初めての友達

 雨の中、傷だらけの黒いランドセルを背負って家路につく少年が一人――。
 アラシヤマは、泣きながら歩いていた。いじめられ、塞ぎこんだ心のままで。
 寒い。
 服は水滴を吸って重くなっている。靴の中に入った水が、ぐちゅぐちゅいう。普段右目を隠している髪の毛が、雨と涙で濡れている。――早く乾かしたい。
(どうして、わてばかりこんな目に遭わなければならないんやろ……)
 小学生の彼には見当がつかない。ただ、世の中の理不尽さを漠然と感じているだけだった。
 どうして、みんなのように、仲の良い友達が作れないのだろう……。
 そう考えていた時、白い物体が近付いてきた。
 それは、犬、それも子犬だった。だいぶ汚れている。野良だったのだろうか。体のところどころの毛が汚れている。雨にうたれても落ちないのだろう。
 元は可愛い犬だったのだろう。みじめな姿に、アラシヤマは親近感を覚えた。
 白い子犬は、勢い良く尾を振っている。アラシヤマを気に入ったようだった。
「あんさんもひとりどすか? わても……ひとりどす」
 抱きあげてやると、子犬は嬉しそうに「くぅーん」と鳴いた。愛嬌のある顔で、どこか笑っているように見えた。
 母は動物が嫌いなのでペットも飼えない。――アラシヤマはこの子犬を手放したくなかった。
 誰にも見つからないところで育てよう。
「わてはアラシヤマどす。あんさんは――シロでええどすか?」
 シロは、「わかった」と言いたげに、わんっ、と鳴いた。
 体が内側からぽかぽかと温まるようだった。もう寒気など、どこかに吹き飛んでしまった。

 それから、アラシヤマとシロの楽しい生活が続いた。
 アラシヤマが給食袋に入れていた残ったパンをやると、シロは美味しそうに平らげた。
 誰もいないところで追いかけっこをしたりして遊んだ。
 アラシヤマは少しずつ明るくなっていった。その間、不思議なことにいじめられることはなかった。
 だが、その暮らしにもピリオドを打つ日がやってきた――。
「おう、アラシヤマ」
 いじめっ子のリーダーがやってきた。他にも見覚えのある子分が数人。
「最近ばかに気分良さそうじゃねぇか、なぁ」
 アラシヤマは、シロを抱いたまま、何も言わなかった。
「この犬のせいか?!」
 いじめっ子は、アラシヤマからシロを取り上げようとした。
「や……やめておくれやす!」
 アラシヤマは思わず、シロの後ろ脚を掴んだ。
 相手はシロの手を捕らえている。自然、引っ張り合いになった。
「く……くぅー……ん」
 シロが苦しそうに呻く。
「はっ! し……シロ!」
 これ以上やると、シロがちぎれてしまう。そう思ったアラシヤマは、手を放した。
 相手は、反動で後ろに引っ繰り返った。シロが、いじめっ子の少年に向かって「わん! わん!」と吠える。
「なんだぁ、この犬。気に入らねぇ。ま、人間にも相手にされないアラシヤマにはお似合いか」
 子分達がげらげらと笑った。
「シロ、行きまひょ」
 アラシヤマが声をかけた。
 だが、相手の少年は、シロの首根っこを持って吊るしあげた。シロは抗議の声を上げ、抵抗した。
「ふん。こんな犬、こうしてやる」
 大柄な相手は、シロを片手で持ったまま、電信柱にぶつけた。
「キャンッ」
 シロが悲鳴をあげても、いじめっ子達は、愉快そうな顔をしてそれを見ている。――舌舐めずりせんばかりだった。
「やめとくれやす!」
 アラシヤマが涙ながらに頼んでも、
「うるせぇ!」
 そう言って、今度は尻尾ごと振り回し、子犬の頭や体を柱に打ちつけた。アラシヤマは、複数の少年に体を押さえつけられて、思うように動けない。ただ、血を流しているシロを見ているしかなかった。――ついに、シロは声を立てなくなった。
「あーあ、死んじまった」
「やり過ぎじゃねぇの?」
「孤独な孤独なさびしーいアラシヤマくんの数少ない友達だったのによぉ」
「まぁ、これで、おまえにゃ友達はいなくなったわけだ」
 拘束が解かれた。いじめっ子グループは笑い合っている。
「シロ、シロ!」
 アラシヤマは倒れて投げ出された子犬に向かって呼びかけた。
 シロはの瞼が開いた。友達の姿を認めると、最後の力を振り絞って、パタン、パタンとしっぽを振った。そして、目を閉じた。
「シローッッッ!!!」
 子犬を殺した少年達は、のんきに、「帰ろうぜー」などと言っている。
 悪魔だ。こいつらは悪魔だ。
 憎い。
 シロを殺したこいつらが憎い。
 そして、シロを守れなかった自分が憎い。
 アラシヤマの怒りが噴出した。怒りが燃え上がる炎に変わる。
 それは、長い時間だったようで、一瞬であった。
 気がつくと、少年達は全員死んでいた。肉の焼けた匂いがする。シロの体にも、焼け焦げがあった。
 ひとりアラシヤマだけが、火傷ひとつ負っていなかった。
「う……うおおおおお!!」
 アラシヤマは、自分の周りの惨状に、混乱しながら叫んだ。
 いじめっ子のクラスメート達より、シロの方が心配だった。
「シロ……シロ……いやや……いや……」
 ――地べたに座り込んで悲しんでいる少年の視界に、軍靴が映った。
「ほぉ。なかなかやるではないか」
 アラシヤマは顔を上げた。
 明るい金髪を撫でつけ、一房額に垂らしている男。血を表すような真っ赤なブレザー。物騒な光を湛えた青い瞳。一目でただ者ではないとわかった。
「さすが――の息子だ」
 男はアラシヤマの父の名を言った。
「あ……あんさん、誰どす?」
「ああ。私はマジック。ガンマ団の総帥だ」
「ガンマ団……?」
「あー、簡単に言うと、暗殺集団だ」
「あ、暗殺? ではこれは――」
「これは君がやったんだよ」
「でも――」
「君の力がこれほどまでとは思わなかったよ。アラシヤマくん」
「わ、わての名を――」
「さぁ、早く行こう。人が来ると困る」
「せやけど――」
 アラシヤマは戸惑っていた。この男は、自分をどこへ連れて行こうというのか。
「今の技――もっとコントロールができれば強力な武器になる。マーカーのところに預けよう」
 マジックは、アラシヤマに向かって手を差し伸べた。
 ――アラシヤマは、その手を取った。
 シロは死んだ。アラシヤマは再び孤独になった。なら、同じことではないか。ここにいようと、ガンマ団に行こうと。
 かえって、ここにいる方が、化け物扱いされて辛い人生になるかもしれない。
 父と母には、後で連絡を入れよう。
 ――こうして、アラシヤマは、マジックと一緒に行き、師匠マーカーの下で修行に励んだ。
 後年、あんなに弱々しかった彼が、総帥の息子シンタローの次ぐらいに強くなったのだが――それはまた別の話である。

 十数年後。
 パプワがチャッピーとじゃれ合っているのを、大人になったアラシヤマが眺めている。
「ん? どうした? アラシヤマ」
 パプワが訪ねる。
「わての――初めての友達のこと、思い出していたんどす」
「人間か?」
「――パプワはん……わてに人間の友達は無理やと思ってますやろ――まぁ、人間やなかったどすけどな。チャッピーはん見て、懐かしいなおもたんどす」
「どんなヤツだ」
「――白い、犬どす。名前はシロ」
「まだ元気なのか?」
「――とうに死にましたわ」
 アラシヤマは答えた。何の苦みも痛さもなく、平然と言えるようになって、アラシヤマは、時の不思議さを知る。少し寂しくなくもない。
「ふうん。じゃあ、シロもぼくの友達だ。アラシヤマの友達だからな」
「パプワはん……」
 アラシヤマは、涙が出そうになった。嬉しくて、嬉しくて。いつの間にか微笑んでいたらしい。滅多に使わない顔の筋肉が動いているのがわかった。
「アラシヤマ、笑った方がいいぞ」
「パプワはんこそ……でも、おおきに」
 パプワの口元が、どこか綻んだように見えた。
「わんっ」
 シロの甲高い鳴き声が聴こえた――と、アラシヤマは思った。あの世でも、元気に過ごしてているだろうか。
 そろそろこの島も暑い時間帯に入る。

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