ドアを開けると赤司様がいました 94

 やがて、赤司が尋ねて来た。
「――聞いてるのかい? 光樹」
 そう言われると、「いいえ、ちっとも」としか答えようがない。その答えを聞いて、赤司は笑った。赤司の笑顔は綺麗だ。緑間程ではないけど、睫毛も長いし。
「光樹は素直だね。相変わらず」
 そうかなぁ。俺自身は自分のこと、素直と思っていないけど。赤司だって、オレが話を聞いていないのはわかったはず。だけど、「聞いているのかい?」と一応訊いたのだ。
 オレは謝るところだったが、赤司の機嫌は良さそうなので、それでいいと思うことにした。
「ねぇ、赤司。オレ達、大きな事件や事故に巻き込まれたことがなくて良かったね」
「そうだね」
 赤司がまた新聞を広げる。これからも、オレ達無事でありますように。そして、事件や事故がない世界が出来ますように。
 ――そう言うとどっかの新興宗教みたいだけど、オレは本当に悪いニュースのない世界ってのは不可能じゃないような気がするんだ。
 オレは赤司から離れると、黒いケースからバスケットボールを取り出して、一人で遊んでみた。触ったり、ボール振り子をしたり、真っすぐ上に飛ばしたり。
「光樹もほんと、バスケが好きだねぇ」
「これも、練習の一環なんだ――って、赤司ならもう知ってるか」
「そうだな。――それは、光樹の誕生日に、黒子が光樹に贈ってくれた物だろう?」
「うん。お気に入りだよ。マイボールだぜ」
「光樹……もう契りも交わしたんだし、オレのことは『征十郎』って呼んでくれないか?」
「でも、オレの中じゃ『赤司』で定着しちゃったし」
 それに、今更征十郎なんて、恥ずかしくて呼べない……これは赤司には言えないことだけれど。それに、契りを交わしたって……少しは大人しくなるかと思ったら、前よりぐいぐい来るね。
「まぁ、いいや。オレは焦らない。――仇名で呼んでくれてもいいんだけど」
「赤ちんとか?」
「紫原かい? あれは――」
 赤司の笑いが引き攣った。『赤ちん』は微妙らしい。オレは吹き出してしまった。赤ちんなんて、昔の消毒薬じゃないんだしさぁ。オレがそう言うと、
「製造時に水銀が出ることが問題なって、今は下火になったらしいね」
 と、赤司が説明してくれた。ふぅん。そうなんだ。水銀って毒なんだよね。昔は体温計にも使われていたらしいけど。うっかり割れちゃったりしたら、皆どうしてたんだろう。まぁ、今は電子体温計に代わったけどね。
「じゃ、実渕サンみたく、征ちゃんとか?」
「それでもいいけど」
「オレが恥ずかしいんだよ。高校バスケ界の天帝だった男を征ちゃんなんて――」
「実渕サンは気にしなかったよ」
「オレは気にするの。今だって、まだ夢の中にいるようだよ――」
「そんなに良かったかい?」
「いや……その……ああ、もういいや!」
 オレは話を切り上げて、ボールいじりに没頭した。手にしっくり馴染むいいボールだ。高かったんだろうな。やっぱり。火神が意外と金持ちらしい、と言うことは家に招かれたことがあるから知ってるけど――。そういや、黒子はどうなんだろうな。
 黒子って、密かに謎が多いよな。赤司とはまた違った意味で。
 オレはスポーツ店であれやこれやとバスケットボールを選ぶ、オレへのプレゼントを探すという名目でデートしている黒子と火神のことを想像していた。
 そういや、今年はオレも黒子の誕生日に誘われたんだよな。高尾と火神も。――小金井センパイが羨ましがってたっけ。
『どうしてフリとか火神とは呼んで、オレは呼んでくれなかったんだよ~』って。
 でも、オレは、赤司のおまけみたいなもんだから――最初は帝光の連中しかよばなかったんだよな。赤司も桃井サンも。
 ……黒子達とのストリートバスケ、楽しかったな。
(フリ、フリも来てくれたのか!)
 青峰が嬉しそうに笑ってくれたのも、覚えている。
 オレと赤司に「ゴディバのチョコ、ありがとうございます」と、黒子は礼を言ってくれた。一足早いバレンタインデーのつもりだった。言っとくけど、友チョコだぞ、友チョコ。
 そんなやり取りを聞いていた青峰が、
(赤司、フリ。オレも誕生日のプレゼントはゴバディのチョコがいいな。高いけど、旨いんだろ? それ)
 と言って、それを耳にした火神に馬鹿にされてキレたのを思い出す。バ火神にアホ峰か――。誰が言ったんだか知らねぇけど、よくぴったりの言葉を見つけて来たもんだな。
 その後、火神と青峰は喧嘩してたけど、ただじゃれてるだけだったような気がする。だって、青峰は火神に惚れてたんだもんなぁ。――火神にはフラれたけど、今では二人とも仲の良い友達同士らしい。或いはライバルか。
 火神には黒子がいるもんなぁ……。運が悪かったよ。青峰。桃井サンと、仲良くな。
 その後、赤司チームと黒子チームに分かれて、ゲームをした。何故か通りすがりの氷室サンもいたっけなぁ。
 赤司とオレが同じチームで戦ったのは、あれが初めてじゃないかな。――結果は赤司チームの勝利だった。黒子に華を持たせないなんて大人げない、と思ったけど、黒子は本気で相手してもらって満足そうだった。黒子と同じチームだった火神も。
 ――いや、夢の中で、オレは赤司と一緒に戦った。
 あれを、夢では終わらせたくない。
 ボールいじりもいつか栄光を手にする為に――。オレも赤司も、ヒマさえあればボールいじってるもんな。それは無駄じゃない。試合にも生かすことが出来るはずだ。
 それにボールに触っていると何となく楽しい。
「光樹、パスしてくれないか」
 赤司が言ったので、オレは赤司に向かってボールを投げた。赤司がくるるっとボールを指先で回す。赤司も上手いなぁ。
「いいボールだ。光樹が気に入ったのもわかるよ」
「黒子と火神からもらったんだ」
「そうだったね。はい、光樹」
 赤司がオレにパスをした。
「ありがと。赤司」
「ねぇ、光樹――やっぱりそろそろ『征十郎』と……呼んで欲しいものなんだが……」
「しつこいよ。赤司」
 オレはそう言ったが、本当は怖かったのかもしれない。体の上ではもう一線を越えてしまったし、このままでは赤司のペースだ。だから、赤司呼びはオレのささやかな抵抗――。
 それに、征十郎って、舌噛みそうな名前なんで――。
「――そうか。まぁ、さっき言ったように、オレは焦らないよ。そう自分で決めてもつい気が急いてしまうけれど。――いつかキミが征十郎と自然に呼んでくれる日が来ないとも限らないよね」
 そうだなぁ。赤司はオレのこと、すっかり光樹って呼ぶようになってくれてるもんなぁ……。よっぽど名前呼びに憧れてんだろうな。赤司は。
「今日は委員会も休みだから、光樹とゆっくり過ごせるよ。……ああ、そうだ。誠凛に行った時の話を大学の監督にしてもいいかい?」
「勿論だよ!」
 それって、赤司も誠凛行きで何か収穫を得られたってことじゃないか!
 電話してくる。そう言って赤司が立ち上がる。――学校へ連絡するらしい。
 その間オレはイヤホンで音楽を聴きながらボールに触れていた。ボールを上に投げ上げたり、(天井にぶつからないように、だけど)指で回す練習をしたりと、なかなか楽しい。
 オレはJ-POPを聴いている。赤司の影響でクラシックも聴くようになったから、趣味が広がった。
 やっぱりオレは日々、赤司に変えられているのかもしれない。チワワメンタルなのは相変わらずかもしれないが、最近、そんなにビビりでもなくなったかもしれない。
 赤司のプレッシャーを、無意識のうちに感じているからかな……。
 でも、世の中、怖いことなんてそうそうない。いや、あるのかもしれないけど、今は……まぁ、そんなにはない。
 もし運が悪ければ、新聞に載っていたような事件や事故に遭うかもしれないけど――。取り敢えず、元気で生きていられることに感謝しよう。
 さんまさんの娘、いまるちゃんみたく、『生きてるだけで丸儲け』なんだから。
 赤司の電話は三十分くらいで切れた。相手は監督らしかった。
「いやいや、参ったよ。監督は話好きで――これでもやっと切り上げたんだ。――スマホで音楽聴いているのかい? ボールが当たらないように注意した方がいいよ」
「そうだね」
「――俺が光樹に相手してもらいたいからそう言っただけだけど。話は変わるけど、キミは随分ドリブルが上手くなったよ」
「そりゃ、赤司としょっちゅう1on1してるからね」
 1on1は、バスケを上達させる上で有効だと、ネットに書いてあった。失敗しても気にしない。
「――1on1、したくなったね」
 赤司が言った。
「ん、オレもしたいな」
「雪が積もってても、大丈夫かな。――かえっていい練習になるかな。それとも、光樹はまだボールをいじっていたい? 無理なら今日は控えようか? 腰が痛いって言ってたじゃないか」
「けど、それでもオレも赤司と1on1したくなったんだよ!」
 ……ちょっと腰が痛いのは事実だけど、心の中では元気が漲っている。……あ、そうだ。今日はオレの大学でも自主練の時間があったんだっけ。主将が言ってた。――サボるか。赤司と1on1の魅力も捨て難いしな。それに、赤司が上手かったおかげで、体にはそんなにダメージはない。気のせいか、さっきより痛みも治まって来たような感じがする。
 オレ達の住んでいる部屋が、こんな狭いところではなく、赤司家ぐらい広かったらな――。屋内でも1on1が出来たかもしれないのに。でも、あまり暴れ過ぎて壺とか割ったら怒られるかな……。
「何考えているんだい? 光樹。嬉しそうな顔してる」
「そ……そう? 赤司と1on1出来るのが楽しみだからかな」
「……見えないところは大丈夫かい? 体を酷使し過ぎるのは良くないよ――そうさせたのはオレかもしれないけどね」
「い、いや、大丈夫……」
 そう! 雪でも腰痛でもどんと来い!
 すっかりいい匂いになったシーツを取り込んだ後、オレ達は厚着をしてバスケットコートに向かった。一人の男の子がこっちに向かって走って来る。白い息を吐いて。見覚えのある少年だ。
「南野クン!」
「あ、赤司さんに降旗さん。良かったぁ。迎えに行こうと思ってたところなんです」
 ――え? オレ達を? 何かあったんだろうか? オレと赤司は目を見合わせた。
「あの――今日だけオレにコーチしてくれませんか?」
 え?! ――南野クン、本気か?!

後書き
ゴバディのチョコ……流石青峰(笑)。
赤司様と降旗クンが南野クンのコーチに? さぁ、どうなる?!
2019.12.03

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