恋に破れて
「俺、恭子と結婚することになったよ」
トラが宣言した。
トラ――相田景虎。俺のチームメイトで、もしこう言って良かったなら――恋人。
尤も、トラが男よりも女が好きなのは知っていた。俺なんか眼中にないと思っていた。
だから、初めて結ばれた時は夢かと思った。
今日は、
「仁亮、おまえに話がある」
とトラに言われたので、ああ、これは真面目な話だな、と思った。普段なら俺のことを『マー坊』と呼んで笑っていたこいつのことだから。ちなみに俺は中谷仁亮と言う。
俺は喫茶店でトラと向かい合って座った。そこで冒頭の台詞を吐かれたというわけだ。
そうだな――恋人ごっこは辞める時期だよな。俺もトラもいい歳なんだし。
それに、相手が恭子さんなら……祝福できるだろう。多分。
でも、披露宴に招かれたとしたら、スピーチで俺とお前の関係を暴露してやろうか――と思う程度には頭に来ていた。勿論、顔には出さないが。
俺がどんな風にトラに抱かれたか、トラがどんな風に俺を愛したか。
そして――俺がどんな風にトラを愛したか。
まぁ、子供じみた復讐なんで辞めておくが。
「おめでとう。祝福するよ」
俺が言うと、トラの顔が綻んだ。
「――ありがとう」
トラ、さぞかしほっとしたに違いない。
「ま、これで俺もお前の面倒をもう見ずに済むんだな」
俺は憎まれ口を叩く。
「まぁな。これから恭子が俺の伴侶だからな」
トラはぬけぬけとそんなことをぬかす。
適当で不真面目で、それでも本気になった時はどんな手を使ってでも欲しいものを手に入れてきたトラ。
俺とのことは遊びだったんだということはわかっていた。
それでも好きだった。自分から別れようなどとは言えなかった。
だから――心のどこかではほっとしている。こんな関係、長く続くはずがなかったのだから。
それなのに――やはり、寂しい。
トラに涙は見せてやらない。そうしても、トラを困らせるだけだから。
「仁亮。あのな……」
「ははっ。何も言わなくてもいいぞ。――景虎」
トラはちょっと困った顔をしている。俺の表情はそんなに変だっただろうか。
「お前は恭子さんと幸せになれ。俺も――俺の幸せを見つけるから」
「マー坊……やっぱりお前はいいヤツだ」
ふふん。俺がいいヤツだって?
トラ、お前もまだまだ甘いな。
けど、トラがそんな俺を望むなら――そんな俺を演じてもいい。
「結婚式には来てくれるだろう?」
と、トラ。
「ああ、勿論。披露宴ではお前の失敗談をまず話す」
「ははは、お手柔らかに頼むぜ」
トラがいつものトラに戻った。
身勝手で、うるさくて、笑い上戸なトラに。
そんなお前が好きだった。今でも好きだ。
「多分なぁ……結婚するの、十二月になると思うんだ」
十二月――今年のクリスマスは、俺にはしょっぱい思い出になるんだろうなぁ……。
「トラ、子供ができたらちゃんと可愛がるんだぞ」
「お前なー、そんな当たり前のこと、言わなくてもわかってるよ」
そうだな。トラ。お前は優しい。結婚したらちょっと強面だけどいい父親になるんだろうな。
でも、お前自身子供みたいなところがあるからちょっと気がかりになっただけだ。
「それから、俺らの関係のことは話すなよ。もう、誰にも。不審に思われて訊かれたら昔の友達だで押し通せ」
俺自身は話されても構わないが、トラは嫌だと思うだろう。もう昔の話なのに――と。恭子さんにも迷惑かけたくない。
さっき思ったこと――あれは戯言だ。
「ああ、それそれ。それ言いたかったんだ」
トラはパチンと指を鳴らした。
全く、仕様もないヤツめ。だが、憎めない。そんなトラだからこそ、俺は愛した。
俺も――結婚して子供作って、良き家庭人となる時期かな。トラでさえそうなろうと決意しているんだからな。
それに――
「トラ――俺にも見合いの話が来てるんだ」
「ほう」
「なかなかの美人だぞ。俺は今まで見合いは断ってきたんだが、『一度でいいから会ってくれ』って、親に泣かれてしまってね……」
「そか。――お前も幸せになれるといいな」
「幸せになるよ。お前もな」
「ああ」
俺はトラの手をぐっと掴んだ。この手をずっと離したくないと思った。――しばらくすると汗ばんできたので離さざるを得なかったが。
それよりも――少し気になることがあった。トラにずっと訊いてみたかった言葉。怖くて口にできなかった言葉。
でも、俺達はもう互いの道を別々に歩む。――ずっと気になっていた、あのことを訊いてみてもいいだろう。
「なぁ、トラ――もし俺が女だったら、俺と結婚したいと思ったか?」
詮無い繰り言ではあるのだが。
思った通り、トラには笑われた。
「ぎゃっはっはっはっ! それはなってみねぇとわかんねぇよぉ!」
――だろうな。
「だけどマー坊、お前は女だったらすっげぇいい女になってたと思うから、俺なんか相手にしなかっただろうよ」
「――そうだな」
「ほんと、お前、いいヤツなんだからさ……お見合いも上手く行くって」
「……うん」
俺は、何だか泣きたくなってきた。
かわされた――とは不思議と思わなかった。トラは正直だ。だからこそ、始末が悪い。
お見合い相手の女の人も、写真で見た限りでは上品で綺麗な人だった。恭子さんには敵わないけれど。目の前のトラを見て心臓をぎゅっと掴まれた感じがした。俺はもう、今までのようにはお前と会うことができない。
「しばらくは――お前らの結婚式が終わったら、会うのやめような。俺達」
「え? 何で?」
トラが目を丸くする。
何が『え? 何で?』だよ! お前と恭子さんがいちゃついてる姿なんて、お前の元恋人の俺が見てて気分のいいはずないだろう!
まぁ、そのニブさもトラの魅力か。この人たらしが。
「俺達ダチなんだし、会うぐらい別に構わねぇじゃねぇか。関係がなくなっても、同じチームメイトなことには変わりはないんだから」
「そうかそうか。俺とお前が寝たことあると、恭子さんに言っていいんだな」
「う……それは……」
「な。俺がお前と会っていたら、俺はいつ口を滑らすとも限らない」
「お前に限ってそんなヘマはしねぇと思う。お前が口を滑らすなら、それはワザとだろうよ」
「よくわかってるじゃないか。――恭子さんは潔癖な方なんじゃないか?」
「――だな」
「まぁ、年賀状ぐらいは出してやるよ。それでいいだろ?」
「そうだな。マー坊。それにしても、さっき俺はお前に無茶なこと言った気がするんだが――何でかな」
言った気がする、じゃなくて、言ってるんだよ! 現に!
「マー坊。俺が愛する女は恭子だが、お前のことも好きだったぜ」
トラは苦み走った笑いを浮かべた。俺が見た中で一番いい笑みだった。ああ、諦めねばならないとしても、やっぱり俺はこいつに恋していたんだ……。
――結婚もし、愛する家族もでき、秀徳高校バスケ部の監督となった俺はウインターカップの会場で久しぶりにトラと再会した。
トラは変わっていたが、中身は全く変わってなかった。しかし、オジサンにはなってたね。俺もそうだから仕方がないか。
トラには娘が一人いる。愛娘と言っていた。恭子さんに似た可愛い娘だった。トラに似なくて良かったな。
後書き
相田景虎と中谷仁亮の若き日のお話。
でも、誰得なんだ? 俺得であることには違いないが。でも、二人とも今ではもういいオッサンだしなぁ……(笑)。
2015.1.26
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