ユーリ・ペトロフの悲哀

『おーっと、ワンミニッツヒーロー、ワイルドタイガーが事故現場から無事女の子を救い出しました! しかし、残念ながら能力は時間切れです! ここで放送は一部リーグに切り替わります! 今季もKOH間違いなしのバーナビー・ブルックス・Jr――』
 ユーリ・ペトロフは観ていたテレビの画面のスイッチを切った。
「相変わらずがんばっているようですね、鏑木・T・虎徹」
 ユーリが呟いた。
 能力の減退にも負けずに……いや、それを武器にして。
(私の父にも……あれぐらいの度量があったなら……)
 虎徹は理想のヒーローであり、理想の父親であった。
 虎徹の娘であるという、鏑木楓が羨ましい。
 それにしても、二部リーグの詳細な中継の要請もこのところたくさん来ている。
 一度アニエスに掛け合ってみるか……。
 バーナビー・ブルックス・Jrとのコンビ再結成で、ワイルドタイガーの人気もうなぎ昇りだ。しかも、大抵が好意的な意見だ。
 それに、ユーリのワイルドタイガーこと鏑木・T・虎徹に対する憧憬が恋情に似たものになるのにも時間はかからなかった。
 母のこともあるし、家族を持つことを断念したユーリであるというのに。
(私が……まさか恋なんてねぇ……)
 ユーリも、今や自分が虎徹に寄せる好意が恋であることをはっきりと悟った。
 けれど、虎徹にはバーナビーがいる。虎徹の隣にいるのが彼ではなく自分だったら、と何度臍を噛んだことか。
 誰をも寄せ付けない孤高のヒーロー、ルナティック。それがユーリ・ペトロフのもうひとつの顔だった。
 犯罪者は死を持って裁くのみ。それでいいと思ってたのに。
 虎徹との出会いが、ユーリを変えた。
「これからもがんばってくださいよ……虎徹」
 ユーリは何も映し出していないテレビ画面に呟くと、シャンパンを喉に流し込んだ。その表情は、どこか満足そうだった。

 ユーリは子供になっていた。
 それなのに、虎徹は三十代後半――つまり、今の年齢と同じぐらいの男であった。
「ユーリ」
「なぁに、パパ」
 ユーリもすんなり虎徹を父親と認めることができた。
「あのな――」
 アイパッチから覗く琥珀色の瞳には無限の慈愛が込められていた。
「何も言わなくていいよ」
 聞きたくない。何も聞きたくない。
 隣に虎徹がいる。それだけでいい。虎徹こそが本当の父親なのだ。
「おっ、おまえの本当の父親だ」
 虎徹が前方を指差した。ユーリもそちらを見た。
 あれは――レジェンド。
 違う、あれは、あれは――。
「僕の本当の父親は、虎徹だ!」
「いいや。違うんだ」
 虎徹は悲しそうだ。
「あれがおまえの父親なんだ」
「さぁ、来るんだ。ユーリ」
 レジェンドと呼ばれた男がユーリの腕を引っ張る。
「待って、虎徹――」
 虎徹は後ろを見せたまま去って行く。多分、彼を必要としている人々のところへ。
 でも、ユーリだって虎徹に助けてもらいたかった。
「助けて、虎徹――」

「虎徹ーっ!!」
 ユーリが叫びながら手を伸ばした。
「あ……」
 誰もいない部屋。生活感のない、青い闇の底に沈んだ部屋。
 そこが彼のオフィス、仮の住まいだった。
「夢か……」
 また実家に帰らないといけない。母をあのままにはしておけない。
 ――気が重い。
「虎徹……」
 ユーリの呟きが闇に吸い込まれた。

「あ、お疲れ様でした。ユーリさん」
 アイパッチをした鏑木・T・虎徹が笑顔で挨拶をしてくれた。黒髪で変な髭。ちょっとしまりのない顔だとは思うが、それもまた慕わしい。
「お疲れ様。昨日テレビを拝見しました」
 ユーリも口角を上げた。
「いやぁ、観てくれましたか。ありがとうございます」
「二部リーグの中継もHEROTVでやらないかという話が持ち上がっているんですが――」
「あ、そうなんすか」
 虎徹は何でもないことのように言ってのける。
 父が何よりも――家族よりも大事にしていた地位と名誉。それをこの男はさほど重要視していないように見える。
「二部リーグの放映が本格的に始まったら実家の母や兄も観てくれると思います。――楓も」
 虎徹は人との繋がりを重んじる。家族に対しても。
「今日、お時間ありますか。タイガ―」
「あ、賠償金のことっすか? うん、いいですよ。ちょっと待っててくださいね」
 そう言って虎徹は携帯を取り出した。かける先は何となく見当がついている。
「おっ、バニ―。うん、そう。これから管理官さんとデートだから」
 デート――ユーリの心臓が高鳴る。
「あはは。冗談冗談。だから今日は俺の分まで飯作らなくてもいいから。じゃあな」
 そう言って携帯を切る。
「バニ―には連絡しておきましたから。ちょっとあいつ、不機嫌そうだったけど」
 バニ―……バーナビー・ブルックス・Jrの愛称だ。虎徹しか使わないが。
 どうやら一緒に住んでいるらしい。
 バーナビー……彼が憎い。当然のように虎徹の隣にいる彼が。
 虎徹も憎い。バーナビーのことを嬉しそうに話す彼が。
 けれど、ユーリはそんなことはおくびにも出さない。
「そうですか……それでは行きましょう。いい店知ってるんです」

「ほぇー。高級そうだな」
 虎徹はきょろきょろと辺りを見回す。白いカーテン、シャンデリア、皺ひとつないテーブルクロス。そんなものを好奇心を剥き出しにして見ていた。
「ここは魚料理が美味しいんですよ」
「そっか。バニ―も魚料理好きだから今度一緒に来ようかな」
 虎徹の心を占めているのがバーナビーのことばかりだと思うと、ユーリの胸が少し痛んだ。
 メニューを決めてオ―ダ―する。虎徹は、
「ユーリさんと同じのでいいや」
 と言った。少しこのレストランに気圧されている感じだった。
 しばらく当たりさわりのない話題が続く。虎徹のテーブルマナーは意外とまともなものだった。バーナビーに教えてでももらったのだろうか。
 しかし、ユーリはバーナビーのことを話題には出さなかった。
「それにしても、この頃大活躍じゃないですか。タイガ―」
 虎徹。
「あ、そうですか? いやぁ、ユーリさんに褒められると嬉しいっすね。――レジェンドに比べるとまだまだっすけど」
「レジェンドですか――」
 自分の顔はさぞかし翳っていることだろう、とユーリは思った。
「あ、レジェンド嫌いですか?」
 嫌いです。
「いえ――」
 少し置いてからユーリは話し出した。
「貴方は知ってますか? レジェンドのその後」
「少しは」
「レジェンドの家族のことは」
「殆ど知りません」
「私は彼の家族と知り合いだったのですが――レジェンドには息子が一人いましてね。母親に暴力を振るった父親をNEXTの能力で殺したんですよ」
 虎徹が固唾を飲んだようだった。
「それは――知りませんでした」
「……楽しかるべき食事の場で暗い話をしてすみませんでした。料理に専念しましょうか」
「い、いえ……その息子さんは……」
「今もどこかで生きてらっしゃるでしょう。その事件を起こしたのは彼がまだ子供の時でしたがね――」
 そこでユーリはかちゃりと宙に浮かせていたフォークとナイフを下ろした。
「ユーリさん……」
「失礼。すぐ戻ります」
 ユーリが席を立った。
 トイレで顔を洗う。鏡には泣きそうな自分の顔があった。
 何故あんなことを言ってしまったのだろう。虎徹に慰めて欲しかったのか? いや、ただ――思い出してしまっただけだ。あの時のことを。
「ユーリさん!」
 虎徹の声がした。
「虎徹……」
「大丈夫っすか? 何か様子が変だったから……」
「何でもありませんよ」
 ユーリはハンカチを取り出して自分の顔を拭いた。
「ユーリさん……アンタって優しいんですね」
「え?」
「だって、その息子さんのことを気にかけてたんでしょう? 自分のことのように。だから、悲しいんでしょう? だから泣いたのでしょう?」
 優しいのは貴方だ。虎徹――。
「……私が悲しんでいるとでも?」
「はい。そんな風に俺には見えます」
「私は泣いてなんかいませんよ。ちょっと顔を洗いたくなっただけです」
「…………」
 もし今――。
 自分がレジェンドを殺した犯人だったと告白すれば、目の前のこの男は一体どんな反応を見せるだろう。
 母のように、自分を忌み嫌うだろうか。父親を殺した悪魔だと言って。
 それだけは――避けねばならない。
「行きましょう、タイガ―」
 ポーカーフェイスに癒えることのない悲哀を押し隠してユーリは虎徹と一緒に戻って行った。

後書き
これ、去年書いたんですよね。確か。タイムラグが随分あります。
ユーリさんの悲哀が消える日は来るのでしょうか……。
2013.7.13

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