ほっとけないよ

「ぎゃっはっはっはっ!」
 虹村修造の父の声が病室内に響き渡る。つられて、他の病人達も笑う。ここは大部屋であった。
(日本じゃねーというのに……アメリカだっつーのに、よく豪快に笑えるなぁ)
 だが、そんな父が微笑ましく、同時に誇らしくもあった。
「おい、修造、修造」
「何だよ。親父」
「ジュース買って来い」
「息子をパシりに使う父親がどこの世界にいんだよ」
「いいから行って来い。――あ、この部屋のみんなの分も頼むな」
「はいはい」
 虹村は懐からメモ帳を取り出した。
 アメリカに渡って四ヵ月。虹村は英語にも慣れてきた。
「コーラいる人ー」
「はーい」
「コーヒーいる人ー」
「はーい」
 ちなみに、このやり取りは英語でなされている。日本語に直すとこんな感じ。
「サイダーいる人ー……なし、と」
「おいおい。長老が手を挙げてるぞ」
「あ、すまない、長老」
「いやいや」
 長老がいつ入院してきたか誰も知らない。虹村が知る限り一番長く入院している患者だった。
「んじゃ、その他ー」
「はーい。オレ、ミルクティーね」
「おしるこー」
「んなのこの国にあっかよ!」
 いつもしるこを飲んでいた後輩の緑間を思い出して、虹村が怒鳴る。
(そういや、あいつら、どうしてっかなー)
 そんなことを考える日もあるけれど、今は取り敢えず買い物だ。
「じゃ、ひとっ走り行ってくるぜー」
「頼んだよ、修ちゃん」
『修ちゃん』の部分だけ日本語だ。彼らが最初に覚えた日本語は『修ちゃん』に違いない。
「おう」
「ははは。オレの教育が良かったから、一人前のパシリに育ちましたよ。皆さん、これからもどんどん息子を使ってやってください」
「よく言うぜ、クソ親父」
「何だとー!」
 でも、この分だと、来年ももちそうだな。来年だけでなく、再来年も、ずっと――。
(オレより長生きしたりして)
 それはそれで嬉しいが。
 ――病室から出ると、医者に、
「修造君」
 と、声をかけられた。
「何です?」
「いつも元気だねぇ。ちょっと、話いいかな」
「いや……今、買い物頼まれてる途中なんで……」
「じゃあ、それが終わったら……」
「はい」
 入院患者のおじいさん達に感謝された虹村は忙しい母の代わりにその足で医者のところへ行った。
 ――虹村の父はもう長くないとのことだった。

 それは、夏の暑い日だった。
 虹村の家族が揃って病院に来ていた。虹村の父はいつも以上に元気だった。
「お父さん、元気じゃないの」
「だな」
「おう。退院できる日も近いって言われたよ」
 ――嘘ばっかり。
 虹村は父の容態を医者から聞いて知っていたけど、それでも信じていたかった。
 父が、来年も再来年も、永久に元気で生き続けることを。
「さぁ、みんな、疲れただろうから外で休んできなさい」
 父が言った。あの父が初めて家族を気遣った。
「わかったわ。おやすみなさい。あなた」
「おやすみお父さん」
「おやすみ」
 虹村が病室を出る時、ふと振り返ると――父は慈愛と悲哀の込めた目でこちらを見ていた。
 家族の雰囲気は明るいものだった。
「お父さん、体調が良さそうでよかった」
「あはは、まぁ、黙って死ぬようなタマじゃないよね、お父さんは」
 その中で、虹村だけが一人鬱々としていた。心に引っかかっていることがあった。
 ――気高い獣は自分の死に姿を人に見せないと聞く。
「まさかっ!」
「何?! 修造、どうしたの?!」
 母の戸惑う声を振り切り、虹村は父の病室へと駆けて行った。
「親父……」
 父は眠っていた。永遠の眠りに。
 夜の暑さが固体となって虹村を押しつぶそうとしていた。
「親父ーーーーーーーー!!!」

 そして、虹村達は日本に帰って来た。
 父親は小さな位牌になっていた。
(親父……)
 あんたバカだよ。最後まで強がっちゃってさ――。
 けれど、涙のお別れなんて、あの父の性に合わないだろう。結局は、これで良かったんだと思う。
 でも――。
 何となく悲しみが込み上げてきた。涙が出そうになって――虹村は外へ出て行こうとした。
 いつの間にか季節は冬になっていた。夜は少し冷える。雪が降るほどではないが、雨は降っている。コートを羽織り傘をさしていく。コンビニに行こうと思った。
 雨が悲しみを流してくれるんじゃないか。そんな気がした。
(――あれ?)
 パーカーを着た濡れそぼった人物がいた。虹村はおせっかい呼ばわり覚悟で近づいた。
「おい、アンタ、そんなところで濡れていると風邪――」
 振り向いた人物の顔に、虹村は息を飲んだ。灰崎祥吾だった。
「灰崎――」
「よぉ」
 すっかり不良のなりになっていた灰崎は笑おうとしているのか、口元を歪ませた。虹村は言った。
「取り敢えずオレん家入れ。な」
「虹村サン――」
 灰崎は手負いの獣の目をしていた。それは、死ぬ間際の父の目に似ていた。虹村はつい、灰崎の肩を強く掴んだ。
「おい、離してくれよ――オレのことは、カンケイねぇだろ、アンタには」
 灰崎の台詞に虹村の中で何かがブチッと切れた。
「ほっとけるか――ほっとけねぇよ!」
 虹村が叫んだ。
「虹村――サン?」
「ほっとけねぇんだよ、畜生!」
「わかった。わかったから。虹村サン、アンタん家、一緒に行こう」
「――ああ、わり。取り乱した」
 それから虹村と灰崎の距離は急激に縮み、一人暮らしをしていた虹村の傍らには灰崎の姿があったという。

後書き
昔、『ほっとけないよ』という歌がありましたよね。
勝手に死なせてすみません。修造さんのお父さん。
2014.6.11


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