ナッシュ・ゴールド・Jrの憂鬱

 キュッ、キュッキュキュッキュ。子供の頃からすっかりお馴染みになってしまったスキール音。広い場所にオレ一人。離れた場所からシュートを撃つ。腕は衰えていない。オレは架空の敵と戦う夢を見る。――いつの日か、あいつらを倒す為に。
「ふぅっ……」
 オレは汗を拭く。汗と屋内バスケコートの匂い。子供の頃からの記憶に染みついた匂い。
 ここで、オレは親父に散々しごかれたのだ。ベリアルアイの使い方もその頃会得した。親父はちょっとは名の知れたバスケ選手。オレにも随分厳しく当たったもんだ。
「やぁ。また練習に真面目に来るようになったね。ナッシュ」
「コーチ……」
「ほら、タオル」
「――ありがとうございます」
「随分行儀が良くなったじゃないか。ジェイソンも変わったし……日本の選手に負けたのがそんなに悔しかったのかい?」
「……自分の至らなさを自覚しただけです」
 オレは色の黒いコーチに対して答えた。コーチはうんうんと嬉しそうに頷いた。
「日本の『VORPAL SWORDS』に負けてから良い方に変わったね。ナッシュ」
「あれは正しく『VORPAL SWORDS』でしたよ。だからこそ、jabberwockは負けたんです。タオルどうも」
「飲み物は?」
「――頂きます」
「ナッシュ。世間ではお前はあれこれ言われているが、本当はいい子なのはわかってるよ」
「そう言われても何と答えたらいいかわかりませんが……。――またVORPAL SWORDSと対戦したいですね」
「だから、練習に力が入る……か。君の父さんもとても喜んでいたよ。昔のナッシュに戻ったと言って――」
 オレは親父の為に練習してるんじゃない。――オレはそう思った。オレに自分のバスケを押し付けて、散々スパルタ教育を行ったくせに――。オレはストリートバスケが好きだったのに、やらせてもらえなかった……。
 だから、親父には恨みしかない。バスケ後進国の日本のチームの方がオレより生き生きとプレイしてるなんて、どういうことだ。
「あ……」
「どうした。ナッシュ」
「バスケをするのに資格なんていらないって、日本のサルのガキに言われたんですよ。下手くそな英語で。――それ思い出しましてね。オレは、それを認める訳にはいかなかった。何故なら、親父はいつも、バスケをする資格について説いてたから」
「ナッシュ……」
 黒子とか言ったな。あの男。ひょろひょろしていて小学生みたいだったが、VORPAL SWORDSの一員だった。島国にはあんな選手がいたんだ、と、悔しく思いながらも感心した。
 ――そして、VORPAL SWORDSのキャプテン、赤司征十郎。
 オレのような眼を持っているヤツが日本にいるとは思わなかった。しかも、俺より眼を使いこなしていた。
 後、頭の色が派手なヤツが何人かいた。オレはあいつらのことは全て覚えている。プレイスタイルも。
 今度は、負けない。恥を承知で、今度はこっちから、戦いを挑む。
 オレは飲み物を流し込んだ。熱を持った喉には旨く感じる。
「だいぶ体も仕上がって来ました。シルバーの方はどうです?」
「ジェイソンも自主練に励んでるよ。――あれでもバスケが好きだったんだね。女遊びもすっぱりやめたよ」
「そっか……あいつも……。オレはあいつに付き合っているだけだったがな……」
「何言ってんだ。ナッシュ。お前だって日本ではすごい暴れたそうじゃないか。カゲトラが文句たらたらだったよ」
「カゲトラか……」
 オレは呟いた。オレ達をキャバクラとかいうところに連れて行ってくれた男。そこにいた女どもは、サルの国の女のくせに、なかなか粒ぞろいだった。ジェイソンも気に入ったようだったな。
 ただ、値段が高い。オレは誰より嫌いな親父に頼み込んで、その費用を払ってもらった。
 でも、もう二度とこんな醜態は見せない。日本のガキどもも、VORPAL SWORDSの活躍に喝采を送っていたようだったからな。オレ達はとんだピエロ役だ。
「もうあがっていいですか?」
「ああ、――少し休め。どうせ家でもボール触ってんだろ? ……ナッシュ。かつての君のプレイに戻ったね」
「一本電話をかけたい……国際電話を」
 ――いいと思うよ。コーチはそう言った。因みに、このコーチはジェイソン・シルバーの父親だ。
「明日はシルバーと練習したい――そう伝えてください」
「わかった。ありがとう。――不肖の息子もあれから少しはマシになって、本当に、VORPAL SWORDS様々だよ」
 コーチはその強面の顔に満足そうな笑みを浮かべる。シルバーには、この男も手を焼いていたらしい。ジェイソンは今、ストリートバスケで頑張っている。ジェイソンと練習するのも楽しい。
 そして――本当はオレもVORPAL SWORDSのヤツらと練習がしたかった。――赤司征十郎とも。
 オレは電話をかけた。相田景虎に。
「カゲトラさん、お久しぶりです」
『――うぉっ! 綺麗なキングスイングリッシュだから、一瞬誰かと思ったじゃねぇか。……その声はナッシュだな』
「……赤司征十郎の連絡先が聞きたい」
『知ってても教えてやるもんかい』
「また彼らと再戦がしたい。――今度は本気で。対等のバスケチームとして」
『なるほど。……悪ガキも更生したって訳か。そんなにあの時の負けが悔しかったのか?』
「それもありますが……VORPAL SWORDSのバスケが好きになってしまったんで……オレ達も火がついてしまったんです。練習嫌いのシルバーも特訓に励んでますよ」
『それはいいが、もうキャバクラはなしな』
「わかってます。もうキャバクラは飽きました」
『罰当たりな――まぁいい。ちょっと赤司に訊いてみるわ……しかし、オマエら、連絡先交換はしなかったのか?』
「あの時はそれどころではなかったもので……精神的にも」
『――ちょっと待て。……いいそうだ』
 オレはカゲトラから赤司への連絡先を教えてもらった。
「ありがとうございます。カゲトラさん」
『何か……随分大人になったな。ナッシュ……昔のお前の親父さんを思い出すよ。負けん気の強いところも似てるしな』
「親父とは……比べないでください」
『だって、お前さんはあのナッシュ・ゴールドの息子だもんな。それを取り消すことは出来んよ。――でも、その声の調子だと、親父さんと折り合いをつけることは出来たのか?』
「一応な」
『オレはおめぇみてぇな息子を持たなくて良かったと思ってるぜ。オレには娘がいるんだが、これがまたメチャクチャ可愛くてよ――』
 ――カゲトラは娘を溺愛しているのだ。
「それじゃ。連絡先ありがとうございました」
『おう、頑張れよ。今度はてめぇらのことも少しは応援してやらぁ』
 オレは一旦電話を切ると、今度は赤司にコールした。
『はい。――赤司ですが』
「オレだ。ナッシュだ」
『――急に切りたくなりました』
「赤司……それはないだろ? かつて勝負したチーム相手に」
『冗談です。景虎さんから話があったので、もしかしたら、もうすぐ電話が来るかなとは思ってたんです』
「それもエンペラーアイかい?」
 オレは皮肉まじりに訊いた。赤司のエンペラーアイも俺のベリアルアイも天与の才能だ。けれど、オレはこんな才能欲しくはなかった。この眼が、オレをバスケに縛り付けてしまった。
 オレはこの眼を憎んですらいたかもしれない。――赤司に会うまでは。
『――ただの勘です』
 なかなか言うじゃないか。こいつ。
「カゲトラさんから話は聞いたか?」
『いや……LINEで『ナッシュのせがれに連絡先教えてやってもいいか?』と訊かれただけですから……何か話でも?』
「ああ。お宅らと再戦がしたい」
『――それはオレの一存ではな……まぁ、あいつらだったらすぐにOKの返事を出すだろうとも思うが。『キセキの世代』……そして、火神と黒子の光と影コンビ……あいつらはバスケを愛しているからな』
「赤司……黒子というヤツには、バスケをするのに資格はいらないと言われたが、訂正させてくれ。バスケをするのには立派な資格がある」
『ほう……それは?』
「バスケを骨の髄まで愛している、というのがバスケをする資格だ」
『キミから愛と言う言葉を聞こうとはな……』
「オレがオマエらに負けた時はバスケをやめようと思ってたよ。でも――バスケを捨てることなんか出来なかった。あれでオレも、バスケを愛してたんだなぁと、我ながら呆れたよ」
『いいんじゃないかな。一度バスケの楽しさを知ったらやめられないよ。……これは全てのスポーツに言えることだが。キミの言葉を聞いたらきっと喜ぶと思う』
「いや。我ながらクサい台詞を言ってしまった」
『あの時は楽しかった。あのナッシュ・ゴールドの息子とも対戦することが出来るなんてな……』
「親父の話はやめてくれ」
『あいつらは知らなかったみたいだが、ナッシュ・ゴールドは一時期バスケの申し子とまで呼ばれた選手だからね……』
「もう、親父の時代じゃない。赤司……オマエはNBAに来ないのか?」
『――考えてはいる』
「オレもNBAを目指している。――アンタらとはそこで再戦願いたい」
『火神やキセキの世代はともかく、黒子はNBAに行けるかな。あれは突然変異だ……今までにないタイプのプレイヤーだからな』
 随分黒子を買っているんだな――オレはそう思った。それが、何となく悔しかった。
 それから、オレらは二、三言葉を交わす。オレはLINEは使っていない。――また電話する。そう言ってオレは電話を切った。窓の外に冬の気配が忍び寄る。この時期、オレはいつも憂鬱を感じていたが、今はもう、体の熱を鎮める為にバスケをすることしか頭になかった。

後書き
2020年1月のお礼画面です。
えーと、ナッシュ嫌いだったんですけどねぇ……何故ナッシュのこと書いたんだろう。
きっと親父さんのことで苦労してたんだろうな、と。ナッシュの父さんて、名のあるバスケプレイヤーのような気がしたから。
今はナッシュにも愛着が湧きました。
2020.02.02

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