オリオンを追いかけて

「あちらのお客様からですが――」
 マスターの言葉には、“また”と言う単語がついていない。
 それでも僕にはわかる。“また”、あの男なのだ。
 卓上には真っ赤なブラディ・マリー。
 後ろを振り向くと、奴はいた。
「はーい」
 なんて手を振って。
 こいつに会うのは嫌だが、僕としてもこの店は気に入ってるんだ。譲れない。
 それに――トップ屋くずれに声をかけられるのも有名税だろう。
 しかし、今日という今日は頭に来た。
「藤宮さん」
 僕は男に声をかける。
「あっれー。バニ―ちゃん。怒ってんの?」
「怒りますよ、それは」
 僕のバディ――虎徹さんを馬鹿にした男。藤宮圭人。
「何で怒ってんの?」
「貴方が不愉快だからです」
「そうかー、残念だな。俺、今タイガ―追っかけてんのよね。あ、もちろん、変な意味でじゃなくだよ――これも仕事なんだ」
「勝手に記事でっちあげればいいでしょう。僕は協力しませんよ」
「そうかい? 俺、タイガ―見直したところなんだけどな……今までの会社も辞めたよ。今はフリーだ」
 僕は黙って藤宮を見下ろした。
「話ぐらいは、聞く気になったかい?」
「――で? 虎徹さんを見直したとはどういう訳です?」
「……座りなよ」
 虎徹さんにどこか似ているこの男。だからこそ、許せない男。
 けれど、前に会った時より目が澄んでいる――ように見えた。
「俺も中年だからさ――かっこいいヒーローより、かっこ悪い方に憧れたりするんだよね」
「そうですか……」
「反応薄いね、おまえ」
「慣れ合う気はありませんので」
「――で、まぁいい。二部リーグも中継やるって話が出てるのは、聞いたことあるよね」
「知ってます。タイガ―人気で、でしょ?」
「そうそう。それにね……がんばってるタイガ―の姿を見て、『やるじゃん』って思ってるのは、何も中年のおっさんだけじゃない」
「そうなんですか」
 僕は些かいい気分になりながら、話に乗った。
「俺もさ、つい記者になったばかりの頃思い出してさ――だから、フリーんなって特ダネ追いかけてるの」
「僕にへばりついて、ですか?」
「そうムキになるもんじゃないよ。バニーちゃん」
「僕はバニーじゃありません。バーナビーです」
 何故、藤宮が『バニ―』という呼び名を知っているんだろう。僕のことをバニ―と呼ぶのは虎徹さんだけでいい。
「あれ? ご機嫌斜め?」
「どうして僕がバニ―なんですか?」
 溜息と共に吐き出した疑問。
「ああ、それはな――アンタのヒーロースーツの耳の辺りが兎の耳に見えたからだよ」
 思考回路は虎徹さんと同じか……。
 けれども、虎徹さんは公の場では気を使って『バーナビー』と呼んでくれるし、世間でも『バーナビー』で通っている。この男にだけ許す訳には行くまい。
「ちゃんと『バーナビー』と呼んでください!」
「怒るなよ、バーナビー」
 藤宮はへらへらしている。
「僕を呼びつけたのは何でですか?」
「タイガ―の能力のことだけどさぁ……」
「戻す方法が見つかったんですか?!」
 僕はつい、ずいっと藤宮に詰め寄った。
「まさか。そんなに簡単に見つかったら苦労はしねぇって。レジェンドもそれで悩んでたんだしさぁ」
「ああ……そうですね」
「でも、フリーになってからいろいろ聞き込みはしてみたよ――NEXTの能力について。あ、それから……」
 藤宮が思い出したように手を打った。
「タイガ―の能力については、今はもう減退はなさそうだとさ。しばらくワンミニッツヒーローで活躍できるよ」
 そう言う藤宮の顔に、笑い皺ができていた。
 彼も虎徹さんと同じくらいの年なのかもしれない。僕は訊いてみた。
「藤宮さん、貴方お幾つなんですか?」
「俺かい? 俺はタイガ―と同い年、つったらわかるだろ?」
 ああ……。
 やっぱりそうだ。虎徹さんはこの人も変えた。虎徹さんが変えた。
 藤宮は、馴れ馴れしいところは相変わらずだが、胡散臭さは消えていた。
「やっぱりさぁ……三流ルポライターでも良かったんだけど……タイガ―の活躍見てたら焦っちゃってね」
「貴方にもそんなところがあるんですか」
「そんなところって?」
「……純粋なところですよ」
 藤宮が笑い出した。僕、そんなに可笑しなこと言ったんだろうか。
「俺が純粋だって? 冗談よしてくれよ、バニ―ちゃん」
「バニ―と呼ぶのやめてください」
「わかったよ、バーナビー。今まで親の敵みたいな目をして俺を見てたくせに」
「だって、貴方がこて……タイガ―さんを馬鹿にしたから」
「悪かった。それは。奴は本物の男だった。秘密主義みたいなところはあるがな」
 それは僕も感じていた。亡くなった妻がいることも、結構大きな娘がいることも、パートナーである僕は知らなかった。
「まぁ、あいつもいろいろ問題のある奴ではあるが、いい奴には違いないぜ、バーナビー」
「そうですね」
「良かったな」
 藤宮が僕の肩を叩いた。
 でも、気になることがあった。
「何でフリーになってまで、タイガ―さんを追いかけるんですか」
「――……俺はなぁ、さそり座なんだよ」
「ああ」
「オリオンはさそりから逃げる。だからさそりは……追いかけてみたくなる」
「ふぅん」
 僕は目の前のカクテルを飲み干した。――美味しい。
「俺は、タイガ―に男惚れしたんだよ。……と言っても、変な意味じゃないぞ。念を押すけど」
「わかってます」
「実は俺、恋人がいるんだ。このヤマが終わったら正式に入籍しようって話も出ている」
「良かったですね」
「ああ、良かったさ。それも、タイガ―のおかげだ。彼女もあいつを追っている」
「それが馴れ染めですか?」
「……こんな話聞いて、心が穏やかではなくなるなんてことはないよな。――彼女は俺に夢中だからな」
「はぁ……」
 のろけられてしまった。
「けど、人生の中で今が一番充実してるぜ」
 藤宮は満面の笑みを浮かべた。
 何か変わったことがあったらここへ連絡してくれ、彼女と一緒に駆けつけるからさ――そう言って藤宮は名刺を渡した。
 僕はお礼代わりに藤宮にこの店のとっておきのカクテルを教えた。
「旨いねぇ、これ」
 奢ると言ったら、
「慣れ合いたくないんだろ……俺もだよ」
 とことわられて、思わず苦笑してしまった。
 あのブラディ・マリーは情報を聞き出す為のきっかけらしい。いわば情報料の一部だというのだ。
 そういえば藤宮は僕にも幾らか払おうとした。だが、僕は受け取らなかった。
「僕なんかに払わずに何か別のことに使ってください」
 と、相手に伝えて。
 藤宮は礼を述べて帰って行った。
 ――今夜は気持ち良く酔えそうな気がした。

後書き
『オリオンをなぞる』シリーズの後日談です。
2012.3.5

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