逝かないで! 渚せんせー!
「うぉーい、渚ー。なんか女にも男にもモテそうなスカしたおっさんが来たぞー」
「……え?」
教室の掃除をしていた渚には、その野郎というのが誰だか見当がつかなかった。取り敢えずその人に会う為、渚は扉に近づいた。
「やぁ、渚君」
「――浅野先生」
渚は息を飲んだ。浅野先生。どういうつもりだろう。お茶のお誘いかな。なら、付き合ってもいいけれど――。浅野學峯。元椚ヶ丘学園の理事長。今は浅野塾を開いて、のんびりとした環境で生徒達に勉強を教えている。
「何の御用ですか?」
「いやぁ――ここに来たのは初めてだけど、聞きしに勝る柄の悪さだねぇ……今日は君をスカウトに来たんだ」
「え……?」
「つまり、この高校を辞めて、浅野塾へ来ていただきたいという訳だ」
「それは……」
「駄目だ駄目だ。渚は極楽高校の先公だ。何故なら、俺らが渚を認めたからだよ」
「水口君……」
水口秀樹の言葉に、渚はじーんと胸が震えた。先生になって良かった。これが先生の醍醐味である。水口は更に続けた。
「それになぁ――渚がいなくなったら、先週発足したばかりの『渚ファンクラブ』はどうなるっていうんだよ」
(――ええっ?! そんなクラブいつ出来たの?!)
「……渚君。ここ辞めた方がいいんじゃないのかい?」
「はい……今、浅野先生の言う通りにした方がいいんじゃないかという気がしてきました……でも」
渚はきっ、と浅野に向き直った。
「この生徒は、僕の生徒です。僕の師とも約束しました。――僕は、このクラスを卒業まで面倒見るつもりです」
「ヒュー!」
「いいぞ、いいぞ、渚!」
「みんな……」
渚は教室を見回した。全員笑顔であった。渚を応援するために。
「ふぅ……」
浅野は溜息を吐いた。
「君は随分慕われているんだねぇ……」
「……おかげ様で」
「渚はよぉ……命張って先公なんかになってるんだよ。てめーなんかに渡す訳にゃ、いかねーな!」
「私は渚君の意見を尊重しますよ」
「僕は……極楽高校の先生です。他にどこにも行くつもりはありません」
「それでこそ渚だぜー!」
水口が渚の小さな体を抱きしめた。
「苦しいよ、水口くん」
「おい、おっさん。俺達はいずれ卒業する。その後だったら、浅野塾とやらに渚をやっても構わないぜ。ただ、俺達は渚の生徒でいたいんだ。渚を卒業までに殺せるように」
「おやおや、穏やかではないねぇ」
「だって、俺が『殺すぞ』と喧嘩売った時に、笑顔で『殺せるといいね。卒業までに』とかわしたんだぜ。シビれるだろ?」
「うむ。渚君らしい。まぁ、暇な時にでも顔を出してくれ給え。君の兄弟子達も待っているから」
「ありがとうございます。浅野先生。忙しい時に出向いてくださってご苦労様です」
「いや、なになに。君は優秀な先生だからねぇ。――息子の学秀よりずっと人心掌握が上手だ」
「は……?」
「こっちの話だよ。気が向いたら来てくれ給え。いつでも待っているよ」
「――はい」
渚はお辞儀した。
「なぁ、渚ー。浅野塾なんか行くなよー」
「ん。でも、遊びに行くだけだから」
「でも――ああいう人種って、俺わかるんだ。渚、浅野塾の先生に仕立てあげられちまうぜ。俺、そんなの嫌だよ。渚の評判聞いて、『来年は渚先生の授業を受けたい』っている下級生もいるんだぜ」
「……ありがとう」
渚は目を擦った。
「渚ぁ、泣かなくてもいいから浅野塾なんて、絶対行くなよ、な?」
「――でも、僕はあの人にも随分世話になったんだ。一度ぐらい、顔見せしたいよ。浅野先生の兄弟子のことも気になるし」
「…………」
水口は床に胡坐をかいた。
「わかった。もう止めねぇ。でも、極楽高校は辞めんじゃねぇぞ」
「――勿論だよ」
――そして、七月のある日、渚は地図を頼りに浅野塾の前に来た。雰囲気が――E組に似ている。まずそのことに驚いた。木造校舎、自然一杯の校庭。虫のすだく声。――すっかり汗をかいてしまった。
「君達もよく来たね」
「まぁな。敵情視察ってとこだよ」
――水口と水口の仲間達もやって来ていた。
「はい。水口君。この花何というか言ってみて」
「こんな時までおべんきょーかよ。ツユクサに決まってんだろ」
「はい。よく出来ました」
渚が背伸びして水口の頭を撫でた。水口が赤くなっている。渚は何とも思っていない。
「おい、渚――あいつらの視線がうぜぇんだけど」
「あ、僕、何か変かな――ちょっと緊張しちゃって。――さ、行こうか」
渚の後から生徒達もついてくる。――浅野塾はひっそりと今日も開講されていた。浅野先生自らが教壇に立つこともあるという。だが、今日は――。
「こんにちは。浅野先生」
「おう。浅野學峯とか言ったな。渚に変なことしたら許さないからな」
水口とその手下達がボキボキと拳の音を立てて凄んだ。
「今日は君達が来ると知っていたから、僕の算数の授業は森先生に代わってもらったよ。森先生は昔から算数が得意でね」
「あの――森先生って誰すか?」
「私の昔の教え子だよ。今は立派に先生をやっている。因みに美人の女の人だよ」
「美人!」
水口達の目の色が変わった。
「君達も見学していかないかい?」
「は……はい!」
水口達はぼそぼそ話し合った。
(何だよ、『はい』って――小学生のガキみてぇに)
(だってここ、小学生しかいねぇだろ……)
(美人の先生だったら勉強見てもらいてぇなぁ……)
浅野は相変わらずだ。もう高校生達の心を掴んでしまった。もし、彼らが小学生だったら、『この学校に行きたい』と親にお願いしたかもしれない。
「理科は永井君が教えているよ。それから――」
浅野は間を置いた。そうして、遠くを見遣った。
「池田君には――とても、大切な、大切なことを教わったよ」
「池田というやつは何を教えているんだ?」
「――命の尊さを」
「お道徳かよ。くだらねぇ」
「黙れ!」
浅野が珍しく声を荒げた。そして、そのことで自分にびっくりしたようだった。
「池田君は――自殺したんだ……」
辺りは、静まり返った。虫の声だけが響く。
「でも、私は、池田君が私達を見守っているって、信じているから――優しい子だったよ。本当に。でも、優しいだけではダメなんだ。強さに裏打ちされた優しさでないと――」
「……な、なぁ、浅野先生。アンタんところに渚を託しても良いっすか? 今のアンタなら、信じられそうな気がするっす。こいつ、強いし優しいけど、滅法お人良しなもんで……俺達としては心配なんすよ」
「僕はそんなに水口君に心配かけてたのか――でも、僕は極楽高校の先生だよ。水口君達の担任だよ」
「そうだな――でも俺達が巣立ったら、浅野塾に赴任することも考えてもいいんじゃねぇか? ――ここがアンタの本当の居場所って感じもするし」
「水口君……居場所は自分で作るものだよ」
「……だな。渚もそうやって来たんだしな。渚のような奴と会って、先公も悪かねーなと思ったよ」
季節外れの蝶々が飛んで行った。古代ギリシャ語では、プシケーは心や蝶を意味する。渚にはそれが、池田の心であるように思えた。そう思ってもいいんじゃないか、と思った。
自分の恩師である殺せんせーも今はこの世にいないけど――いろんなところで殺せんせーの残してくれた足跡を見ることが出来る。その足跡を辿って日々、頑張れる。
後書き
暗殺教室の二次創作。浅野塾にスカウトされる渚クン。
あの渚クンも今や一人前の先生になって……。
暗殺教室未来編を書くのは楽しかったな。
2018.03.15
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