俺の女神様

「潮田先生ー。面会の方がいらっしゃってます。
 極楽高校の職員室。潮田渚というのは僕で、面会の方というのは僕に会いに来たのだろう。僕はボロイ職員室の匂いを嗅いだ。
「どなたですか?」
「鷹岡明さんという方です」
「……え?」
 僕は目が点になった。一生聞くことはなかったであろうその名前――それとも、僕が勝手にそう思っていただけか?
 やれやれ、また殺し屋か――。しかし、鷹岡先生も懲りないよなぁ。だが、僕が耳にした言葉は、更に僕を困惑させた。
「ああ、潮田渚! 俺の女神!」
 まずツッコませていただきたい。――どうした、鷹岡先生!
「ほら、覚えているだろ? 俺だよ、俺! 鷹岡だよ!」
 うん、それは知ってる……頬の傷も昔のままだね。一体どうしちゃったの? このコペルニクス的転回は……。
 それに、僕のことを、めが……女神だって?!
「うぉーい、遊びに来てやったぞ、渚ー」
「あ、水口君、今それどころじゃないんだよ」
「渚、渚……」
「何だコイツ。目がイッちゃってんじゃねぇ? 誰だよ。渚に手を出すヤツは俺が許さねぇぞぉ。てか、何だよその面の傷はよぉ」
「やめて……この人は……一応、恩師だから……」
 ――だよね。この人も、一応恩師と言えるよね……。
「ちっ。渚がそういうんならそれ信じるしかねぇけどよぉ」
 水口君がガン!と椅子を蹴った。
「渚に怪我させてみろ……マジぶっ殺す」
 鷹岡先生だって、防衛省で烏間先生の同僚だったこともある。水口君が敵う相手ではない。
「水口君、危な……」
 僕が庇おうとした。すると、鷹岡先生は膝をついて泣き出した。
「うっ、うっ……もう、死んでもいい……」
 どうなっているんだろう……これは鷹岡先生の本心みたいに見えるけれど――。僕と水口君は目を見かわした。
「変わんないな、渚……変わってないな……それが、俺には嬉しい……」
 僕にはさっぱりなんですけど……。
「今日は、渚にいいもん持って来たんだ」
 そう言って、鷹岡は手作りと思しきクッキーを取り出す。
「俺、貧乏になったからよぉ……こんなものしかあげられないけど……」
「おっ、旨そうな匂い」
「――後でいただきますね」
 僕は、何とかして水口君を鷹岡先生から引き離そうとした。
「潮田先生――この方の話を聞いてあげてはどうでしょう」
 と、若い女性の恵先生。
「じゃあ、相談室の方で――」
 この極楽高校にも一応相談室というものがあるのだ。
「じゃあ、俺も……」
「水口君は待ってて」
 僕の言葉に、水口君はぐっと詰まったようだった。――僕は、鷹岡先生を相談室へと連れて行く。恵先生がお茶を持ってきてくれた。
「――ありがとう」
 キンキンに冷えたお茶。外では虫が鳴いている。夏も本番に入ろうとしていた。
「渚……俺はこれから、どうしたらいいんだろうな……」
「……僕にもよくわからないよ」
 第一、鷹岡先生は、僕を目の敵にしてたんじゃなかったんだっけ?
「あの、最後の笑顔……あれからお前のことばかり考えていた……渚、身長もあの頃のままで、俺は嬉しい。でも、髪は切ったんだな」
 う……身長のことは密かに気にしてるんだけどな……。
「烏間は……俺のクローンと戦っているようだ。あいつにも……済まないことをした」
 あれ? 鷹岡先生って、こんな人だったっけ? どうも調子狂うなぁ……。
「お前は……俺が嫌いだろうな……」
 僕は答えなかった。
「最初は悪夢でしかなかった。けれど、見ているうちにだんだん――恋心を抱くようになった。お前のあの笑顔に。もう一度会いたいと思った」
 ――僕が女性だったら、ハッピーエンドだったんだろうな。でも、僕は男だし、僕にだって選ぶ権利はある訳で――。
 それに――そうだ。
 僕はきっ、と鷹岡先生を見据えた。
「鷹岡先生――まずは迷惑をかけた方々に謝ったらどうでしょう」
 この人は、悪魔的な知恵を働かせていたけれど、スモッグさんの機転のおかげで、大量殺人者にならずに済んだ。
 それはまぁ……体罰も酷かったらしいし、実際鷹岡先生の授業はハードだったけれど。
「――そうだな。それから、実は俺にもやりたいことがある」
 鷹岡先生はぎゅっと拳を握った。僕は無意識的に身構えた。けれど、波動は穏やかなままだ。
「お前には何もしないから構えなくていい。……実は、仏門に入ろうかと思ったんだが……」
「鷹岡先生……」
「勿論、『やつら』に見つかったら、ひとたまりもない。だけれど――もう人に迷惑をかけるのには、うんざりなんだ……」
 へぇ……この人にそんな殊勝な心がけがあったなんて。
「――僕、先生を見直しました」
「よしてくれ。俺はもう先生じゃない」
「でも、大事なことを教わったから――」
「……ありがとう、と言っていいのかねぇ……俺は、酷いことしかして来なかった。――俺が死んでも、誰も悲しまないだろうな……」
「……僕は悲しみます」
 今の鷹岡先生は、すっかり改心したらしかった。僕の、鷹岡先生への反感は泡雪のように溶けた。僕は続けた。
「仏の道に進みたいというなら、お寺、知っているところ紹介するから……」
「ありがとう――ありがとう……」
 鷹岡先生は泣き出した。――まさか、この人が僕の前で泣くとは……。あんなに僕を敵視していた人なのに……。
「渚は信じてくれたな。ありがとう。もう、悔いはない……」
「あ、あの……」
 僕は、慌てて言った。口から言葉がするっと出たせいで、僕は何をどう続けたらいいか、わからなかった。
「――何だい?」
 そう訊いた鷹岡先生の目は――とても澄み切っていた。
「あなたは――本当に鷹岡先生ですか?」
「ああ、そうだよ。正真正銘、鷹岡明だ」
 ――でも、こんな鷹岡先生は見たことなかった。僕の知っている鷹岡先生は、冷徹で、卑劣で、残忍で――悪魔のような男だったから。少なくとも、こんな優しい目をした人じゃなかった。
 僕は正直戸惑っている。僕は女神じゃないけれど――鷹岡先生が更生したいと思うなら、立ち直らせてあげたい。けれど、鷹岡先生の心はもう決まってるんじゃないかと、僕は思う。
「鷹岡先生は変わられましたね。――僕は、先生の歩む道を見守ることしか出来ません」
「それは――やはり、僧侶になれということか?」
 ――僕は、こくんと頷いた。それが、鷹岡先生の選んだ道なれば。
 鷹岡先生の顔がぱあっと輝いた。
「そうだな。そうだよな――俺は、何を迷っていたのだろう。クローンについては俺が何とかする。烏間とイリーナは俺のクローンに命を狙われている。――力があるというのも、大変なんだな」
「先生……あ、お茶、どうぞ」
「そうだな。もらおう」
 鷹岡先生は冷えた緑茶を飲み干した。
「俺は死ぬかもしれんな。――でも、もう何度も敵を死地に追いやっている。生徒達にも酷いことをした。――俺も、クローンと戦う。僧侶になるのはそれからだ……」
「鷹岡先生……」
「そんな顔しないでくれ。お前は俺の女神だ。冷たく笑っているのが、お前に似合っている……」
 鷹岡先生が立ち上がった。僕は、思わずこう言ってしまった。
「死なないでください。絶対、死なないでください。時が、あなたを殺すまで――寿命が尽きるまで、生き抜いてください」
 鷹岡先生は振り返り、にこっと笑った。七年前のあの時と立ち位置が正反対だな、と、僕は思った。
 ああ、そうか――この鷹岡先生の授業を受けるのは、これできっと最後――。
「鷹岡先生、ありがとうございます」
 誰もいなくなった部屋、閉じられたドアに向かって、僕はお辞儀をした。

後書き
暗殺教室の二次創作。鷹岡先生のその後です。
渚は、鷹岡にとって一周回って女神になったそうです(笑)。それで、こんな話を思いつきました。
2018.02.23

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