ミレイユ・霧香・クロエ

「――マズイ」
 そう言ったクロエに、ミレイユがこめかみに青筋を立てた。
「何がマズイですってぇ~!」
「このお茶よ。ミレイユ、あなたが淹れたの?」
「そうよ。悪かったわね。文句言うなら自分で淹れなさいよ」
 ミレイユが仁王立ちで怒る。
「霧香の淹れてくれたお茶は美味しいのに……」
「なぁんですってぇ~?!」
「二人とも……喧嘩、やめて……」
 霧香が二人を止めようとする。無駄な努力だが。
 ぐぬぬぬぬ……。
 ミレイユとクロエはお互いしばらく睨み合った後、「ふんっ!」と反目した。
「ミレイユ、クロエ……」
 霧香はおろおろしていた。
 パリのアパートの一室でミレイユと霧香とクロエの三人で生活するようになってから一ヶ月。ミレイユとクロエの喧嘩は絶えない。それで、霧香も困っている。
 せっかく一緒に住んでいるのだから、仲良くしてもらいたいのに……。

 一ヶ月前――。
「あー、この荘園の生活にも飽き飽きしたなー」
 ミレイユが体を伸ばしながら言った。
「何ですって?」
 クロエが聞き咎める。
「退屈なのよ。早くパリへ帰りたいわ」
「ここの荘園の暮らしが最高なのよ。パリなんてごみごみしてて、私には合わないと思う、きっと」
「じゃあ、アンタはここでずーっと閉じこもってるといいわ。霧香。アンタはどうする?」
「え……私……?」
「そうよ、アンタはここに残りたい? それとも、またパリであたしと暮らす?」
「私は……三人で暮らせればどこでも……」
 霧香の言葉に、ミレイユとクロエはしん、となった。二人はそれぞれ、霧香と暮らしたがっている。
「あたしはもうクロエとは暮らしたくないの」
「私だって、ミレイユとはもう暮らしたくないわ。それに……」
「それにって、何よ」
 ミレイユの声が一段と厳しくなる。
「ここを出ることをアルテナは許してくれるかしら」
 ミレイユは言葉に詰まったようだった。
 アルテナ。この荘園の主。
 ここで彼女はぶどうの世話をして暮らしている。とても穏やかな女性。けれど、どこか謎めいた人。
「……わかった。じゃあ、アルテナの許可をとりつければいいのね」
「――どうせ無駄だと思うけど」
 だが、クロエの思惑は外れて――
「わかったわ。外の世界で暮らすのも勉強になると思うの。元気でね」
 とアルテナは柔らかい声で言い、三人を抱き締めた。
 ミレイユ、霧香、そして、「ミレイユとは暮らしたくない」と言っていたクロエも結局ついてきて、三人の奇妙な生活が始まった。

 風呂の順番は、ミレイユ、霧香、クロエだ。
 クロエは霧香が風呂から上がった後、霧香が入った湯を堪能するのが好きだ。その湯船にはミレイユも入っているのだが。
 ――クロエとミレイユは相変わらず仲が悪いように見える。
 料理当番も一応決めてあるが、ミレイユとクロエはお互いにケチをつけ合う。比較的平和なのは、霧香が料理当番の時だけだ。
「よいしょっと」
 霧香が重そうに鍋をコンロの上に置くと、火にかける。
「手伝おうか?」
 と、ミレイユ。
「手伝いましょうか?」
 と、クロエ。
「いいよ、私が作るから」
 もうさっきお茶の味のことで喧嘩をしたことは忘れたようだと、霧香は思い、嬉しそうに笑う。
「ミレイユの味付けは無駄に濃いわよ」
「クロエの味付けが薄過ぎるのよ」
「ミレイユ、クロエ……」
 霧香はやっぱりおろおろ。実はそんなに平和でもなかった。

「ねぇ、ミレイユ、クロエ」
 霧香はミルクを持ってきた。三人分。霧香はミレイユとクロエの前にそれぞれマグカップを静かに置く。お盆をテーブルの上に乗せる。彼女も席に着く。
「どうしたの? 霧香」
 ミレイユは霧香の方を見ずに新聞を眺めている。
「ミルク、ありがとう。霧香」
 クロエは嬉しそうに口元を綻ばせる。
「せっかく一緒に暮らしているんだから、もう喧嘩はやめにしない? 二人とも」
 霧香がおずおずと提案する。ミレイユは新聞から顔を上げ、クロエを見つめる。
「霧香、アンタ、あたし達のこと心配してるのね」
「うん……」
「――でもね、あたし、クロエとの喧嘩、嫌いじゃないの」
「え?」
 これには霧香もびっくりしたようだった。ミレイユが笑った。
「ほんとに嫌ならもうとっくに出てってるわよ。荘園を出た時と同じように」
「――私も。ミレイユとの喧嘩、嫌いじゃないわ」
「あたしも言いたいことは言う。けれど、それがあたしが示す親愛の情のつもりよ」
「――ちょっと過激ではあるけれどね」
 ミレイユとクロエが、珍しく気が合った瞬間だった。
「それにしても、何で荘園を出ようと思ったの? ミレイユ」
 クロエが訊いた。
「息が詰まるのよ。あそこにいると――みんな選民意識の持ち主ばっかりだし。庭は素敵だけど」
「選民意識……」
「それに、あたし、やっぱりパリが好きなのよ」
 ミルクいただくわ、そう言ってミレイユはマグカップに口をつける。
「私も……パリが好きになれそうよ。好きになれるわ」
 クロエが優しい声を出す。
 霧香は思った。本当は――クロエは、パリじゃなくて、ミレイユが好きになれそうだと言おうとしたんじゃないかしら。その方が――私も嬉しい。
 霧香は微笑んだ。
「これからも宜しくね。ミレイユ、クロエ」
 ――と、霧香は言った。
「当たり前じゃないの」
「私も――これからも霧香のお茶が飲みたいし」
 三人の空気が明るいものへと変わって行った。三人の距離が縮まったようだった。
「明日はあたしが買い出し当番だから早く寝るわね」
 ミルクを飲み干すと、ミレイユが立ち上がった。霧香も寝る準備をしようと立ち上がる。クロエは席に座ったまま、残ったミルクをゆっくり味わっていた。
(良かった――)
 霧香はマグカップを洗いながらそう思う。クロエが飲み終わったマグカップを持ってきたので、それも洗う。クロエは自分で洗うと言ったが。
 今日は素晴らしい一日だった。霧香は部屋の電気を消した。今夜は、皆に優しい夜だった。
 明日はもっと素敵な一日が始まる。

後書き
原作ではありえないミレイユ・霧香・クロエの三人の共同生活です。
このお話は、ノワールを観せてくださった風魔の杏里さんに捧げます。
2014.11.11


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