領主ジャミルという男 眠れないアリババが外へと出てみると―― (おっ、先客がいた) それはモルジアナであった。 「よっ、モルジアナ」 「……アリババさん」 モルジアナは黙っていても美少女である。でも、もっと笑わせたい。そんな思いがアリババの心の中を突きあげていた。 「――星が綺麗だな」 「……そうですね」 会話がそこで途切れた。 (えーと、何かないかな……えーと、えーと……) アリババは話の接ぎ穂を探したが結局見つからないので、諦めて草の絨毯に寝転がった。モルジアナと少しでも一緒にいたかった。 これが恋なのか、友情なのかわからないけれど。 アリババはモルジアナが好きだ。 「ありがとうございます。アリババさん」 モルジアナの方から口を開いた。 「そんな……礼ならアラジンに言えよ。えーと……」 照れたアリババはぽりぽりと頬を掻いた。 「あいつがいなかったら、ダンジョン攻略なんてできなかったからさ……君とも仲良くなることもなかっただろうし……あの嫌なジャミルの野郎も……」 モルジアナは立ち上がった。 (あ、あれ……?) 「領主様は……可哀想な方でした」 「うん、あの、でも、随分ひどいことやってたし……」 「でもっ! 優しかった時もあるんです!」 モルジアナが叫んだ。 彼女が激昂するのは珍しい。アリババは自分が地雷を踏んだことを悟った。 (モルジアナは……まだ、ジャミルのことが忘れられないのかな) モルジアナは、我々の世界で言うストックホルム症候群である。しかし、そんな言葉をモルジアナは知らないし、アリババも知らない。 ただ、アリババはモルジアナが不憫に思えた。 (世界にはもっといい奴らがたくさんいるのに……) その人々のおかげでアリババは生きている。モルジアナにもそれを実感してもらいたかった。 それにしてもジャミルめ――。 飴と鞭を使わせたら、確かにジャミルは超一流であった。だが、その他には何もない。 味わわされるのが鞭だけだったら、相手を憎むこともできよう。しかし、奴隷を扱うなら飴も必要なことをジャミルは本能で知っていたと思われる。 可哀想なモルジアナ。偽りの優しさに心を許して――。 彼女にはジャミルの支配する世界しか知らなかったんだ。 ジャミルがモルジアナの神だったのだ。 なんて、なんて……。 「アリババさん……泣いているのですか?」 「ああ……君が可哀想で……ジャミルのいる世界しか知らなかった君が……」 「何で私に同情するのですか?」 「君の仲間だからだよ!」 アリババは叫んだ。 「私は……アリババさんの仲間ですか」 モルジアナはアリババの隣に座った。 「嬉しいです。ありがとうございます。――けれど、領主様も被害者だったと思います」 「え?」 「領主様は先生と呼ばれる男から奴隷の扱い方を習ったそうです。自慢げに語ってました。でも――」 モルジアナの赤い髪が風に靡いた。 「そんな教育を受けていたら、性格歪むだろうとは思いませんか? だから、私は領主様を憎みきることができません」 「でもっ!」 アリババは勢いをつけて起き上った。 「ジャミルは死んだ、死んだんだよ……あいつはもう、どうしようもなく歪んじまった。心からアンタを好きになることはない」 アリババはふわりと抱き締められた。 「モルジアナ……」 「このままでいてください。どうぞこのまま……」 モルジアナも泣いているのだろう。アリババは思った。彼女の涙で上着の肩が濡れた。 アリババは優しくモルジアナの頭を撫でた。 「ジャミル……」 モルジアナの言葉に、アリババは引っかかった。 「モルジアナ! 現実を見ろ! ジャミルは君を奴隷としか見てなかった! ジャミルの優しさなんて嘘っぱちなんだ!」 アリババもまだ泣いていた。モルジアナが可哀想で可哀想で――。 「いいえ! いいえ! あの人は……!」 モルジアナはそこで台詞を紡ぐのを止めて口をつぐんだ。 もしかして―― 「なぁ、モルジアナはあいつが初恋だったのか?」 モルジアナは答えない。 だが、有り得ることだ。 ジャミルは外面は良かった。でも、モルジアナは奴隷として酷い目に合わされたはずだ。それなのに、何故――。 「……すみません。取り乱してしまいました」 「……い、いや、俺の方こそ……ジャミルのことよく知らねぇのに……」 ジャミルとモルジアナのことは他の人間には立ち入ることはできなかったのかもしれない。たとえ、モルジアナが恩人だと言っていたゴルタスでさえもだ。 ジャミルは根っからの悪ではなかったのかもしれない。こんなにモルジアナを惹きつけるくらいなのだから。 けれど――許せない。あいつを許せない。 「モルジアナ。アラジンといろんなものを見よう! それで、奴隷だった時のことは忘れるんだ!」 「無理です! できません!」 「ゴルタスの犠牲を無駄にするつもりか!」 こう言ってからアリババは、はっと気付いた。 これでは――まるで、まるで憎むべき敵ジャミルと同じではないか……。 モルジアナも冷たい目でこちらを見ている気がする。所詮、おまえも同類ではないかと。 (すまない。ゴルタス。今のは俺が卑怯だった) モルジアナの奴隷の鎖を切ったゴルタス。けれど、心の鎖はモルジアナ自身が断ち切らねばならない。 何故なら、自分を救うのは自分しかいないのだから――。 (アラジン、おまえならどうする?) アリババは心の中のアラジンに問いかけた。そうする癖が身についたのだ。これはアラジンに依存していることにはならない。そのアラジンもアリババが作ったアドバイザーなのだから。 (アリババくん、モルさんの言うことを聞いてあげようよ) そう言ってアラジンはアリババの心の中でにっこりと笑った。 「……モルジアナ。君はこれからどうする?」 「アリババさん……」 「いいか。これは君が決めるんだ。君の話は聞くつもりだ。けれど――俺にできるのはそれだけだ」 「私は……アリババさんやアラジンさんに恩返しをしたいのです」 「恩返し?」 「はい。さっきはあんなことを言ってしまいましたが――奴隷制度なんて間違っています。奴隷制度なんてなければ、領主様みたいな人も現われないはずです」 「そうだな……」 頷きながら、アリババはモルジアナの理解力に舌を巻いていた。 (奴隷は無学だって言うけれど――モルジアナはなんて頭のいい奴なんだ) だからあのジャミルとかいう領主に同情できるんだろうな、と思っていたが――。 もしかしたら、生まれはバルバッドの王族であるアリババなんかよりもっとすごい、それこそ足元にも近付けないような血筋の者なのではあるまいか。 (モルジアナの故郷だって、俺らが勝手に暗黒大陸って呼んでるだけだもんな……) 俺は必ずモルジアナを故郷へ帰す。俺もモルジアナの故郷に行ってみたい。アラジンと一緒に。 アリババがそう言うと、モルジアナはちょっと嬉しそうに、そうですか――と答えた。 それから彼らはしばらく寝転がって星を眺めていた。アリババは、今は地上しか行き来出来ない俺達だけど、いつかあの星々の向こうへ行ける日が来るかもしれないと考えた。 後書き ジャミル、本当は私もそう嫌いではないのです。ジャミル救済計画のつもりで書きました。本人が出ていないのがなんですけどね。 2013.2.17 |