樹ちゃんも気に入ると思うんだけど~♪」
「気に入るかぁぁぁ!」
 十兵衛が渾身の迫力で叫んだ。
「まぁ。十兵衛くん、こわ~い」
「当たり前だ……そんな変な物、俊樹に近づけさせらるか! 姉者もそう思うだろう?」
「私は別に」
 朔羅は落ち着き払っている。
「姉者、はっきり言ってくれ!」
「他にもいろいろ持って来たんだけど――」
「マリーア、もう帰ってもらいたいのだが」
 十兵衛達が言い合いをしていると――
 バンッ!
 ドアが開いた。
「十兵衛、助けてほしい!」
「花月……どうしたのだ?!」
「俊樹が……狙われている!」
「何だって?!」
「こわかったの~」
 花月の説明によると――
 今日、花月と俊樹は、森林浴に出かけた。
「気持ちいいねぇ、俊樹」
「きゅっ!」
 幸せな花月と俊樹。
 そこへ、やってきたのが、髭面の逞しい狩人。
「お嬢さん。そこの狐を渡してくれないか?」
「何者だ!」
「俺はただ、狐の心臓を取りに来ただけだ。さぁ、その狐の子を寄越してくれ。頼む!」
「俊樹は渡さない」
 花月は言った。彼は、花月の手で、後ろに追いやられる。
「かじゅ~」
 俊樹も不安そうだ。
「お嬢さん。その狐をかばうんですか?」
「僕は男だし、そもそもあなたに俊樹を奪う権利などない」
「そうか……無理矢理命を絶つこともできるんだがな」
「何と言われようと、俊樹はあなたに殺させない」
「なら、交渉決裂だな」
 そして、男は猟銃を構えた。
 パン、パン、パァーン!
「俊樹!」
「かじゅ!」
「逃げるぞ!」
「待て!」
 男がチャッと猟銃を構え直す。
「仕方がない……」
 花月は呟くと――。
 リィィィン。
 弦は狩人の自由を奪った。――が、男はそれを引きちぎった。
「う、そだろ――」
 まるでサムソンである。花月は呆然と呟いた。
 だが、ショックを受けている場合ではない。花月は、さっきより男を強く弦で戒めた。
 相手の狙いは俊樹らしい。早く俊樹を安全なところに連れて行かなければならない。また男が狙って来ないとも限らない。
 そこで二人(一人と一匹)は十兵衛のもと――つまり我が家に逃げて来たのだ。
「しばらくはたどりつけないと思うんだけど――俊樹が危ない。僕達のいない間にここをかぎあてるかもしれないし」
「しかし、花月の弦を切るとは――」
 十兵衛は呻くように言う。
「その人は普通の人なのね?」
「はい。朔羅さん。見た限りでは。一般の人よりは体格が良かったですが」
「では、何かよほどの事情があるのかもしれないわね。人間は場合によっては凄い力を発揮するから」
 朔羅の台詞に、花月が同意する。「そうかもしれない」
「キツネノシンゾウねぇ……」
 マリーアが、小首を傾げる。
「ねぇ、ひょっとしてそれって……」
 彼女が言いかけた。だが――ドアの勢い良く開いた音で、中断された。
「もう来たのか!」
「僕の術を破って!」
 十兵衛と花月が、それぞれ驚きの声を出す。
 鍵をかけておくべきだった――けれど、もう遅い。
「狐を……狐の心臓を俺にくれ!」
 狩人の体のところどころついた傷からは血が噴き出している。花月の弦のせいだろう。
 その場の空気が張り詰めた。十兵衛も花月も朔羅も、場合によっては攻撃も辞さないそなえだ。
 男は猟銃を持っている。それでやられるような十兵衛達ではなかったが。
「俺は殺生は好まん。だが、俊樹に危害を加えるのなら、許さんぞ」
 十兵衛が怒りの炎を纏っている。
「俺もなるべくなら話し合いで決着をつけたい! 金ならいくらでも出す! さぁ!」
 狩人の目は血走っていた。だが、金の問題ではない。
 ただ一人冷静だったマリーアは、仔細ありげに狩人を眺め回した後、振り返ってこう言い放った。
「ねぇ、どう? この人の訳も聞いてみない?」
「え……しかし……」
 十兵衛が言い淀んだ。
「ね? 俊樹ちゃんが心配なのはわかるけど」
「なるほど。確かに理由もなく俊樹が危機にさらされた、というのでは、納得できんからな」
 十兵衛は頷いた。
「僕も、どんな言い分があるのか知りたい」
 花月はぎゅっと俊樹を抱き締めた。
「ああ……」
 男は言葉を失った。
 俊樹には、こんなに彼を愛している人々がいる。それがわかったからだろう。
「娘が、病気なんだ」
 やがて、狩人が訥々と語り始めた。
「娘の病気を治すには、『狐の心臓』が良いと聞く。だから、その狐――俊樹くんだったか――の心臓を奪おうとした。いろいろ俊樹くんのことも調べもした」
「そうだったのか……」
 花月は、哀しげな顔をした。この男は、娘の為ならどんなことでもするに違いない。
 その気持ちはわかる。彼にも俊樹がいるのだから。
「だが、俊樹くんには、こんなに俊樹くんを想ってくれている人間がいる。俺が間違っていた。すまなかった。――許してくれ」
 男は、膝をついて、ぽたぽたと涙を落した。彼は目元を拭う。
「――……早く言ってくれればよかったのに」
 花月は男に手を差し伸べる。
「言ってたら、その狐の心臓はもらえたか?」
「そんなことはさせない。だが、別の方法を、みんなで考えられたかもしれないじゃないか?」
 花月はにっこりと笑った。
「そうか――君は、見た目は少女のようでも、いい男だな――」
「ありがとう」
 男は花月の手を取った。
「しかし、他の方法と言ってもな――」
「あのね、おじさん」
 マリーアが横合いから口を出す。
「マリーア……九十九歳の貴様が、この男に向かって『おじさん』はないだろう?」
「ええっ?! きゅっ、九十九歳?!」
 十兵衛の言葉に、男は肝を潰したらしかった。マリーアは、男の目にはどこからどう見ても、二十代の娘としか映らない。
「十兵衛くん、黙って。狐の心臓というのは、俊樹くんの心臓とかいう意味ではないのよ」
 マリーアは続けた。
「『キツネノシンゾウ』という、万病に効くキノコがあるのよ」
「キノコ? キノコだって?!」
「そうよ。今持ってくるわね」
 マリーアはバスケットから、得体のしれないものを取り出す。
 だが、それは、確かにキノコだった。
「これで作った薬は、あらゆる病に効くというの」
「そんなキノコが……あったのか……キノコだとは思わなかった。盲点だった……」
 そして、男は、また花月達に謝った。
「すまん。君達。大事な子供を亡くしたくない気持ちは、誰よりもよくわかっているつもりだったのに……」
「いえいえ。いいんです。誤解だとわかったんだから」
「早く良くなるといいわね、娘さん」
「マリーアの腕は確かだ。治してもらえ」
「治してもらうの~」
 俊樹がひょこっと男の前に現われた。
「ああ……君を殺さないで、本当に良かった」
 男が俊樹の頭を撫でた。俊樹が嬉しそうに、「きゅっ」と笑った。
「じゃあ、薬を作るから、あなた、私の店に来てくれない」
「ああ、頼む」
「じゃあね、俊樹くん。今度いっぱい遊んであげるから」
 マリーアが別れの挨拶をして、パタン、と家の扉が閉まる。
「良かった……」
 花月が涙ぐんだ。
「よかったー」
 俊樹も言う。
「それより、どうするんだ、これ……」
 十兵衛は、マリーアの土産を少なからず持てあましているようだった。朔羅は微笑んでいた。

 そしてその後、男の娘は回復に向かい、毎日元気に走り回っているそうな――。

後書き
ちょっとできあがるのが遅くなってしまいました。
風魔の杏里さんが考えた、きつねとちきを使って書いた小説です。
ちょっと一カ所、引っかかるところがあったので、直していたら、時間がかかってしまった……。
花月の弦は本当はもっと強いのです。多分、普通なら破ることはできなかったでしょう。
この小説は杏里さんに捧げます。
2010.8.15

追記
『キツネノシンゾウ』というのは、私の創作です。
風魔の杏里さんによれば、ジギタリスは『狐の手袋』と呼ぶそうですが。多分これはキノコではないでしょう。

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