おお振り小説『らーぜの夕涼み』

 西浦高校野球部の面々が、ランニングをしている。
 浴衣を着てはしゃいでいる女の子二人とすれ違った時、田島は彼女らに目を留めた。
(浴衣かー、いいなあ)
 モモカンや篠岡の浴衣姿を見てみたいし、自分でも着てみたい。
「なあ、三橋。浴衣っていいよな」
「え? あ、うん」
「いつかさ、みんなで夕涼みしたいな」
「で、でも……俺達には野球があるから……」
「野球があるから、夕涼みは無理?」
 田島が訊いてきた。
「だって、休むわけ、いかないし」
「おー、休めればいいんだな」
 そう言って、田島は、彼らの前を走っていた女監督のそばに行った。
「モモカーン! おやすみくっださーい!」
「何言ってるの、田島君」
 夏大で負けたとは言え、やることは山程ある。
「いーでしょー? オレだって一夏の思い出作りたいもん!」
「まあねぇ……気持ちはわかるけど……」
 ちなみに、この会話は、走りながら行われているのである。二人とも、全くスピードが落ちていない。
「じゃあ、明日は五時から自由時間だよ!」
「やった!」
「ただし、真面目にしなさいね、田島君」
 モモカンが念を押した。

「明日夕涼みするぞー!」
 田島の声に、らーぜ達はぎょっとした。
「オレ、せっかくだから休みたい……」
「何ジジむさいこと言ってんだよ! 花井!」
 田島がバンバンと花井の背中を叩いた。
「で? どこの家行く?オレん家でもいいよ。それとも、三橋の家?」
 田島はいつも通りハイテンションだ。
「お、オレ……阿部くん、の、家が、いい、な……」
「三橋……」
「シュン、くん、にも、会いたい、し……」
 阿部はガクーッと肩を落とした。それを見て、花井は、
「不憫なやっちゃ……」
 と同情した。
 それを物陰から見ていた少女が一人……。
「一緒に行きたいの?千代ちゃん」
 モモカンに声をかけられて、マネージャーの篠岡千代は、
「あ、あの……はい……」
 と答えた。
「じゃあ、行動しなきゃ。――田島くーん! 千代ちゃんも入れてくれるー?」
 モモカンは大声で言った。
「待ってましたー!」
 田島が手を上げた。
「今、水谷と、篠岡の浴衣姿が見たいなーって話してたんだよ。モモカンも来ない?」
「んー、私は仕事があるからなあ」
「ちぇーっ」
「篠岡、浴衣着てくんだろ?」
「え?そう言われても……」
「なあ、阿部。阿部も篠岡の浴衣姿見たいだろ?」
 水谷は近くにいた阿部に同意を求めた。
「別に、オレはどうでも」
「空気読めよ、阿部ー。そう言う時は、嘘でもいいから『見たい』って言うもんだぞ!」
「……阿部って、三橋以外には結構冷たいよな……」
「無関心なだけだろ?」
 水谷、栄口、泉が口々に言う。
「あ、私、普通の服着て行くから……」
 篠岡はぱたぱたと走って行った。
「阿部ー……おまえのせいで篠岡の浴衣姿見損ねたぞ」
 水谷がぶすくれる。
「なんでオレのせいなんだよ」
「まあま、二人とも……」
 栄口が止めに入ろうとする。
「ほっとけ」
 と、花井。
「憐れんで損したからな、オレ。三橋も阿部も、どっちもどっちだ」
「三橋? ああ、阿部とはいまいち気持ち通じてないような気がするな」
「――阿部も国宝級に鈍い奴だ。悪いこと言わんから、ほっとけ」
「……そうだな」
 栄口は、ぎゃあぎゃあ言い合っている二人を後目に、バットを抱え始めた。要するに、見捨てたのだ。

 次の日の五時。
「わーい! 今日の練習おーわり! 浴衣着ようぜ! 花火やろうぜー!」
 オレ、買ってきたんだーと、田島は得意そうに花火パックをバッグから取り出す。
「家にもたくさんあるんだぜ!取ってくる!」
「元気でいいよな……田島は……」
 そう言いつつも、花井は呆れ顔だ。
 戻ってきた田島は、紺の浴衣姿だった。
「なあなあ、どうだ?みんな」
「田島君、似合う」
「ありがとよ、三橋ー!」
 田島は、人の背中をバシーッと叩く。
「おーい、花井! 見てくれ! これ!」
「縁日に行く時の小学生だな」
「小学生はないだろー?」
 田島が唇を尖らす。
「あの……」
 意外な人物の登場に、みんなが一瞬目を見張った。
 沖だ。彼は、水色の浴衣を着ている。
「なんだー、似合うじゃん、沖」
「沖君、かっこ、いい」
「へぇー、様になってんじゃん」
「みんなを驚かそうと思って、持ってきたんだ」沖は嬉しそうだ。
「これで、篠岡も浴衣だったらなあ……」
 水谷は未練がましく呟く。そう言う水谷の私服は、赤いタンクトップにジーパンなので、人のことは言えないのであるが。
「つーかさあ、おまえらいつもよりオシャレでない?」
 栄口が口を出す。
「そりゃあね」
「せっかくの夕涼みだから」
「ずるいぞー!」
 栄口の剣幕に、思わずらーぜは逃げ出した。
「まあまあ、栄口君。私もこんな格好なんだし」
 そう言って現れたのは、西浦高校野球部のアイドル、篠岡千代。白いシャツに橙色のスカートだ。
「おー、篠岡は何着ても似合うなー」
 水谷はへらりと笑う。
「んじゃ、行こうぜー」
「おう!」
 田島の音頭にみんなの息が揃った。

 阿部の家。
「皆さん、いらっしゃい。ほらタカ。アンタも手伝いなさい」
 阿部母の言葉に、阿部が、
「へーい」
 と気のない返事をする。
「あっ。いいっすよ。オレ、手伝いますから」
 花井が申し出た。
「あら、お客さんに手伝ってもらうなんて悪いわ」
「オレ、結構慣れてますから」
「聞いた?ちょっとタカ。アンタも見習いなさい!」
「へいへい」
 阿部と入れ代わりに、シュンが出てきた。
「こんにちはー、田島さん、三橋さん。と、えーと……」
「西浦高校野球部員です」
 そう言った後、みんながわらわらとシュンに自己紹介する。シュンは、いっぺんには覚えきれないようだった。
 だが、態度の丁寧さは崩さず、少しの間雑談した後、
「皆さん、兄を宜しくお願いします」
 と言った。
「おー、初々しいねー」
「阿部の弟とは思えないな、ほんと」
「誰の弟とは思えないって?」
 どすの効いた声と共に阿部が現れた。
「あ、阿部、聞いてたの……」
「まあな」
 田島が阿部の周りをうろちょろして、自分の着物も確かめる。
「オレの真似?」
 確かに無地の阿部の浴衣と、トンボの絵柄の田島の浴衣は、色こそ似てはいるが……。
「これしかなかったんだよ」
 と、阿部はぶすっと言った。
「あ、あべ、くん、かっこ、いい……」
「そうか?」
 三橋に褒められると、阿部は悪い気はしないようだった。

 空は藍色に染まっている。
 栄口が持った線香花火がパチパチとはぜる。沖はそれを笑顔で眺めている。三橋達は、縁側の椅子に腰を掛ける。篠岡が自分の団扇を持って、阿部と三橋の話に聞き入っている。それを和やかに見ている水谷。西広と巣山と泉は、野球の話をしている。田島は、バケツを持ちながら、ロケット花火で遊んでいる。
「おーい、麦茶だぞー」
 花井がやってきた。
「おい、田島! 人様の家でロケット花火は危ねぇだろ!」
「ぎゃははは! 花井お母ちゃんが怒った!」
「誰がおまえの母親だ!」
 ロケット花火が終わった後。
「みなさーん。写真撮りますよー」
 シュンがカメラを構えている。
 三橋はカメラに驚いている。でも、阿部を無視もできないらしい。他の部員達は、気付いていたり気付かなかったり。田島がカメラを覗き込み、花井は麦茶の入ったコップをひとつ落とした。
「せーのっ」

 カシャッ!



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