純情バニ―

(虎徹さん……)
 窓から夜景を眺めながらバーナビー・ブルックス・Jrは思った。――愛しき人のことを。
 彼は今、どこで何をしているのだろう。アントニオ達と飲みに行ったとか。
 何故彼のことがこんなに気になるのだろう。
 今までは両親への復讐が心を占めていて、他人のことなぞ心にかけたこともなかった。
 こんなに気になる相手は――鏑木・T・虎徹が初めてである。
(虎徹さん……)
 きゅうっと胸が痛くなる。バーナビーは自分で自分の体をかき抱いた。
 それでは、これが恋なのだと自覚したのは、つい最近のことである。

「なぁ、虎徹。変だと思わねぇか?」
 ロックバイソンことアントニオ・ロペスが食堂で虎徹と昼食をとっていた。
「はひふぁ?」
 虎徹はスプーンを咥えたままなのに気がついて、取り出すと「何が?」と言い直した。
「バニーのことだよ。あの年で女の影がないなんて、変だと思わないのか?」
「――どうでもいい」
「俺が思うになぁ……」
「女に興味がねぇんじゃねぇの? あの顔だからナルシストで他の女性相手にしなかったりして」
 虎徹がにやにやしながら自分の考察を披歴していると――
「ナルシストで悪かったですね」
 バーナビーの声が降って来た。ちなみにバニーとは虎徹が勝手につけたバーナビーの仇名である。
「おっ、聞いてたの? バニーちゃん」
 虎徹は平気の平左である。
「僕の名前はバーナビーって、毎回毎回言ってるでしょうが」
「バニーちゃんよぉ……そうバーナビーバーナビー言われるとますます『バニー』に聞こえるから止めた方がいいぜ」
「とにかく、噂話はもっと静かにしてもらいたいものですね」
「いや、俺達だって何も騒いでいるわけじゃねぇけどよ」
 アントニオが真面目に頷く。
「ヒーローとしての仕事が忙しくて、恋愛してる暇がないんですよ。どっかのおじさんと違って」
「お……俺だって忙しいぞ!」
「トレーニングもシミュレーションもまともにやれないくせに」
「な……実戦ではちゃんと活躍してるからいいだろ?」
「してますか? 面倒なことはいっつもこっちに押し付けるくせに」
 はあ、とバーナビーは大袈裟な溜息を吐いた。
「貴方とコンビを組んで、こっちは迷惑してるんです。いつも言ってることですが」
「俺だって嫌だよ。でも、上司の命令のせいで仕方なくだな――」
「仕方なく、ですか?」
 バーナビーの声が沈んだ。
「貴方にとって、僕は仕方なくコンビ組んでるパートナーなんですか?」
「は?」
 虎徹は真剣に落ち込んでいるバーナビーに対して、かける言葉もなく、ただ口を半開きにしていると――。
「いいですよもう。お邪魔しました」
 声が怒っている。
 アントニオ・ロペスは、生真面目な表情を崩さずに言った。
「おまえも罪作りな奴だな」
「え? 何が? どこが?」
「バニーの視線に気がつかなかったのか」
「視線?」
「おまえのところにハートマーク飛ばしてばっかりいるように俺には見えたぞ」
「バニーが? まっさかぁ」
 虎徹はスプーンを振りまわしながら笑い飛ばしていた。
「バニーも大変だな……」
 アントニオはぬるくなった水を一気飲みした。

『上司の命令で仕方なく――』
『仕方なく』
『仕方なく』
 心が通じ合っていた、本当は彼も自分のことを気にかけてくれていると思っていたのは勘違いだったのか。
 バーナビーが項垂れながら自動販売機の傍のソファに腰掛けていると――。
「バーナビーさん」
 折紙サイクロンことイワン・カレリンが話しかけてきた。
「元気がないですね。どうしました?」
「折紙先輩……僕はおかしいんです」
 バーナビーは自嘲の笑いを浮かべた。
「な……何がおかしいんですか? 僕でよかったら聞きますよ」
 バーナビーは、
(虎徹さんもこれほど僕に優しかったなら――)
 と思った。
「実は――」

「虎徹さん!」
「バニー?」
 廊下の向こうからやってきたバーナビーに、虎徹はうろたえた。
 バーナビーは虎徹に抱きついた。
「好きです! 虎徹さん!」
「な――なに……っ?!」
 虎徹は突然の告白に目を白黒させた。だが、あることに気がついた。
「そうか――おまえ、折紙だな!」
「何でわかったんですか? タイガーさん」
「わからいでか! バニーはおまえみたいに素直で純な子じゃないの! 伊達にコンビ組んでるんじゃないんだからな――バニーはどこだ」
 乱暴な足音を響かせて廊下を歩く虎徹をイワンが止めようとする。
 虎徹はイワンの手を振り払った。
「タイガーさん……?」
 変身を解いたイワンはそれでもそのままついてきたが、虎徹は気にしなかった。

 トレーニングルームにバーナビーの姿があった。
「バニー、来い」
 バーナビーは虎徹とイワンのところにやってきた。何だろう――と思いながら。虎徹は珍しく真剣な顔をしていた。
「何ですか?」
 ぱしっ!
 虎徹がバーナビーの頬を張り飛ばした。加減して、だが。
「な……何するんですか!」
「遊びもいい加減にしろ!」
 驚いているバーナビーに虎徹の怒鳴り声が被さった。
「いたずらをしては駄目なんて言わない! だけど、これには悪意があるぞ! 人の心を弄ぶようないたずらはするな!」
「おじさんだっていっつもやってるではありませんか!」
 人の心を弄ぶようないたずらを。それとも、弄ばれるように感ずる自分が悪いのか。
「ここまで悪質なことはやってない!」
「違うんです、違うんです、タイガーさん! バーナビーさんは悪くありません! ――僕が勝手に……」
「折紙まで巻き込んで、どういうつもりだ。度が過ぎるぞ」
「虎徹さん、僕は――」
「話は後で聞く。トレーニングに戻ってろ!」
 バーナビーの後ろ姿は、どことなく悄然としていた。
「タイガーさん……今のはタイガーさんが悪いと思います」
「何だ? 折紙。おまえもバーナビーの味方するのか?」
「バーナビーさんは……タイガーさんを本気で好きなんです」
「何? 何を馬鹿なことを……」
 その時、バーナビーが振り向いて戻って来た。そして――彼は力いっぱい虎徹の頬を平手打ちした。
「貴方には、僕の気持ちなんてわからないんです……!」
 そして、トレーニングルームとは逆の方向に走って行った。
 あんな悲しそうなバーナビーの顔は初めてだった。少し泣いていたかもしれない。
「……言ってくれなきゃわかんねぇだろうが……」
「タイガーさん……」
 どうするんですか?と、イワンの目が訴えていた。
(でも、俺のこと好きって、あ――)
『ハートマーク飛ばしてばっかりに見えたぞ』
『バーナビーさんはタイガーさんを本気で好きなんです』
『貴方には、僕の気持ちがわからないんです……!』
 そういえば、思い当ることはある。
「はっ、でも待て待て。俺は子持ちのおっさんだぞ! バニーみたいなアイドルヒーローがこんなおっさん構う訳ねぇじゃねぇか――!」
「そんなこと関係ありませんよ」
「若い子はそういうがな、こういうのは結構大事なものなんだぞ」
「タイガーさんの言ってること、僕にはわかりません! 愛は全てに勝つんです!」
 うわー、折紙ってこんなこと本気で言うキャラだったんだ……と、虎徹は少し感心した。
「取り敢えず、バニーと話してくるわ……」
 虎徹はバーナビーの消えた方向に向かった。

 バーナビーはオフィスのいつもの席で、
(もう終わりだ……)
 と思った。
 バディとしての連帯感も、パートナーとしての仕事も――。
 ヒーローとしての人気だって、自分が男を好きなのが知られたら落ちる一方に違いない。
 それより何より、虎徹のあのきらきらした琥珀色の目が軽蔑と嫌悪の色に染まっていくのが耐えられない。
「バニー、ここか?」
 虎徹が消えていた仕事場の灯りをつけた。バーナビーは机に突っ伏していた。
「バニー……」
「虎徹さん、僕って変でしょう、気持ち悪いでしょう。パートナーを解散してもいいですよ。上司の方々には僕が言っておきますから――」
「俺まだ何も言ってないだろうが。ったく」
 虎徹は自分の席に座った。
「正直俺は戸惑っている。好きなんて言われてねぇし――」
「好きです」
「俺もおまえが好きだよ。恋とかそういうんじゃなくて――バディとしてだけど……」
「それでもいいです」
 それでも、虎徹さんのそばにいられれば――。
「これから先どうなるかわからねぇけど――……泣きたい時に肩を貸してやろうと思うぐらいには、好きだぜ」
 そう言った虎徹の表情は判然としない。彼は後ろを向いていたからだ。
(全く、虎徹さんは狡い)
「じゃあ、今貸してください。泣きそうなんです」
「おう。こっち来い」
 キャスター付きの椅子を移動させて、バーナビーは虎徹の肩に頭を置いた。
(貴方を愛してごめんなさい)
 それは、バーナビーが愛読している数少ない漫画で主人公が言っていた台詞だ。
 以前だったら一笑に付しただろうが、今ならばその女主人公の気持ちがわかる。
「ゆっくり休めよ、バーナビー」
 虎徹がバーナビーの金髪を梳いてくれた。
(嫌です……)
 バーナビーは心の中で虎徹に逆らった。この幸せな時間が消えてしまうと困るから――。
 虎徹は案外体臭が薄い。けれど、近くで嗅ぐと太陽の匂いがする。自分のコロンの匂いと混じり合ってくれないだろうか。
 ――せいぜいバディとしての特権を利用して甘えさせてもらおう。そんなことを考える僕も狡い。

後書き
「あなたを愛してごめんなさい」という台詞は、獣木野生先生の『花のおくりもの』という話からです。
2011.9.10

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