イリーナからカラスマへ

「俺は明日は休むことになった」
「ええっ?!」と、クラス中の生徒が叫んだ。
「――上の命令でな。一日休めということだった」
「烏間先生、仕事人間だもんなぁ……」
「家がなくて学校に住んでいるんだと思ってた……」
 3-Eのガキどもも驚いてるわね。勿論私もよ。でも――
「オーホッホッホッ」
「ビッチ先生……煩いから高笑いやめてください……」
 煩いとは何よ。でも、チャンスだわ。カラスマの家に行って、あの手この手で落としてあ・げ・る。私はイリーナ・イェラビッチ! 世界有数のハニー・トラップの殺人! このミッションは絶対成功させるわよ!

 そして翌日。私は自慢のオープンカーでカラスマ家(場所はタコが教えてくれた)に向かっていた。
「キャンキャン、キャン!」
 後ろにはペットショップで買った小型犬。
「カラスマは犬が好きなのよね~、きっと喜ぶに違いないわ。これぞ、頭脳ミツグちゃん作戦!」
 貢がれるのには慣れてるけど、貢ぐのは初めてよ! 感謝しなさい! カラスマ!
 その時――前方を塞いだ車があった。衝撃音がして……私は意識を失った。

「ん……」
 私は物陰で気が付いた。何だろう。体が小さくなった感じ。よいしょっと。――目線も低くなった感じ。
「キャン!」
 今の――私の声?! 私、犬になってしまったの――?!
「大丈夫か?」
 この声――カラスマ?!
「おお、可愛い犬だな」
 ……本当にそう思っているのかしら。目つきが怖いし。普通の犬だったら怖くて死にもの狂いで吠えるでしょうね……。でも、こんなことで私は負けないのよ。
「お前は……逃げないんだな」
 逃げないわよ。相手はカラスマだもん。私の愛おしいカラスマだもん。
「美人なのに随分汚くなったな。――よし! 俺の家に連れてってやる!」
 カラスマ……アンタ本当に犬が好きなのね。私に向かって美人だなんて言ったの初めてでしょ。――全く、この堅物は。仕方ないわね。連れて行ってあげてもらうわよ。例え笑顔が怖くとも。
「行くぞ!」
 カラスマが私を抱き上げる。――人間でないのが惜しいわ。

 カラスマの家のバスルーム。狭いけど綺麗にしてある。本人と同じで――隙がない。私はごしごしと洗われる。む~。黄色いタオルが邪魔で肝心なところが見えやしない。けれど、何十人ものブツを見て来た私だわ。大体のことはわかるのよ。
「…………」
 きゃ~、理想のサイズよ形よ。理想の××よ~!
「む、どうした。あ、お前、やっぱりメスか」
 ええ、ええ。どうせメスよ。あなたの為なら雌犬になったっていいわ。本当のビッチになっちゃったけど、仕方がない。――好きよ。カラスマ。犬の姿の私はお好み? そうだと嬉しいけれど。
「お前、大人しいな。――俺に懐いた犬なんて、お前が初めてだ。どうしてだろうな。俺は犬が好きなのにな……」
 まず、私が人間に戻って一番にすることは、カラスマに犬との付き合い方を教えることね。本当に人間に戻れるか知らないけど。――このまま犬でいてもいいかなとは思うけれど。
 カラスマは風呂からあがると、私の体をドライヤーで乾かし、毛並みをブラシで整えてくれた。
 ――ああ、もう。何で私が人間の時はここまでしてくれないのかしら! ――カラスマの馬鹿! 私はまた吠えたくなっちゃうけど、こんないいムードを壊すのは気が進まない。
 カラスマ。私はあなたのペットよ。
「首輪も買ってやらないとな――」
 え? 何それ、首輪プレイ?! 昔、政財界の大物で首輪プレイが好きな男がいたけど、そんな感じ? ――でも、カラスマにそれをやられると思うと興奮しちゃう!
「名前も決めるか。お前は――ビッチだ」
 え? 何でよ。ふざけてっと怒るわよ。
「お前はイリーナに似ている。どこが、と訊かれれば、それまでだけどな。――そうだな。雰囲気が似ている」
 カラスマ――。本当にわかってる? 私があの、イリーナ・イエラビッチだということが。ふふ、そうだわ。ご褒美あげる。
 私はペロッとカラスマの手を舐めてやった。カラスマが微笑む。極上の微笑みだった。――この顔なら、犬達も少しは懐いてくると思うのに。鈍感で堅物で……不器用なんだから。でも、そんなあなたが好き。
「不意をつくところまで似ているな」
 何それ、どういう意味よ。――でも、悪い気はしなかった。カラスマが本気で喜んでいることがわかったから。
 カラスマ、あなた、本当に犬が好きなのね。でも、犬には嫌われてたみたいね。
 ――私が犬への話しかけ方を教えてあげる。犬の扱い方もね。私は犬には好かれる方だから。十か国語も操る私は、犬語もわかるのよ。――ほんのちょっと誇張。でも、私も犬が好きだから――。
 カラスマが布団を敷いている。日本人だから布団なのねぇ。それに、この部屋も和服だし。
「ビッチ。一緒に寝るか?」
 きゃー、もう、カラスマったら! 寝るといったらあのことしかないわよね! ……あ、でも、私、犬なのよね。添い寝するという意味以外にないわよね。――カラスマに獣姦の趣味がなければ。ああっ! この姿が歯痒い!
「どうした? ビッチ」
 カラスマが――あのカラスマが優しい声と優しい顔で添い寝を促す。不覚にもじんとしちゃったじゃない。
 ふ、ふん。この姿で良ければ一緒に添い寝してあげてもいいわよ。
「ビッチ……?」
 カラスマは些か不安になったようだ。そりゃあねぇ。道行く道で出会う犬全てに全力で吠えられてしまったんじゃねぇ……まぁ、仕方ないわ。付き合ってあげる。今日だけ――ううん。そりゃ、誘ってくれたらいつでもOKだけど。カラスマ限定で。
「くぅーん……」
「お、来るか」
 私はカラスマの隣に陣取った。カラスマが撫でてくれる。――ああ、気持ちいい。律を使ってのイメトレとはまた違った快感ね。こんな穏やかな快楽があるとは知らなかった。私、犬に生まれて来たかったかも。そして、いつもカラスマがあやしてくれて――。
 って、今、夢叶ってんじゃない! ふぅ、眠たくなってきた……おやすみ、カラスマ……。

 目覚めたらそこは、カラスマの部屋ではなかった。白い天井……もしかして病院?!
「――カラスマ?!」
 私はがばっと跳ね起きた。
「あ、イリーナさん目覚めました! 皆さん! イリーナさん目覚めましたよ!」
 看護師が部屋の外に向かって言うと、E組の生徒達が私の病室(なのよね?)のドアに詰めかけて来た。あ、私、元に戻ったのね……このダイナマイトバディも元通りだし。ただ、頭を強く打ったみたい。でなければ、あんな夢見ないものね。
「この子達、イリーナさんが目覚めるまでこの病院にいると言っていて……イリーナさん、先生でしょ? いい生徒持ちましたわね」
「え、ええ……はい……」
 こんなところで目が覚めるんだったらもっといろんなことしとくんだった!
 でも――E組の生徒達の騒ぎを聞いているうちにそんな気分も吹っ飛んでしまった。あなた達……私のこと、心配してくれたのよね。
「……烏間先生は今はいません。せっかくのオフ、邪魔したくなくて。それに心配かけても悪いし――」
 E組一の草食男子、潮田渚の声だ。このボーヤ、可愛いから最初のうちはなんだかんだと利用していたのよね。得意のディープキスも教えてやったし。――でも、暗殺の才能はこのクラスでもピカ一なのよね。……意外なことに。
「ここにカラスマはいないのね……」
 カラスマの温もりが体に残っている気がする。そりゃ、私は犬だったんだから何もなくて当たり前だけど……何となく寂しい。
「烏間先生は来ますよ」
 生徒達から『殺せんせー』と呼ばれているタコがひょいと部屋を覗き込んで言った。
「ヌルフフフ。すぐに来ますよ」
「すぐってどのぐらい?」
「――すぐです。ほら!」
「イリーナぁぁぁぁぁ!」
「カラスマ……」
「イリーナが事故に遭ったそうだな! お前達、何故俺に知らせなかった!」
「だって、烏間先生、休みだったし、ビッチ先生のことは私達に任せて欲しかったから……私達もビッチ先生の生徒だし……」
「それで俺が喜ぶと思ったのか? 片岡。イリーナの犠牲の上に立った幸せなんていらんからな。――まぁ、本来なら面会謝絶なんだろうけどな。看護師からイリーナの容態を聞いておくだけでもしておきたかったから」
 ああ――カラスマ、その台詞嬉しい……。それに……密かに私モテてない? もう。私がいないとダメなんだから。このクラスは。ああ、大好きよ、アンタ達!
 ――片岡メグは、カラスマに対して「ごめんなさい」と謝っているようだった。
「ヌルフフフ――でも、イリーナ先生がなかなか目覚めないんで私が烏間先生を電話で呼び出したんです。直接連れて来ても良かったんですが、烏間先生が嫌がるでしょうし――それに、ここはやっぱり烏間先生が愛するイリーナ先生の為に駆けつけてもらった方がドラマチックでしょう?」
 ――と、『殺せんせー』と称する黄色いタコ。ドラマチックって何よ、タコ。ま、お気遣いありがとう、と心の中で言っておくわ。――って、面会謝絶じゃ意味ないけど。
「キャン!」
「こら、ビッチ! 病院に入って来たのか? さっさと出て行くんだ。ここはお前がいていい場所じゃない」
 見覚えのある犬がキャンキャン吠える。――私、もしかして、本当に犬になってた訳? 烏間がビッチと呼ぶこの犬に? そういえば、夢にしてはなかなかリアルだったわ。バスルームの石鹸の匂いまでよみがえって来そうよ。
 烏間はちゃんと犬に対してもダメなものはダメと言うのね。流石堅物、安心したわ。でも、言うこときけばデレデレになるのよね。――犬に対しては。

 ――ビッチは、めでたく3-Eのペットになったの。これが私、イリーナ・イェラビッチが体験したちょっと不思議で幸せな御伽噺。
 その後、ビッチと私はカラスマの寵愛を巡ってバトルするようになるんだけど――それはまた別の話ね。

後書き
暗殺教室の二次創作。因みにイリーナとは、ビッチ先生のファーストネームです。
烏間先生は犬が好きなのに、犬には嫌われているという……。不憫なお方ですね。
個人的には『ジェニィ』をイメージして書いたのですがどうでしょうか。
2017.11.13

BACK/HOME