ピンチチャンス!

「あーかしっ♪」
 馴れ馴れしく肩を叩かれた。秀徳高校の高尾だ。この赤司征十郎に気安く話しかけることのできる存在は案外少ない。年上の日向さんでさえ、オレには恐縮してたのに……。
「今日の練習、すごかったぜ」
「はぁ……」
 どこが凄いんだかわかりゃしない。それは、前よりも――というのは、中学時代よりも――成長したことは確かであるが、オレ達は実力をまだ出し切っていない。緑間の相棒もこの程度か。
「でも、ちょっと違和感ありましたね。それに、伸びしろもまだまだあると思いますし」
 前言撤回。やはりこの男にもわかるのだ。オレ達が完璧でないことを。いや、オレは、完璧の上を行く完全を目指している。人を見くびってはいけないな。伊達に緑間の相棒を張ってるわけではないってことか?
「高尾君」
「やーだなー。高尾でいいっスよ」
「高尾」
「なぁに、赤司……って、うぇっ? 真ちゃん? ――まぁ、真ちゃんが寂しがってるから、また後でねー」
 高尾は手を振った。今のは空気を読んだのだろう。緑間がオレに妬いたのも事実だろうが。緑間も性格が丸くなった。高尾のおかげだろうか。何となく人を和ます能力が、高尾にはある。
 しかし、高尾と四方山話をしている余裕はなかった。オレが振り向くと、日向さんと相田監督がディナーを食している。オレから見たら腹を満たすだけの簡素な食事ではあるが、味はそんなに悪くない。
「日向さん。相田監督」
 日向さんが目を瞠ってこっちを見ている。相田監督が笑った。
「リコでいいわよ。赤司君」
「でも、そちらの方が目上ですし……」
「一年しか違わないじゃないの」
「じゃ、オレ、邪魔だろうからちょっと向こう行ってるわ……」
 日向さんはオレが苦手らしい。オレの方は日向さんとちょっと話をしてみたくもあるが。まぁ、日向さんもそのうちオレに慣れるだろう。
「相田監督――今日の試合見て、連携にズレがあると言いましたね」
「ああ。確かに言ったわね。一週間でどれだけ完璧に近づけるか……」
「オレの目指すのは完全です!」
「まぁ、頼もしいこと――気に入ったわ!」
 相田監督が感心したように手を叩いた。悪い気はしない。年下扱いされたのはあれだけれど。
「そうだぞ。赤毛のチビ」
 ぬっと大きい影が差した。
「パパ!」
 相田リコ監督の実の父親、全日本でも戦ったキャリアを持つ相田景虎である。
「ヴォーパルソーズも今のままではまだまだだ」
 VORPAL SWORDS――それがオレ達のチーム名だ。Jabberwockを斃すなら、無敵の剣、VORPAL SWORDしか有り得ない。『鏡の国のアリス』か――オレはトレイを置いたまま、ふぅっと溜息を吐いた。
 自分が確かにバスケットマンとしては身長が低い方なのは認める。けれど、チビは止めてくれないか。景虎さん。オレだってこの身長には密かにコンプレックスを持っているのだ。あまり言いたくないことだし、言っても聞かないだろうけど。
「でも、一週間で完全を狙うのは難しいぞ」
「覚悟の上です」
「――ふぅん。お前さん、ちょっとあの透明少年に雰囲気が似てるな」
 それは黒子のことか。
「光栄です」
 何しろ、火神と黒子はオレを負かしたことのある奴らなのだから。火神――そして黒子なくしては完全はあり得ない。
「リコたん。パパと一緒に食べような」
「パパ、その呼び名はやめてって言ったでしょ!」
「えー、でも、リコたんはパパのリコたんだし」
「もう子供じゃないの。行きましょ、赤司君」
「はい!」
 オレは相田監督についていった。景虎さんは一人寂しく食事をしていた。あの赤毛のチビにリコたんは渡せない。いやいや、ああ見えて良家の御曹司だ。リコたんの相手にはもってこいかもしれん。ああ、でも、オレはいつまでもリコたんを独り占めしていたいよ、と、食べながらもぶつぶつ呟く。――相田監督も苦労するな。あんな父親を持って。
「パパったらいつまでも私を子供扱いしたがるんだから――私にだって彼氏の一人や二人ぐらい……」
「――恋人、いたんですか?」
「まぁね。でも、相手がパパに殺されたりなんかしたら寝覚めが悪いから内緒ね」
「わかりました――桃井が敵方のデータを集めてきました」
「すごい書類の量ね。桃井さんもやるじゃない」
「元帝光が誇る情報収集のスペシャリストですからね」
 オレはちょっと得意になった。
「けれどもオレは――この勝敗の鍵を握っているのはむしろオレ達だと思っています」
「その通りよ。赤司君。完璧を狙うにしても、完全を目指すにしても、今のままでは――」
「わかってます。オレ達が一致団結しなきゃ勝てない相手、でしょう?」
「チームワークが最大の難問ね。みんな好き勝手にプレイしてきた人達ばかりだから――」
「む、耳が痛いな」
「赤司君は問題ないわよ。むしろ他の四人ね。絆が深まるあっという出来事が起こるといいんだけど」
「まさか、そうそう簡単には――」
 だが、起きたのである。オレ――いや、オレと相田監督が待っていたあっという出来事が。
 それは六日目のことであった。景虎さんがへろへろになって六本木のキャバクラへ行くと――黒子がいない! 青峰や黄瀬、緑間、火神、紫原達と一緒にキャバクラへ駆けつけると、黒子がナッシュに蹴りを入れられたのが見えた。
 かっと血が沸騰するような怒りが燃えた。だが、オレは頭に血が上るとかえって冷静になる性分であるらしい。中学時代、
「だからお前は怖いのだよ」
 と言った緑間の台詞を思い出す。
 だが、これだけははっきりと決意した。こいつら――地べた舐めさせてやる。世の中を甘く見ている下衆野郎が。
 尤も、オレ達も中学時代点取りゲームとか点数をぞろ目に揃えるゲームとかして――いうなれば相手を甘く見たゲームをしていたのだから、人のことはいえないかもしれない。けれど、だからこそだ。
 お前らに敗北を味わわせてやる。オレも体験した、あの苦い敗北の味を。
 取り敢えず黒子を連れて帰る。黒子のしたことは正しいとは思えない。少なくとも今回は。けれど、先輩達に対する侮辱も頭に来ていたのだろうな、彼は。それだったら、オレもわかる。樋口さん達の存在はいまいち遠かったけど――黒子は大切なオレらの仲間だ。傷つけられて怒るな、という方が無理だろう。
 合宿所に帰ってくると高尾と日向が出迎えてくれた。
「わっ、どうしたの? 皆、怖い顔して――真ちゃんが連絡入れてくれなかったもんだからさぁ……」
「すまん。でも、それどころではなかったのだよ」
「遅いなぁって、高尾と若松と話してたところだったんだ。――どうした? 黒子」
「ナッシュに蹴り入れられたんス。強烈なヤツ」
 火神が日向さんに話す。
「マジか……あいつら、それでもスポーツマンか?」
「そんな台詞は、あの人達には通用しないと思います」
 苦しい息の下から黒子が答える。日向さんが呟く。
「あいつらに少しでも反省させるには――反省する脳味噌があればだが――戦って勝つしかない……か」
「取り敢えず医務室行こ、黒子」
「すみません。高尾君」
 主要メンバーがいなくなった後も、オレと緑間は何となくその場に突っ立っていた。皆、黒子のことを心配している。本気で。勿論、オレもだ。それも成長の証かもしれない。
「緑間――いい嫁さんをもらったな」
「た――高尾のことか? でも、今の世の中でも同性が結婚できる場所は限られているのだよ」
 緑間真太郎は本当に真面目な人間だ。その真面目さは滑稽ですらある。猫はユーモアを解しない。確か『夏への扉』であったろうか。緑間は、この本は猫好きにしか興味がないだろうと言っていた。オレにはまた別の感想があるのだが――。
「それに、まだ未成年で高校生でもあることだし――」
「わかったわかった。お前が高尾を愛してるのはよくわかったから」
「あ、愛して――?」
 緑間は固まってしまった。この男をいじるのは面白い。だが、今はそれどころではなかった。
「行こうか。医務室へ」

 黒子の怪我は思ったより大したことはなさそうであった。黒子自身も、一晩寝れば治ります、と言っていた(勿論、医務担当の者のお墨付きである)。火神は医務室で仮眠を取るらしい。心配なのだな。相棒のことが。いや、恋人と言ったらいいのだろうか。桃井は「私もいる!」と駄々をこねたが、結局、火神と医務の先生に任せることにしたようだ。
 火神と黒子も相棒――いや、恋人同士である。火神は壁に寄り添ったまま寝てしまった。
「じゃあ、後はよろしくお願いします」
 と、高尾は医務室の先生に告げ、オレ達と一緒に出て行った。
 それぞれのメンバーを互いによく知る為に(キセキの世代は中学時代からの仲間であるが、今、関係を結び直す為に)、一日毎に部屋のメンバーが変わるようにしてある。尤も、女子組はずっと同じ部屋で寝泊まりしているが。
 オレは今夜は緑間と高尾と同じ部屋にいる。作戦を練っているうちに朝日が昇った。オレ達は若いのだから、一晩寝ないくらい何でもないが、それでも30分間だけの体の休息は取った。話している最中、オレは緑間に言った。
「訊きたいことがある。緑間、そのウィッグはどこで買ったんだい?」
 これは地毛だ!と緑間は怒るし、
「真ちゃん、こんなところでもヅラ疑惑!」
 と高尾が腹を抱えて笑っていた。ああ、いいな。こういうのも。オレはずっと皆から一目置かれる状態であったのだから。敗北を知ることで何だかオレは一回り大きくなり、生きるのも楽しくなったような気がした。
 VORPAL SWORDSはひとつのチームになる。オレは確かな手応えを感じた。

後書き
オレ司様の一人称。
ちょっと時期を逸したかな? ジャンネク発売おめでとう!
ヴォーパルソーズがんばって!
2015.5.8

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