野ばら

「どこ行くの? ハンサム」
 バーナビー・ブルックス・Jrはブルーローズことカリーナ・ライルに呼び止められた。
「何ですか?」
「アンタ、あのオジサンのところ行く気?」
「悪いですか?」
「別に悪かないけど……」
 カリ―ナはもじもじした。彼女も二回りも年上の鏑木・T・虎徹を慕っているのだ。
 今のところ、その事実を知っているのはバーナビーだけだが、鋭いネイサン辺りは気付いているかもしれない。
「アンタって――バカよね」
「自覚してます」
 バーナビーもまた、虎徹に想いを寄せている。気がつけばいつの間にそうなっていたのだ。
 今はまだ、コンビ愛とかで、世間の目も優しいが、バーナビーが本気で虎徹に恋をしていると知ったら、世間の人は冷めてしまうだろう。迫害だってされるかもしれない。
 世の中なんて、そんなものだ。
 バーナビーは、世間の目を気にしつつも、クールに判断する頭も持っていた。
 それに、バーナビーの目的は人気者になることじゃない。両親の敵を討つ為だ。
 でも、彼は変わって来た。
 両親の復讐も大事だが、それよりも虎徹と本当のバディとなりつつある。
 バーナビーにとっては、今のところそれだけで満足だ。
 何といっても、相手はおじさんだし。
 けれど、空回りする努力も大きいけれど、ちゃんとヒーローとしての仕事もこなしている。
 虎徹は、ドジだけれど憎めない、みんなのおじさんなのだ。
「じゃ、僕はこれで」
 飲み終わったジュースの缶を、狙い澄ましたように少し離れたゴミ箱に投げ入れる。バーナビーはそんなところにも格好よさを求めている。

「あんた――バカよ」
 カリーナはバーナビーが消えた後、ぽつりと呟く。
 ゲイだと差別しないのは、カリーナ本来の優しさの為かも知れない。
 それとも、同じ人間を恋する者として、バーナビーの気持ちがよくわかるからなののかも知れない。
「あたし達――バカよね」
 もしかしたら――と思っていた。
 カリーナは虎徹に子供がいるなんて知らなかった。虎徹は自分のことをあまり喋りたがらない。訊けば教えてくれるが。
 実るはずのない恋をしているのは、カリーナも同様である。
 カリ―ナは虎徹に恋をしている。
 いや、正確には、バーナビーによって変えられた虎徹に恋をしたのかもしれない。
 そして、バーナビーもまた……。
 バーナビーがいなかったら、カリ―ナも虎徹を好きにならなかっただろう。
「ほんと、バカなんだから……」
 それは、バーナビーに向けられたものなのか、自嘲から出た言葉なのか、自分でもわからなかった。

「虎徹さん!」
 バーナビーは兎のように嬉しそうに跳ねてくる。
「おう。バニ―ちゃん」
 虎徹はバーナビーのことを『バニ―』と呼んでいる。
 最初の頃は揶揄を込めて呼んでいたのだが、この頃は、親しみが感じられるような気がしてならない。
「バーナビーです」
 バーナビーは一応訂正するが、この頃は『バニ―』でも悪くないんじゃないか、と思っている。
 サイドカーに乗った二人は、どこへ行くのか相談している。
「僕、虎徹さんの家に行きたいです」
「え? 何にもないぞ」
「虎徹さんがいるだけでいいんです」
「そっか――嬉しいこと言ってくれるねぇ」
 虎徹はやに下がる。
「俺も一人は退屈だったからな。ちょうどいい」
「それで虎徹さん――お願いがあるんですが」
「おう、おじさん、今いい気分だから、何でもきいちゃうよ」
「今夜、僕と寝てください」
「はい?」
 相手は間抜け声を出した。虎徹が自分で変装に成功していると思っているマスクの中の目が、訝しげに光ったのは気のせいか。
 アメリカでは、一緒に寝る=性交する、という図式がまかり通っている。
「あ、誤解しないでください」
 バーナビーは慌てて釈明した。
「この頃眠れないんです。ウラボロスの男のことで、最近あまりよく眠れていないんです。両親の焼き殺されるシーンも目に焼き付いてますし……だから、虎徹さんと寝れば少しは解消できるかな、と思って」
「ふぅん。俺もネイサンに誘われたことあるぞ。腕枕だったら貸してやるって。まぁ、あいつの腕枕は固過ぎるけどな」
 二人は一頻り笑った。ふと、バーナビーは真剣な顔になった。
「――今夜は虎徹さんの腕枕を僕に貸してください」
「いいのか? おじさんの腕は筋張っているぞ」
「いいんです」
 バーナビーの顔は真剣なものとなった。
「わかった。じゃあ今夜だけだぞ」
「はい!」
 久しぶりに熟睡ができそうだと、バーナビーは安堵した。
「ベッドはないんですか?」
 虎徹の家に着いてご飯を食べて、そろそろ風呂に入って寝ようかという時に、バーナビーは言った。
「残念なことに、俺の家にはおまえの家のように立派なベッドはないの!」
 虎徹は皮肉交じりにまくしたてた。
「さ、布団敷くから、邪魔邪魔」
 ぞんざいに扱われ、バーナビーは居間に避難した。
 棚の上には、虎徹の妻らしき女性と、小さい女の子が写っている。
(僕が両親を殺されたのも、この女の子と同じ年くらいの頃だった……)
 虎徹の家に来たのは逆効果だったかも。
 でも、虎徹なら、虎徹さんなら……。
 大切な人を失った痛みをわかってくれるという期待がバーナビーにはある。奥さんは確か死んだと言っていたし、娘とも離れて暮らしているらしい。
 そして、ヒーローを命がけでやっている。
 この、両親の復讐しか考えていなかった自分よりもヒーローにふさわしいかもしれない。
 ああ、そうか……。
 僕は、虎徹さんみたいなお父さんが欲しかったんだ。
 焼死した自分の父も、大好きだったし誇らしく思っていたけれど。
 虎徹は駄目なおじさんだ。大人になったら、あんな大人になってはいけないと思っていた。けれど、そのおじさんは何故かみんなを惹きつける。――自分を含めて。
 虎徹は優しい。みんなに愛情を注いでくれる。
 まるで太陽のような人だ。
「バニ―ちゃん、布団敷き終わったぞー。お、何だ? 写真見てるのか?」
「はい。これが奥さんですね。で、これが娘の――」
「楓だ。可愛いだろう?」
「前に話してくれた僕のファンの女の子ですね。フィギュアスケートやってるんですね?」
「そうなんだよ。いつか世界の大舞台でイナバウアーをやりたいんだと」
 そう言った後、俺は楓にはワイルドタイガ―のファンになって欲しかったのに――と、虎徹が愚痴をこぼした。
「僕は虎徹さんのファンですよ」
「え?」
 バーナビーはきょとんとした虎徹を後目にこう言った。
「さぁ、もう寝ましょう。――と、その前にシャワー貸してもらえますか?」
「お風呂もあるけど。バニ―ちゃん先に入る?」
「いいんですか?」
「だって今日はお客さんだし」
「ありがとうございます」
 バーナビーは風呂場に移動した。

 虎徹は約束通り、バーナビーに腕を貸してやった。もちろん、パジャマも。
「……虎徹さんはお父さんの匂いがしますね」
「え? それって加齢臭ってこと?」
 虎徹が慌てているのを見て、バーナビーは喉の奥で笑った。
「違いますよ。――太陽の匂いなんです」
「あ、そう? 自分ではわかんねぇんだけど」
「同じ石鹸使ったから、僕も同じ匂いになったかな?」
「……なったんじゃねぇの?」
 虎徹はおざなりな返答をしたが、目は笑っていただろう。
「ったく、大きな子供だな。バニーちゃんは」
「いつもこうだとは思わないでくださいね」
 今日のバーナビーは、普段と違い、虎徹に丸ごと甘えかかって来る。そのことに虎徹は感慨を覚える。コンビを組み始めた頃は、こんな日が来ようとは思いもよらなかった。
「あ、そうだ。子守唄歌ってください」
「え? 俺下手だぞ」
「いいんです」
 バーナビーにせがまれ、仕方なく虎徹は、小さい頃習った『ふるさと』を歌い始めた。
「あ、その歌はやめてください」
「――じゃ、何がいいの?」
「『野ばら』歌ってください。お父さんが好きだった歌です」
「シューベルトか。確か、オペラとかそういうのが好きだったんだよな。おまえの両親」
「ええ。僕も好きです。シューベルトのオペラは今、再評価されているんですよ。今度一緒に行きましょう」
「行くのは構わねぇが――俺、途中で寝ちまうぞ」
 虎徹の台詞にバーナビーは子供のような顔で笑った。自他共に認める美形のバーナビーが笑うと、途端に可愛くなる。
「でも、父親を思わせるもんを歌うのは、逆効果じゃねぇのか?」
「楽しかったことだけ考えながら寝ます。今は虎徹さんもいますし」
「――歌には自信ねぇけどな」
 そう言いながらも、虎徹はメロディーを口ずさんだ。『野ばら』や『小さい秋』、その他、小学校で習った唱歌を歌っていると、バーナビーは寝息を立てていた。
「いつもこうなら可愛いんだけどなぁ……」
 虎徹は寝ているバーナビーを愛おしそうに眺めた。
 楓が小さい頃も、よく添い寝してあげたものである。枕元で絵本を読んだりして。
(懐かしいな……)
 そんなことを思い出しているうちに、虎徹も眠ってしまった。

「おはようございます」
 虎徹が起きると、バーナビーは朝ごはんの支度をしていた。コーヒーメーカーにはコーヒーが。
「おはよう。……バニーちゃん眠れた?」
「虎徹さんのいびきがうるさくて眠れませんでした」
「え? ほんと?」
「嘘ですよ。久々にぐっすり寝ました。――ありがとうございます」
 朝食を作ったのはそのお礼だと、バーナビーは上機嫌で言った。
「ずいぶん豪勢だな」
「普段はもっと簡単に済ませるんですがね。オレンジジュース一杯とか」
「よくスタミナ切れないな」
「若いですから」
「どうせ俺はおじさんだよ――あ、目玉焼き。卵の黄身が二つある」
「それが何か?」
「俺は卵の黄身がひとつのものばかり食べてきたからなぁ……珍しいなと思って。……俺達に似てるな」
「どこがですか?」
「この黄身は二つで一つ。まるでコンビだと思ったからさ」
「じゃあ、コンビの目玉焼きを美味しくいただきましょう」
「バニーちゃん変わったな、いや、元の性格に戻ったというべきか」
 バーナビーは本当は素直な性格なんだな、と虎徹は思った。
「またここに来ていいですか?」
「おう。いつでも来い!」
 虎徹はどんと胸を叩いて請け負った。
「あ、そうだ。ちょっと頼みごとがあるんだけどさぁ……」
「何です?」
「ちょっとサインしてくれないかな。娘がファンなの知ってるだろ?」
 サインペンと色紙までちゃっかり用意してきた虎徹に、バーナビーは苦笑しながらさらさらと自分の名前を書く。
 ――そして一言。
『フィギュアスケートでの活躍応援しています』
「これでいいですか?」
「おう。楓もきっと喜ぶぞ」
 娘の喜ぶ顔を想像している虎徹の目尻が下がる。
 そして、これから優雅に朝ご飯――といきたいところだったが。
『ボンジュール、ヒーロー』
 バーナビーにアニエスからの呼び出しが。当然、虎徹も出動だ。
 ヒーローは二十四時間ヒーローなのだ。しかし、二人は超過勤務の分の給料を求めたことはない。そうできる環境でないことも確かだが。
「くっ、着替えるぞ。バニ―」
「僕はとっくに着替えてますよ」
「そうだったな。くそっ」
 虎徹はパジャマを脱ぐと、意外と器用に服を纏っていく。
「さぁ、行くぞ!」
 ヒーローコンビの慌ただしい一日が始まる。

後書き
いつもより長いけど、書いている時、もんのすごく楽しかった!
虎徹がバーナビーに子守唄を歌ってあげるシチュエーションは、他のサイトにもありました。
私はそれを知らずに書いたのですけど。
で、それを知った私は消そうか消すまいか悩みましたが、このシーンはどうしても譲れないので、消さないことにしました。
2011.8.26

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