マットとナン

「イアン、帰ってたの?」
「よぉ、マット」
 僕はマット・ローランド。ローランド商事の社長だったグレッグ・ローランドの息子だ。イアンは僕の兄。亡くなったグレッグ――パパの仕事を引き継いで社長になっている。イアンは世界中を飛び回って忙しい日々を送っている。秘書のジェルミと一緒に。まぁ、秘書と言ってもジェルミは気まぐれであてにならないから、実質的にはデビーが秘書の仕事やってるんだけど。
「結婚式には是非とも参加したいからさ」
「うんうん。来てよ。大歓迎だよ。ジェルミと一緒に」
「わかった」
 イアンが笑った。
 イアンは僕と違ってハンサムないい男だ。男も女もよりどりみどり。
 僕は小さい頃から眼鏡で、パパにはいつも「醜い」と言われていた。僕を産んで死んだ母リリヤは儚げな美人だったが、僕は叔母のナターシャに似た。僕はナターシャのことが大好きだ。――今でも。ナターシャも僕とナンの結婚式に招待したいと思っている。
 ナンはアンディの言う通り、ブスでそばかすだけど、よく見ると結構可愛いんだ。
 それにナンは実はとても優しい。
 惚気てるって? いいじゃない。惚気させて欲しいんだ。だって、来週、僕とナンは結婚する。
 僕もナンのこと言えた容貌じゃないし、ナンの中身に惚れたんだ。
 ボクがペペを亡くして悲しんでいた時、ナンは仔犬を僕にあげようとしてくれた。
 ペペは弟代わりだったから、つい、ナンのことを、
「冷たいヤツ」
 と言ってしまった。今思うと八つ当たりだったわけだが。
 ナンは僕を元気づけてくれようとしたのだ。
 それから、ナンは僕に手紙を送ってくれた。当時のナンは別に好みのタイプじゃなかったけど、生まれて初めてのラブレターだった。子供の頃の僕はおねしょぐせもあって、女の子にモテなかったから。
 僕はナンの手紙をイアンに自慢した。イアンはその手の手紙は幼い頃からいっぱいもらってたと思うけどさ。
 ナンからもらった仔犬達は立派に成長した。もう立派な大人だ。そろそろ老境に入るのが心配になる年頃だけど。
 僕達は子供が好きだから、サッカーチームが作れるくらい、子供をたくさん作ろうね、とナンと話している。ナンは安産型だから、きっと元気な子供をたくさん産んでくれるだろう。
 それに――僕はナンを愛している。
 イアンがジェルミを愛しているように。
 ジェルミは男だけど、そんなことは別段構わないんだ。僕だってジェルミが好きだし。
 パパと一緒に亡くなったパパの再婚相手のサンドラとは一生仲良くなれそうもないけど、ジェルミはいい人だ。ジェルミは僕のパパのことを嫌っていたから、パパが嫌いな僕としても、つい応援したくなってしまうではないか。
 ジェルミはパパに執拗に迫られたから、パパを殺した。でも、悲しくなんかない。パパはそういう人だってわかっていたから、殺されても仕方ないと思っていた。
 パパも悲しい人間だったということがわかったのは、ごく最近のことだ。それでも僕はジェルミびいきだ。あんな風に可愛かったら僕もパパに愛されたかもしれないと思ったけど、ジェルミみたく性関係を強要されるのは嫌だからね。
「イアーン! マットー!」
 マージョリーがナンと一緒に来た。マージョリーが僕達を呼んでいる。マージョリーのところもなかなか大変らしいけど、今では何となく落ち着いている。マージョリーも大人の女性になっていた。マージョリーの母親のクレアより、その娘でマージョリーの姉のナディアに似ている。マージョリーは朗らかだ。
「昔は自殺マニアだったのよ」
 と、告白された時は信じられなかった。マージョリーは天使みたいに見える。クレアが溺愛したのも無理はない。
 ナンが優しく見守る中、マージョリーは僕の手を取った。
「おめでとう、マット」
「まだ結婚した訳じゃないよ。マージョリー」
「でも、もうすぐでしょ? 散々聞かされたんだから。ナンに。マットのことを」
「ルールーは?」
「ウィリアムとデート」
 ルールーは、イアンの友人、エドリン・リンドンの娘でなかなか辛辣な人だ。でも、僕は嫌いじゃない。彼女はユニークだ。性格も姿かたちも。マージョリーの親友でもある。
「あたしはナンとデートしてたって訳」
「マージョリー、ナンは僕のだよ」
「あらぁ、結婚前から嫉妬? ――上手く行くといいわね。あなた達」
 マージョリーは僕の肩をつついた。
「嬉しいわ。マット」
 ナンにそんな風に無邪気に喜ばれると、少し照れてしまう。――僕も嬉しいけど。
「ナンはウェディングドレスを着るのよね」
「ええ」
「マットも楽しみでしょ? ナンのウェディング姿」
「ああ……うん」
 仮縫いの時も僕はナンのウェディングドレス姿を見なかった。ドレスだけは見たことがあるので、これを身に纏ったナンはどれほど輝くだろう、美しくなるだろう、と想像した。
 僕は、ナンとだったら幸せになれそうな気がする。
 そして――僕はパパからは得られなかった愛情を、生まれてきた子供達にはふんだんに注ぐつもりだ。
 神様はパパもリリヤもサンドラもペペも返さない。けれど、新たな愛する者を与えてくれる。
「ナン、ペペの弟達ありがとう」
 僕は何年か前にそう告げた。ナンの笑顔が可憐だった。
「良かった……あたし、あの時マットを怒らせたんだと思って反省してたの」
 その時、僕はナンへの恋心に気付いたんだと思う。
 いつか、ナンと農場を作って働いて植物もたくさん育てようと僕は夢見ている。イェイツの詩に出てくるイニスフリーの湖の小島みたいに。
 ローランド商事はイアンが切り盛りしてくれればいい。僕はお金なんていらない。愛があればそれでいい。パパの遺産なんてくそくらえだ!
 ――イアンが僕にも遺産の分配をしてくれていたのを知ったのは、二十歳の誕生日の時。ナターシャから聞いたんだけど。
 ナターシャは泣きながら、
「マット、ごめんなさいね。あなたには重荷を負わせてしまって」
 と、何度も何度も謝ったけど、僕はナターシャにずいぶん助けられた。パパは愛してくれなくても、ナターシャは僕を愛してくれた。ナターシャは実質的には僕の母だった。本当のママが既に死んで(自殺して?)いたから。
 僕の誕生と引き換えに、リリヤは死んだ。だから、僕は少し育ってくると僕のせいでママが死んだから、パパは僕を愛さないのかと悩んでいた。
 パパとサンドラは車の事故で亡くなった。本当に事故かどうか疑った人達もいたみたいだが、今となってはもうわからない。何故なら、その車――シルバー・ピューマは欠陥車として全部回収されてしまったのだから。
 サンドラの死でジェルミはショックを受け、一時荒れた生活をしてたけど、イアンがジェルミを助けた。そして――今はジェルミがイアンを支えてる。
 ジェルミにも会いたいな。
「ねぇ、イアン。ジェルミはどこにいるの?」
 マージョリーが訊く。
「ここだよ」
 葉陰から声がする。男にしては少し高めの甘い声。ザッという葉っぱをかき分ける音がしてジェルミが現れた。イアンが尋ねた。
「どこ行ってたんだ? ジェルミ」
「いろいろ。ここ、面白いね」
 イアンとジェルミが幸せそうに話している。ここではみんなが幸福だ。
「僕もナンも結婚したらここに住むんだ」
「そうだってね。イアンから聞いてる。おめでとう」
「――ありがとう。ジェルミ」
「あたしからも祝福の言葉を贈るわ。おめでとう、ナン、マット」
「ありがとう!」
 マージョリーの言葉に僕とナンは同時に答え――それに気付いて顔を見合わせて照れ笑いをした。
「結婚式にはナディア達も招んでいるんでしょ? ルールーも」
「勿論だよ、マージョリー!」
 ――ジェルミには友達がたくさんいる。ジェルミが僕とマージョリー達を引き合わせてくれた。誰もがジェルミを好きになった。――あのパパでさえも。
 パパはジェルミに夢中だった。
 けれど、パパは愛し方を知らない。愛を伝えようとして――愛を殺してしまった。だから、ジェルミに殺されたんだ。
 僕は、そんなパパの息子だ。その事実におじけづく時もあるけど、その時はイアンが僕を慰めてくれた。
「マット……おまえは親父みたいにはならないさ。おまえは愛する者を見つけて、幸福になるんだ」
 ――僕はナンと出会った。ナンといる時の陽だまりの中でうとうとしているような心地よさ。こういうのが幸せというのだろうか。
 イアンもいろいろ苦労してきたみたいだけど、パパと違って、兄としていつも僕を気遣ってくれた。そして、時々僕のことを諌めてくれた。
「マット、あたし、みんなの分のパイを焼くから。台所借りるわね」
「ナン、僕手伝うよ」
「いいのいいの。マットはみんなとお話してて」
 やれやれ。すっかりナンに仕切られている。でも、それが嫌な訳じゃない。ナンは働き者だ。きっといい母親になる。
「――と、言われても、何話せばいいんだろう」
「マット、何でも好きなことを話していいのよ」
 マージョリーが微笑んだ。可愛い。ナンと違って、マージョリーはみんなに可愛いと言われるだろう。僕はナンの方が好きだけれど。ナンの可愛さは僕だけが知っていればいい。
「マージョリー、君もパイ食べていくだろ? チェリーパイだよ。きっと。昨日、さくらんぼをどっさり用意してたもの」
「ナンの焼くパイは美味しいものね。美容の大敵だわ」
 と、マージョリーが嬉しそうだけどちょっと困ったように呟く。ジェルミが言った。
「マージョリー、君はもっと食べなきゃ。もっと肉をつけて」
「ジェルミもね」
 二人は笑みを交わした。
「マージョリー、パイを残すんだったら、俺が食べてあげようか?」
「残すなんて言ってないわよぉ!」
 マージョリーがイアンに怒鳴った。イアンとマージョリーはしょっちゅう喧嘩する。いや、イアンは結構彼女との言い争いを楽しんでいるらしい。ジェルミもイアンと喧嘩する。本人達にしてみればこれは友愛の証なんだそうだ。友達の少ない僕にはよくわからないけれど。友達といえば、ナンとナンのきょうだいアンディしかいなかったし。
「マット、いい奥さんをもらえて幸せね」
 後でマージョリーが耳元で囁いた。僕は何となくくすぐったかった。

後書き
あの名作、萩尾望都先生の『残酷な神が支配する』の後日譚。
最終回にマットの記述がなかったから気になってたんですよね。で、書いてみました。
原作よりも牧歌的かな。ちょっと故人のことについても触れてるけど。
あの原作の緊密な雰囲気は私には書けません。
そういえば、今月はグレッグの誕生月でしたっけ。
2014.11.17


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