最良の道

余は、第二十三代バルバッド王国・国王・アブマド・サルージャ……
……だった。ついこの間まで。
僕は弟どもに王位を退けられたのでし。
でも……。
仕事から帰る途中、僕が感慨に耽っていると、わーっと童達が目の前を横切って行ったでし。
一人のおなごが転んだでし。
「痛いよぉ……」
「大丈夫でしか?気をつけるでしよ」
そう言って僕はおなごを起き上がらせてぽんぽんと土を払う。
「ちょっとすりむいているようでしが、大したことないでし。気になるようなら後で医者に診てもらうでし」
「うん、ありがとう、アブマドお兄ちゃん!」
おなごは元気に走り去って行った。
……僕もこの島にすっかり打ち解けることができたでしかねぇ。
「あの……」
さっきのおなごより落ち着いた声が聞こえたでし。
「おお、メルでしか」
メルは今年で十八歳。ぺこり、と僕に向かって挨拶した。誰にでも好感を持たれる美女でし。
「あ……あの……」
何か言いたそうでしね。
「どうしたでし?メル」
「きゃあっ!」
メルは顔を背けた。
「そんなに見つめないでください……」
僕の頭の中は、はてなマークでいっぱいになったでし。
「アブマドさん……このパン、私が作ったんです。食べてみてください」
「おお、いっぱいあるな。サブマドや子供達と分けていいでしか?」
「あ、あの……私はアブマドさんに食べて欲しくて……」
「あー、うまそうなにおい」
おお、さっきの童達。
「皆で食べるでし。でも、その前にメルに感謝するでし」
「メル姉さん、ありがとう」
「い……いえ……こんなことぐらい……」
メルは走り去った。ちらとこちらに目をくれて。
「どうしたんでしかねぇ、メル。一緒に食べると楽しいのに」
「アブマドさん……」
童の一人、サノスがふかぁく溜息をついた。
「メル姉さんはアブマドさんが好きなんだよ。それなのに、全くニブいんだから」
「え……」
僕は硬直した。……それから体中の血が頬に上った。
モテたでし……。
生まれて初めてモテたでし……。
前にあわや他国の皇女を娶る話がまとまりそうだったでしか、もし僕が当時バルバッド王でなかったら最初からなかった話でしからねぇ。
嬉しい、でしなぁ……。
「サノス、これも皆で食べるでし」
まだ口をつけていない焼きたてふかふかのパンを差し出した。
「やりっ!でも、アブマドさんは食べないの」
「ちょっと……食欲ないでし」
胸がいっぱいで。

夕空から藍色へ空が染まる。
トランの島の空は綺麗でしなぁ……。やはりここに来て良かったでし。
僕は夜空を眺める。王だった頃は、富を貪るばかりで月や星を見上げる心の余裕もなかったでしからねぇ。
「アブマド、今日は俺んところに泊まりに来い」
「ありがとう、感謝するでし」
「アブマド兄さん……」
僕のすぐ下の弟、サブマドが現れた。
「サブマド、話がしたいでし」
「うん、兄さん」
「というわけで、行ってくるでし」
「早く帰って来いよー」
僕とサブマドは木々がところどころ繁る道をてくてく歩いた。
「サブマド……嬉しそうでしな」
「え?だって、兄さんが変わったから……いや、戻ったというべきかなぁ、昔の優しい兄さんに」
「……ふん」
サブマドはまた微笑んだ。
僕を歪めたのは、末弟アリババへの嫉妬だった。
アリババは僕にないもの全てを持っていた。王としての才覚、人望、カリスマ……あの男は全てを持っていたのでし。そして……僕、いや、僕とサブマドが決して受けることのなかった親の愛まで……。
王にアリババを推す者も少なくなかった。
僕はアリババに負けない王になりたかったのでし。そこを銀行屋につけこまれ……危うくバルバッドを奴隷産出国にするところだったでし。
バルバッドが共和制になった後、僕はシンドリア国の王、シンドバッドおじさんの計らいでトランの島に落ち延びた。シンドリアの考古学調査団として。
このトランの島には僕達を王族扱いするものはいなかった。しかし、僕達を馬鹿にする者もいなかった。
生まれて初めての解放感。そしてトラン語。
トラン語だけはアリババにも負けてなかったのでし。謎と神秘のトラン語は僕を魅了したのでし。
今、僕はトラン文化の研究をしているけれども、これが僕の最良の道、天職だったのでし!
シンドバッドのおじさんには……いずれ礼を言うでし。僕の暴走を止めてくれたアリババ、そして傍らにずっと付き添ってくれたサブマドにも。
「サブマド……ありがとうでし」
「え?え?」
やはり唐突でしか……。
宴の音楽がここまで届いてくる。
人々の笑い声。乾杯の音頭。程よく酒に酔った者達の踊り。朝になったら市場の賑わい。立ち上るかまどの煙、ご馳走の匂い……。
人々は生活を楽しんでいる……それが生きるということ。
「ありがとう、おまえ達……おまえ達は僕に、大切なことを教えてくれたでし……」
溢れそうになる涙をぐっとこらえた。
「サブマド……」
「何だい?兄さん」
「月が……眩しいでしなあ」
僕達はいつの間にか、昔のように手を繋いでいた。

「お帰りー、アブマド!サブマド!」
集落に帰ると、今や僕の良き仲間となってくれた人々が迎えてくれた。
「ほら、メル、アブマドが帰ってきたら言いたいことがあったんだろう?」
「僕にでしか?」
僕は無理矢理メルの隣に座らされる。
「あ、あの……アブマドさん……もし良かったら今度遺跡に連れて行ってくれませんか?」
「ダメでし。それは僕の一存では決められないでし」
一気にその場が冷えた。
「そ、そうですよね、私ったら……」
あ、僕は何か失敗したようでしね。女の子の扱いには慣れてないでし。厄介なものでし。でも……今はどこの国の王でもない僕を好きになってくれたんだとしたら……僕は……。
「遺跡には連れて行けないけど……この辺りを一緒に散歩するくらいだったらいいと思うでし」
僕がそう言うと、メルの表情が明るくなった。
「はい、……はい!」
「近いうち休みをもらって……その……デートするでし」
「……はい」
さっきの反動で歓喜のうねりが周りを巻き込む。サブマドや仲間達が拍手で祝福してくれる。だけど僕に笑顔を見せてくれたメルが誰よりも輝いて見えた。

後書き
アブマド主人公のお話です。
10巻で彼を見直しましたよ! 心の奥底は腐ってはいなかったのね!
マギ6巻のおまけマンガで見た紅玉たんのお相手は痩せてかっこよくなったアブマドというオチかもしれない……。
私は物書きなんで(趣味の範囲でだけど)、想像の翼を広げてみましたがどうでしょう。
今日11巻を買ってきました。
2013.4.7

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