パプワ小説『桜の樹の下には』

 そこでは、怖いぐらいに桜の花びらが舞っていた。士官学校の庭のとある場所である。
「さ、弁当食うぞー」
 ジャンが割り箸をぱきっと割った。
「よくこんな鬱陶しいところで物が食せますね」
 高松は呆れ顔だ。
 サービスは礼儀正しく、いただきます、と言ってから寮の食堂から支給された弁当に箸をつけた。
(マジック兄さんは桜の花が好きだ)
 マジック――サービスの兄。日本びいきなガンマ団の長。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている――」
 高松が歌うように言った。
「梶井基次郎だな」と、サービス。
「え? 坂口安吾じゃないの?」
「あれは『桜の森の満開の下』です。どちらも桜の魔性を描いていますがね、ジャン」
 高松がはんなりと笑った。
「だから、私は桜が好きなのですよ。妖しい魅力に惹かれるから」
「ふぅん……俺にはわからん趣味だな」
 夏の太陽のように明るいジャンには、確かに陰の魅力は理解できないであろう。だが、サービスには高松のいうことが少し理解できた。そして、その魅力に反発を感ずる。
 この時期は――嫌だな。
 訳もなくそう思った。
 桜の魅力がわかる者は、反発するか魅せられるか――高松とサービスは違うようでいて同じだった。
 桜の花びらがひとひら、ジャンの弁当のご飯の上に落ちた。
 高松がくすりと笑った。
「おや、殺風景な弁当が途端に華やかになりましたね」
「本当だ」
 ジャンも笑う。そして、花びらごとご飯をかっこんだ。
「美味しいかい?」
 サービスが訊く。
「塩味が効いてて旨い」
 ジャンが答える。
「いいんですか? 桜の樹の下には――」
「迷信だろ? そんなの」
「埋まってるのは人とは限りませんよ。動物だったり虫だったり――」
「よせよ。食事中だ」
 サービスと高松が言い合っている間、ジャンは夢中で弁当を食べていた。
「よっ」
「ハーレム!」
 サービスの双子の兄のハーレムがやってきた。
 いつもならこの闖入者に眉を顰めるぐらいはするサービスだが、今回は、
(助かった)
 そう思った。
「こんなところでお花見か?」
「んな風流なものじゃないですよ」
 全くだ――サービスは思った。高松が変なことを言うおかげで食事が美味しくないったらありゃしない。
 まぁ、自分もこんなところで食べたくはないが――。
 サービスをここに連れてきたのはジャンだった。サービスは彼が好きだった。
(仕方がない、付き合ってやろう)
 と思ったのが運の尽き。何故か高松までやってきて振り回される。
 けれど、ジャンの話は興味深かった。
 ソネという友達がいたらしい。ソネは植物に過剰に感情移入して――だから、この桜を見たら何というか楽しみなんだ。ジャンはそう言っていた。
「喉乾いた」
 ハーレムが言った。
「お茶くれ、サービス」
「はいよ」
 サービスは水筒ごと渡した。ハーレムは水筒の蓋に紅茶を注ぎ、一気に飲み干す。
「サンキュ、サービス」
「――どうも」
「俺も喉乾いたんだけど――」
 ジャンが言う。
「この水筒でいいか? ハーレムと間接キッスになるけど」
 そのサービスの冗談に、ジャンの瞳がきらりと光った。
「おう。いいとも」
「――サービス。ちょっと貸せ」
「何だよ」
 言いながらもサービスは再び水筒をハーレムに渡す。ハーレムは『H』の刺繍のついたハンカチでさっき口づけたところを丁寧に拭き取った。そして言った。
「これでいい」
 ジャンはつまらなさそうな顔をしながらサービスのお茶を飲む。皇帝の紅茶。そう呼ばれた紅茶はジャンの舌にも合ったらしい。
「ぷはーっ! うめー!」
「嫌ですねぇ、親父臭い」
 ジャンが口元を拭うのへ、高松が顔をしかめた。
 その時だけ、サービスは桜の舞を忘れることができた。風に吹かれた綺麗で妖しい花びらの舞を――。

 そして、桜の季節が廻って来る。
「よくここで食事しましたよねぇ」
 高松が歩きながら言う。高松はもう立派な医学博士だ。
「そうだな」
 長い金髪を靡かせながらサービスがそう言う。片目を隠した妖しき美貌。サービスは桜の花に似てきているようだった。
 ジャンが死んでからどのぐらい経つか――サービスはふと、桜の樹の下から這って出てくる血まみれのジャンの姿を夢想した。
(桜の樹の下には――)
 屍体が埋まっている。サービスはそれを迷信だと馬鹿にしていた。でも今は――
(迷信でもいい。出てきてくれ。ジャン)
 そう祈らずにはいられなかった。
「桜の花は死を連想させますよね」
「ああ――」
「桜の花は散り行く桜に例えられるのですよ。日本では」
 そんなことはどうだっていい――いや、そうでもないか。
 ジャンは桜の下で眠っている。墓に埋められたのを見ていたくせに、サービスはそう夢想するのをやめない。
 桜は怖いくらいに美しい。
 涙が溢れそうになった。高松がいなければ泣いていたであろう。
 高松が首を横に振った。
「帰りましょう。サービス」

 そして、また月日は流れ、ジャンとサービスは再会した。
 ジャンはサービスを欺いていた。結果的にはそうなった。だが、サービスも結果的にジャンを騙していたのでおあいこだろう。
 ジャンの体は不死身に近いらしい。彼に対して流した涙はそら涙のようなものだ、とサービスは思った。思い返すだに馬鹿馬鹿しい。
 だが、ジャンが生きてて良かったという安堵も勿論ある。
「おまえの屍体は桜の樹の下に眠っていたのか?」
 サービスが冗談交じりにジャンに訊く。ジャンは笑って答えた。
「それは内緒」
 そう聞いて、サービスがふっと笑う。
 ジャンの屍体は桜の樹の下に埋められたに違いない。ジャンの赤い血は桜の花びらを薄紅色に染めたに違いない。ジャンとサービスは、桜の満開の森の妖しき美しさに一時我を忘れた。

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