黒い毒花

 ミレイユ・ブーケはいつものようにパソコンを操作する。
 彼女の相棒のポジションにいる夕叢霧香は、植物にコップで水をやった。その花も黒く染まるわね、とミレイユがからかっても、その習慣を止めない。
 夕叢霧香は偽の名らしい。本名は本人も知らない。
 でも、人間は皆、自分の本性を知らない。少なくとも、ミレイユはそう思っている。
 彼女達は『NOIR(ノワール)』。二人の女殺し屋のユニットである。
 今はもう、霧香が植物に水をやってもミレイユは何も言わない。
「仕事よ」
 ミレイユは写真をぴっと弾いて飛ばした。霧香が受け止める。
 写真には髪を赤く染めた気の強そうな女が映っていた。
「その女のコードネームは『ジャンヌ』。新進気鋭の暗殺者よ」
「そう……」
 霧香は無表情で答える。霧香は一見、陰気なアジア系の女の子だ。何故、このようなつまらない女の子を家に置くことにしたのか、ミレイユは自分でもわからない。
 けれど、殺人術には長けている。特に、射撃には。
 ミレイユは、
(これが相棒というヤツなのかしら)
 と思っている。
「霧香、飲みに行きましょ?」
「私、飲めない……」
「付き合ってくれるだけでいいのよ。それに、飲まなきゃやってられなくなるようなことも、そのうち起こってくるわよ」
「でも、いいの?」
 ――ジャンヌを探さなくて。霧香の目は言外にそう伝えている。ミレイユにはそれがわかった。
「彼女の方に何か動きがあるかもしれないわ。多分これは、そういう類の仕事だから。つまり、焦っても仕様がないってこと」
 霧香は首を傾げる。
「ないならないで、その時はその時。――まぁ、何かあると睨んでいるけどね。あたしは。まぁ、いずれこっちからも仕掛けましょ」

 ミレイユは近くの酒場に霧香を連れていく。ざっと店内を見回したが、敵らしき人物はいなかった。皆、陽気に酔っている。けれど、店内はどこか品が良くて静かだ。
「いつものお願い」
「わかりました」
「アンタは? 何飲む?」
「え、ええと……」
 悩む霧香に、ミレイユは呆れたような声を出した。
「アンタって、本当につまんない子ね」
「…………」
 霧香はしょげた顔つきをした。といっても、霧香はいつもそういった顔つきの方が多いのだが。
「――でも、アンタの優しいとこ、嫌いじゃないわ」
「私、優しくなんてない――」
 霧香はミレイユの言葉に戸惑っているようだった。また、哀しそうな顔をする。
「私には、悲しいという感覚がわからない。悲しみがわからない――人を殺しても、悲しいとすら思わない……」
 ミレイユは何とも言えない感情に心を満たされたが、それは無視して敢えて明るく言った。
「取り敢えず飲みましょ。酒がダメなら……ここにはノンアルコールのカクテルもあるから。――この子に何か作ってあげて」
 ミレイユの台詞の後半は、この店の主人に対するものだった。
「かしこまりました」
 やがて、霧香の前に綺麗な水色の液体の入ったカクテルグラスが差し出された。さくらんぼが入っているのがアクセントになっている。
「綺麗……」
「飲んでみて」
 霧香はくっとグラスを傾けた。
「美味しい――」

 翌朝――。
 市場はざわめいていた。
 珍しい果実を売っている商人、声を張り上げている店の人、新鮮な魚や肉が所狭しと並んでいる。霧香の足に猫が体を摺り寄せる。「にゃあ」と鳴きながら。――霧香が微笑んだ。
 人の波をミレイユと霧香は器用にかき分けていく。
「尾行しているヤツがいるわ」
 ミレイユは霧香に聞こえるか聞こえないかくらいの小声で囁いた。霧香も頷いた。ミレイユが言った。
「女ね」
「――女よ」
 霧香も答えた。
「予想より早かったわね。――霧香」
 二人は顔を見合わせて頷いた。そして、脱兎の如く駆け出した。
 ミレイユと霧香は港の倉庫の前で足を止める。
「そこにいるのはわかってるのよ。――あなたがジャンヌね」
 ――返事の代わりに二発の乾いた銃撃の音がする。
 ミレイユ達は倉庫に飛び込んだ。そして積み荷の陰に隠れる。移動する時は建物内の反響を使って居所を判別しにくくしている。
 彼女にもわかっていた。障害物の多いところで戦うのは、ミレイユの得意としているところだったが、自分に有利な場所は、往々にして相手にとっても有利であることを。
 だが、ジャンヌはあまり倉庫での戦いは慣れていなかったらしい。
 ミレイユはまたも倉庫の中を移動する。反響音を使って相手を撹乱しながら。だんだんターゲットに近付いてきた。
 ミレイユが発砲する。相手も応戦する。ミレイユもまた――。
「ちっ、逃げ足だけはなかなか早いわね」
 霧香も戦う。――霧香が横合いから飛び出した。
(霧香!)
 ミレイユは心の中で叫んだ。
 霧香の存在にジャンヌが気付いて銃を向けた時――。
 ドサッ。
 ――銃声がしてジャンヌが倒れた。
「アンタ、戦い方は下品だけど、正確な仕事をするわね」
 ミレイユは霧香に笑いかけた。彼女なりの褒め言葉なのだ。
 床には写真と同じ、短い赤毛の女殺し屋が急所から血を流して横たわっていた。
「この死体はこのままにして行きましょ。どうせ後で誰かが片づけてくれるわ。でも、この女、新進気鋭という割には大したことなかったわね。尾行も下手だったし」
 捨て台詞を吐いて、ミレイユはその場を後にする。霧香も追いかけた。必死で追いかける霧香にミレイユは振り向きもせずに言った。
「依頼人はね、あたし達とジャンヌを両天秤にかけたのよ」
「そう……」
「時々こういう仕事が来るのよ。あたし達と相手、どちらが暗殺者に向いているかね。相打ちを期待している場合もあるわ。まぁ、今回はそうではなかったようだけど」

『今回の仕事、見事だった。是非、我々の会社に招待したく――』
 メールを読んだミレイユは腹が立ってパソコンを強制終了した。
「どうしたの?」
 コーヒーを二人分持ってきた霧香が訊いた。
「何が?」
「普段だったらパソコンをそんなに乱暴に扱わないじゃない」
 夕叢霧香という女は、見ていないようで見ている。
 ミレイユは苦笑した。
「そうね。あんまりやんない方がいいわね」
 そして、ミレイユは窓を開けて外の空気を取り込むと、景色を眺めながら呟いた。夕暮れが厳かに近付いてこようとしている。屋根屋根が橙色に染まっている。鳩が群れをなしてバサバサとミレイユの視界を飛んで行った。
「どうやら、後始末が必要なようね」
 ――ミレイユはいつもの席に座ると、パソコンを再び起動させた。

 ミレイユと霧香はとある会社の社長室まで来る。社長は、ミレイユ達を歓待した。この男が今回のノワールの――そして、おそらくジャンヌの――依頼人であった。
「『ノワール』というのは二人だったんだね。しかも、まだ若い」
 社長は舐めるように彼女達を見遣る。霧香が怯えた様子を見せた。
「それにしても本当に来てくれたのか。君達の仕事ぶりを直接お目にかけたかったねぇ。さぞ見事だったんだろうねぇ。どうだね? メールでも伝えたように、裏社会での私のボディーガードに――」
 ピシュッ!
 一発の弾丸が男の命を奪った。
 ミレイユは眉を顰める。醜いものを見た。こんな稼業をしているのだから、醜いものには慣れているはずなのだけれど。
 裏口から逃れることをせず、堂々と正面玄関から出て行った。社員達が異変に気付く頃には、もうミレイユ達は簡単に捕まえられないほど遠くへ行ってしまっている。
 外は暗かった。
「ミレイユ、どうして、今回の仕事を受けたの?」
 霧香が訊く。
「本当はジャンヌと協力してこの男を片付けたかったんだけど、次はあたし達がジャンヌに狙われるからね――」
「……じゃあ、ジャンヌを殺す為に……」
「――そうよ」
「ジャンヌはどこで私達の正体を調べたのかしら……」
「さあね」
「あの社長さんも、私達のことはよくわからなかったようだったのに」
「あの男に『さん』付けしなくていいわ。でも、そういえば妙ね――ジャンヌのことよ。あたし達の顔はわからないはずなのに」
「多分、同じ匂いがしたんだと思う」
「――ジャンヌと?」
「うん」
 同じ殺し屋の匂い――だが、ミレイユには肯えなかった。
(あんな三流殺し屋と――)
 ミレイユは苛立ちに我知らず奥歯を噛み締めた。
「――ミレイユ?」
「霧香……あたし達の知らないうちに情報が洩れているということもあり得ると思わない? 裏社会にもデータバンクはあるんだから。あたしも利用させてもらってるもの。ジャンヌの情報はわかりやすいからすぐ見つかったわ――シケた話は終わりよ。昨日の店で飲みましょ。あたし達が行くまで店がやってればの話だけど」
 ミレイユの喋りに霧香はこくんと頷いた。そのまま二人は歩いていく。沈黙に飽いたミレイユが口を開いた。
「――霧香。あたし達はさながら黒い毒花ね」
 黒い毒花の匂いがジャンヌを惹きつけたということなら、もしかしてあるのかもしれない。
「ノワール……フランス語で『黒』……」
「そう。そしてあたし達は二人で一つ――イヤ?」
 振り返ったミレイユの言葉に、霧香はふるふると首を横に振った。
 霧香の目元が微かに和らいだ。それを見てミレイユの機嫌も直った。

後書き
初めて書いた『NOIR』の小説、捏造もところどころあります。
これは、『NOIR』を貸してくださった風魔の杏里さんに捧げます。
ジャンヌに一言も喋らせることのできなかったことだけが心残りです。
2014.10.11


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