OVER THE TROUBLE

 マシューは、今日の夕食何にしようかな、と考えながら、のんびりぽくぽく歩いていた。
 車が、彼の横にすーっと止まった。黒服の男が出て来た。
「――アルフレッド・ジョーンズだな?」
 男は英語でそう言った。低い声だ。マシューにも、その言葉の意味はわかる。
「違いますよ。僕は……」
 マシュー・ウィリアムズです。笑顔でそう続けようとした時だった。
「うっ!」
 腹に一発、食らって気絶した。
 男達は、意識のなくなったマシューを車の中に引きずり込んだ。

「だからぁ、僕はアルフレッドじゃないんですってば!」
 どこかの木造小屋の一室である。もう夜も更けていた。マシューは、銃を持った男達に取り囲まれていた。四、五人というところだろうか。
 くくりつけられた縄が、彼の自由を奪っている。
「本当にアルフレッドか? こいつ。なんか情けないぜ」
 汚れたベストにスボン、バンダナというくだけたなりをした男が言った。
 リーダー格の黒服男は言った。
「アルフレッド・ジョーンズに間違いない」
「だから、僕は違うんだってばぁ……」
 マシューは泣き出した。今ほど、アルフレッドと同じ顔なのを恨んだ時はない。
「しかしな……アメリカ政府は、『アルフレッドは誘拐されてない』と言ってたぜ」
「捨てられたな」
 男は、唇の端を皮肉げに歪めた。
(当たり前だよ! だって、僕はアルフレッドじゃないんだもの!)
 そうだよ! あんなヤツに似てたまるもんか!
 あんな、自分勝手で我がままで、傍若無人で……。ああ、でも、あんなアルにも、もう会えないのか……。
 マシューの目から、涙が零れ落ちた。
 好きだった。アルフレッド。もう会えない。
「政府も馬鹿だな。こいつが死んだら、自分の国が滅びるというのに。自分で自分の首を絞めるようなもんだ」
 ああ、そうだ! マシューは目を見開いた。
 僕が死んだら、カナダという国はなくなる!
 いっつもへなちょことか、いるかいないかわかんないとか馬鹿にされるし、アルフレッドにはひどいめに遭わせられてばかりだけど、それでも僕はカナダ。ひとつの国なんだ。
 ここで、死にたくない。死ぬわけにはいかない。
 時間を稼ごうと、マシューは話をふった。
「あの……あなた達、何者ですか?」
「私達は、『赤い三月』というレジスタンスだ」
「嘘だ! どう見てもテログループじゃないか!」
 マシューは、叫んだ後、自分のうっかりさ加減を呪った。
「ふん。どうやら地が出たな」
「やりましょう。こんなヤツ」
「まぁ、待て。まだ本部に帰る前に、金を受け取らないとな」
 マシューは食い込んでいる縄を何とかしようとしていた。そこを見咎められ、
「何をしている!」
 と、銃口を向けられた。
「いや、あの……せめて縄、ほどいていただけませんか? 僕、逃げも隠れもしませんので」
「本当か?」
「本当です」
「気をつけろ。こいつはあのアルフレッドだぞ」
「見たとこまだガキだろ? ふん。こんなへなちょこ」
(またへなちょこって言われた! 僕、そんなに頼りないように見えるのか!)
 怒りが込み上げてきた。そりゃ、確かに気が弱い方かもしれないけど……。
 マシューは、縄の戒めから自由になった。
「いいのかよ、おい」
「どうせこいつの運命は決まっている」
 男達の台詞に、マシューは血が引くのを感じた。
(こいつら――どの道僕を殺す気なんだ)
 こうなったら、こちらから攻撃して――。
 いや、まだ駄目だ。敵がどのぐらいいて、どんな様子かわからない。それに、マシューもそんなに強くはない。
 すぐに諦めるのが、マシューの悪い癖だと、アルフレッドは言ったけど。
(くそっ! アルフレッドめ! 死んだら祟ってやる!)
 その時、がたんっ!と大きな音がして、辺りは煙に包まれた。
「な……何だ?」
「発煙筒だ!」
「撃つな! 仲間に当たるおそれがある!」
 いったい誰が……だが、好機だ。
 マシューは勘を頼りに、ドアの方へと近づいて行った。
(しっ! こっちだ)
 聞き覚えのある声がする。
 マシューもよーくよーく知っているような……でも、まさか!
(フランシスさん?!)
(しっ)
 フランシスさんが助けに来てくれた。もうそれだけで有頂天になりそうだった。
 だが、今はそれどころではない。まだ危険な状況である。
(離すなよ。お兄さんが助けてやる)
 マシューは心の中で、「はい」と頷いた。
 ほんのちょっと、顔が赤くなるのがわかった。
 マシューは、フランシスに手を取られて走った。外に出る。視界から、煙が消える。濃藍や黒で染め上げられた光景が広がる。
 フランシスの足は速い。コンパスが長いせいだろうか。
 今日の彼のいでたちは、いつものような派手な服ではなく、いたって地味なものである。目立たないようにだろう。しかし、これもフランシスにしか着こなせない、と思わせる何かがあるのは、どうしてだろうか。彼にはどんな服でも似合ってしまう。
(フランシスさん……かっこいい……)
 男達が追ってくる。銃弾が、マシュー達を狙う。
「ちっ。しつこいな」
 フランシスはくるりと振り向くと、拳銃で男二人を撃った。男達は地面に引っ繰り返る。死んだかもわからない。
 フランシス達は、森の中に逃げ込んだ。
「あ、あ……フランシスさん……」
「こいつらの相手は俺がする。おまえは遠くへ避難しろ!」
「嫌です!」
 マシューは珍しく反抗した。
「僕は……死んでもフランシスさんの傍にいます!」
「馬鹿! おまえが死んだら、カナダ国民はどうするつもりだよ!」
 そうだ。マシューも国だ。国である以上、国民に迷惑をかけるわけにはいかない。
(さっき、心を決めたじゃないか。死ぬわけにはいかないって。僕にも、国民がいるんだから)
 ああ、それとあの中国人達。僕がいなくなったら、どうなるだろう。
 でも、フランシスもこのままだと撃たれて死んでしまう可能性なきにしもあらず。
 恋を取るか、国を取るか。マシューは選択を迫られていた。だが、彼は迷わなかった。
(カナダのみんな……クマ二郎さん、ごめん)
 やっと、クマ二郎の本名を覚えたマシュー。だが、彼自身はそれには気付かなかった。
 マシューはふらふらと追手がいる方へ歩き出そうとする。
「お、おい、そっちは……」
「僕が時間を稼ぎます。逃げてください、フランシスさん。あいつらの目的は、この僕です」
(アルフレッドそっくりの、この僕です)
 僕が囮になろう。マシューはそう決めていた。アルフレッドにはトロいと言われるけど、逃げ足には少しは自信あるし。
 フランシスさんがせっかく助けに来たのを無にするようで悪いけど。
 僕が死んだ後、弔い合戦でもしてくれて、それで勝ってもらえたら、少しは嬉しいかな。
「馬鹿野郎!」
 フランシスは、マシューを抱きすくめた。彼らは明りに照らし出される。マシューは思わず目を閉じる。
 ――何発かの銃声。
 僅かな沈黙の後、複数、物の落ちる音がした。蛙が押し潰されたような声も聴こえた。
 おそるおそる、瞼を開く。
 どうやら、敵方の男どもが倒れたらしい。
 そして、見覚えのある姿が――。
「アルフレッド!」
「もうだいじょうぶなんだぞ。マシュー」
 アルフレッドは、拳銃をしまい込む。フランシスの抱擁がゆるゆると解かれた。
「アル……アル……アルフレーッド!」
 マシューはフライトジャケットの男に抱きついた。アルフレッドは、困惑しながらも、どこか嬉しそうだった。
「アル……アル……」
「やれやれ。マシュー。俺のことはお見限りかな?」
 フランシスが、冗談ぽく言った。
「あっ!」
 マシューはアルフレッドから離れる。
「すみません。フランシスさん」
「いいってことよ。それより、おまえさん、なかなか勇気あるね」
「へ?」
「男達に縄解かせたろ。あれでずいぶん連れ出しやすくなったんだ。縄を外す時間も惜しいからな」
「ああ……」
「マシュー。『赤い三月』の本部には、アーサー達が向かっている」
 アルフレッドが言った。
「かなり有名なテログループだぞ。アーサー達も、今回は本気だ。奴ら、今頃後悔してるぞ」
 そう言って、アルフレッドは、たちの悪い笑みを浮かべた。
 フランシスも、ふっと笑った。
「でも、どうして、僕がさらわれたことを? それから、この場所だって――」
 マシューの当然の問いに、フランシスは、
「お兄さん達の情報網を甘くみるんじゃないよ」
 と答えてウィンクした。
 フランシスやアルフレッドの連れて来た部下が『後片付け』をしている。今度もまた、新聞沙汰になるだろう。
「さぁ、みんな、帰ろうぜ」
「あの……僕は……」
「お兄さんと一緒に帰るかい?」
 フランシスに耳元で囁かれ、マシューはぼっと赤くなった。
「い、いえ……」
「君達、そんな関係だったんだね?」
 アルフレッドの言葉に、フランシスはニヤニヤする。
「いやぁ、このお姫様には、キスしたり、抱きしめたりすること以上は、まだやってないんだけどねぇ……」
「お、お姫様……」
「ま、芯の強いお姫様だけどな!」
「あーあ。お熱いなぁ」
 アルフレッドにからかわれ、こそばゆくなったマシューであった。
「おまえさんにゃ、アーサーがいるじゃねぇか」
「そうだけどね」
 フランシスの言葉に、アルフレッドが肩をすぼめた。
「あ、あの……」
 マシューの声に、アルフレッドとフランシスは彼の方に向き直った。
 二人の目に、マシューに対する慈愛がこもる。
 国といえど、いろいろな存在に支えられて生きている。今日はそれがわかった。
 少し間を置いてから、マシューは深呼吸をした。
 今、伝えたい言葉がある。恥ずかしがることはない。
「みんな……ありがとう!」
 マシューは大声で感謝の言葉を口にした。今までだったら、照れてしまって、心の中でしか言えなかっただろう。
 アーサーだって、この自分の為に敵討ちをしてくれた。
 今回の体験は、確かに彼を、少し、強くした。
 フランシスが、無言で、ぽんぽんといたわるようにマシューの肩を叩いた。

後書き
アクションが書きたかったのですが、玉砕!
アクション書くの苦手なんですよねぇ……上手い人が羨ましい!
タイトルは、織田裕二の『Over the trouble』からです。曲の内容とこの話の内容、微妙に噛み合ってない……(笑)。
ところで、国って、拳銃で撃たれても死ぬことってあるんでしょうか……。今回の話は、それ前提で書いてますが。
2010.4.30

一部改訂しました。
2010.5.6
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