バスケは捨てられない

 ピンポーン。――部屋のチャイムが鳴った。
「へーい。今開けるから待っててくれよー」
 気のない返事で虹村修造は玄関に向かった。今日は家族は全員いない。虹村だけが家に残っていた。
「にじむらぁ……」
 泣きそうな顔で立っていたのは、灰崎祥吾であった。
「なっ……灰崎……!」
 灰崎は虹村の胸に抱き着いた。――酒臭い。
(こいつ……酔ってやがる)
 チームメイトとして長い間(でもないか)付き合ってきた灰崎だが、酔うと泣き上戸になるとは知らなかった。
「おい、待てよ。今、水を……」
「なぁ、何でオマエあん時辞めちまったんだよ! 主将をよぉ!」
「はぁ?!」
 そんなの、ずっと前の話だ。
 灰崎にだって、虹村が主将を辞めた理由がわかっているはずだ。灰崎の怒りは全く子供の理不尽ささながらだった。
 それに――今は帝光中のバスケ部は現主将赤司征十郎の統率の元、中学最強の名を恣にしている。しかし、そこに灰崎の姿はなかった。赤司に強制退部させられたのだという。
 灰崎は普段から素行が悪かった。強かったが、そういった部分は認められない。虹村も何度かヤキを――いやいや、注意と言う名の制裁を加えたことがある。
 けれど、彼を嫌いなわけではなかった。傍若無人で我儘だったけど……可愛い弟分のように思っていた。
 部活を怠けるなんてとんでもない。だが、それを敢えてする灰崎が羨ましかったのかもしれない。灰崎は女にもよくモテた。どこがいいのかわからないが。
 ……いや、灰崎のいいところはよく知っている。自分が心を開いた者には絶対に逆らわない。少なくとも自分には懐いていた、と虹村は思う。
「虹村ぁ……オレ……オレ……」
「オレオレじゃわかんねぇだろ。――汚いけど、上がっか」
「うん……」
 虹村は畳敷きの居間へ灰崎を通した。灰崎は物珍しそうにきょろきょろしている。――親がいなくて良かった。虹村は故もなくそう感じた。
「虹村サンてこんなトコに住んでんすね」
「おう。こんなところで悪かったな」
「いや、そうじゃなくて……」
 こいつが下手に出るなんて珍し――くもないか。虹村が主将だった頃、灰崎の手綱は虹村しかさばけない、とよく言われていた。
 反抗するくせに、どこかで虹村を信頼していた。だから、灰崎は彼が好きらしかった。
 そして、虹村もまた――。
 胸が熱い。
「取り敢えず座っとけ……って、もう座ってるか」
「考えてみるとオレ……虹村サン家って初めてだな」
「汚ねぇだろ?」
「そんなこと……ないっす」
 何だか彼女を家族のいない間に連れてきた時のような居心地の悪さを感じる。それを振り払うように、虹村は、
「水、持ってくる」
 と、台所に向かった。
 蛇口をひねって水をコップに入れる。灰崎はこくこくと水を飲んだ。
(こうやってれば可愛いんだけどなぁ……)
 口を開けば憎まれ口の嵐だった灰崎を思い出す。でも……時々甘えかかられるとどうしていいかわからなくなる。
(手のかかる猛獣だよ、全く)
 虹村はコップを傾けている灰崎の姿を見つめていた。
「――ごっそさん」
「何か食うか? パンがあるけど。おやつにポテチもあるぜ」
「う……」
 何か言うのもしんどいくらい飲んだらしい。自分で酒量を計れない灰崎に虹村は些か呆れた。
 しかし、それを言うのは中学生の灰崎には酷かもしれない。
「水。もう一杯」
「はいはい」
 虹村はまた水の入ったコップを持ってきて灰崎に渡す。灰崎が水を飲む姿をまた虹村は見つめる。喉仏が動いている。
「ふぅー……わりぃな。ちょっと生き返ったわ」
「おい、灰崎」
「あん?」
「寝るか? 布団なら出してやるからよ」
 自分の台詞に頬が熱くなる。
「――聞かねぇのかよ。何かあったのかって」
「……大体察しはついてる」
 こいつは――こいつも本当はバスケが好きなのだ。
 せいせいいしただの、これで大っぴらに遊べると半ば公言していたが――かなり無理をしていたらしい。
 赤司は虹村以上に非情な男になっているようだ。虹村は以前の、赤司の優しさやカリスマを見込んで主将の座を譲ったのだが。
 赤司が黒子みたいな異人種の才能を導き出したのはどうしてだか今でもわからないが……それが、虹村と赤司の差であり、赤司の方が主将に向いていたということなのであろう。虹村もそれを知っている。
「オレ……昔に戻りてぇ……アンタらとバスケしてた頃の……いや、バスケを始めた頃に……」
 今夜の灰崎は多少愚痴っぽくなっている。好きで始めたバスケ。けれど、灰崎が味わったのは苦い敗北の味だった。
 灰崎にも、キセキの世代にもそれぞれ事情があることを元主将として嫌というほどわかる虹村ではあったのだが……。
 こんな灰崎は見たくない。
 つっかかっても、ケンカ売られても構わないから、いつもの灰崎に戻って欲しかった。
(でないとオレは――)
 何をするかわからない。これが灰崎の本当の姿なのだとしても――。
 なんという頼りない姿だろう。なんと子供みたいな姿だろう。なんと――愛らしい姿だろう。
 だが、この想いは秘めなければならなかった。――おそらく、一生。
 灰崎にはこれから彼なりの人生が待っているだろう。
 だが、今、彼は虹村に縋り付こうとしている。ここで間違えたら、ここで外したら、オレは生涯後悔するだろう。
「灰崎」
 虹村はとっておきの微笑みを見せた。
「――バスケ、やろうぜ」

 秋の風は冷たかった。
 虹村は灰崎と近くのコートに来た。反抗されるかと思ったが、案外素直についてきた。
「来いよ。灰崎。今のオマエじゃ、オレから一回もボールを取ることができないぜ」
「んなろ……」
 虹村は自分の脚と脚の間にボールをくぐらせながらドリブルをする。灰崎は、いつも皆に見せているような狼の目に戻った。

「ん?」
「どうしたの? 大ちゃん」
 青峰大輝が何かに気が付いた。桃井さつきが青峰の異変に気付く。
「ひょっとしてあいつ――いや、まさかな」
 青峰は灰崎の姿を見たと思ったのだが、灰崎はバスケを辞めたはずだ。確かにバスケを辞めたはずだが、もしかすると――青峰の口元には微かな笑みが浮かんでいた。
「何でもねぇ。――行くぞ、さつき」
「う……うん」

 灰崎の足はふらついていた。飲んでいたのと同様に、だいぶ衰弱していたらしい。確かに虹村からボールを奪うことができなかった。
「畜生……畜生……アンタ……強くなったな」
「当たり前だ。こっちはハードな練習に耐えて鍛えてるんだ。オマエが酒と女とケンカに酔いしれている間にな。オマエは自分の気持ちに体がついていかないんだ」
(――てぇ)
「は?」
「何でもない」
 虹村の聞き間違いでなければ、確かに灰崎は近づきてぇ、と言った。バスケを学校で続けるのは、帝光中ではもう無理だろうが。
「オレなんか追い抜けよ。灰崎。帝光中の奴らもよ」
「……ムリ言ってんじゃねぇよ、バーカ」
 灰崎はコートに寝転がって涙でぐちゃぐちゃになった顔を腕で覆った。泣いたせいか、その声は掠れていた。こいつはバスケを捨てられない。元帝光中バスケ部主将のカンで虹村はそう思った。
「風引くぞ。とっとと起きろ――灰崎」

後書き
虹灰、好きです! 今回の話は後半原作の木日そのまんまですが(笑)。
青峰が灰崎に好意的。
虹灰、また書きたいなと思います。
2014.3.12


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