ドアを開けると赤司様がいました 88

「いいけど――赤司の意見も聞いてみないと……」
 オレは、赤司の方を振り向いた。赤司が頷く。
「オレは、別段構わない。高尾、オマエだったらね。……緑間と何かあったのかい?」
 赤司が訊くと、高尾は拗ねたようにそっぽを向いた。
「真ちゃんなんて、もう知らないッ!」
「おやおや、これは穏やかじゃないねぇ……」
 赤司が面白そうにニヤニヤと笑っている――少なくともオレはそう感じた。オレはデジャヴるものがあるんだけど――でも、灰崎の時と今とでは状況が違う。まさか緑間が浮気したとか――。
 ……いや、ないな。
 緑間は融通のきかない性格だ。そこがいい、と言う人もいるだろう。一見高尾とは正反対に見える。けれど、緑間にも脆い部分はあるし、高尾にも一本筋の通ったところはある。
 ――今回の高尾の家出は、十中八九緑間が悪いのだろう。高尾だって、訳なく人の家に転がり込むようなヤツじゃない。
 喧嘩でもしたのかな。喧嘩両成敗って諺があるけれど……。
「うっわー。旨そうな匂い。上がっていいスか?」
「構わないが……こういう時の為にオレは豆腐を多めに買ったのだな。オレの天帝の眼もなかなか役に立つじゃないか。もう一人のオレよ……」
 赤司は独りでなんかぶつぶつ言っている。高尾が目を光らせた。
「うわー、湯豆腐っスか?! オレ大好きなんスよ! ……あ、コートかけて来ます」
「あの……」
 オレが口を挟もうとしても、高尾のヤツ、聞きゃしない。高尾は鼻歌を歌いながら勝手にコートをかけている。
 ――それとも、悪いのは高尾の方なのだろうか……それにしても、おみきどっくりの緑間と高尾の間に何があったのだろう。好奇心で体がうずうずする。赤司も事情は同じだったらしく――。
「緑間と何かあったのかい? 教えてくれなきゃ追い出すよ……」
 と、怖い笑顔で問い詰める。
「わかった。言うよ――真ちゃんさ、家の中ではベタベタするのに、外に出たら腕を組ませてすらしてくんないんだよー」
「……は?」
 赤司が言った。オレも痴話げんかの話を聞かされるとは思ってなかった。
「それに、真ちゃんてば、夜もオレのこと離さないし――」
「……高尾。今すぐ帰れ」
 赤司がドスのきいた声で言った。そうだね。この件に関してはオレも悪いんだよね。赤司は禁欲生活を強いられているようなもんだから――。
「あーん、もう、冷たいんだからぁ。ねぇ、ここに置かせてよ。ねー、おーかーせーてー」
 高尾がおねだり攻撃を始めた。オレもこいつを追い出したくなった。緑間なら帰って来た高尾を快く迎え入れてくれるだろう。……でも、それじゃ面白くないか。
「わかった。いいよ」
 オレの言葉に赤司が慌て出す。
「なっ……光樹!」
「やりぃっ! ねぇ、赤司に降旗。オレ、何でもしちゃうよ。料理だってお洗濯だって皿洗いだって――オレ何でも出来るから。真ちゃんと違って」
 何でも出来る方ならここにもいますけどね――。
「そうか――そうだな。緑間も少しは困ればいいんだ」
 そう言った赤司と――オレの目が合った。オレ達はにやりと笑った。考えることは一緒だな?
「近所で買った豆腐だぜ。あそこの豆腐は美味しいんだ」
「へぇ、楽しみ~」
「食べるのはいいが、オレの分も残しておいてくれよ。高尾に光樹。沢山あることはあるんだが」
「りょーかい」
 高尾がおどけて敬礼をする。こいつが家にいれば、笑いが絶えないだろう。でも、高尾がいなくなったら、ラッキーアイテム集めはどうすんだろう。――ま、いっか。他人のことだ。
「高尾。緑間はキミにラッキーアイテム絡みで無茶ぶりしてないかい?」
 赤司が尋ねる。
「えー? そんなのしょっちゅうっスよ。……オレは辛抱強いから付き合ってあげてるんスけどねー」
 そう答え、高尾は湯豆腐をふうふう言いながら食べる。赤司が再び訊く。
「ただ単にキミが面白がっているだけじゃないのかい? 聞いたよ。ラッキーアイテムのおかげで緑間が九死に一生を得た話」
「ああ、あれ傑作だったんですよ。もう少しで真ちゃん死ぬとこだったんスよ。でも……真ちゃんがいるとまぁ、退屈しないし? 生きてて良かったと思うよ」
「喧嘩してもかい?」
 高尾の顔が翳った。喧嘩してもっス――高尾が小声で呟いた。オレは湯豆腐を食べるのに夢中だった。
「真ちゃん……」
 高尾がそわそわし出す。どうやら明日まで持ちそうにない。――緑間もさぞかし心配していることだろう。緑間のことだから、実家に帰っているのかもしれないが。赤司の家程でなくても、緑間家も相当立派だと話に聞いたことがある。
「高尾、将棋指さないかい?」
「――え?」
 赤司からのお誘いに、高尾が驚いている。
「え、まぁ……オレも真ちゃんと指したことあるけど、勝ったことないんで……」
「その緑間もオレにはしょっちゅう負けてたな……いや、オレの連戦連勝だったな」
「赤司!」
 高尾がマジな顔になった。眉とか目とかきゅっと吊り上がってちょっと怖い……。そういやこいつ、怒ると鷹みたいな顔してたっけな。さっきのおろおろしていた高尾とは別人のようだ。
 いつもこんな顔してたら、オレもこいつのこと女役とか思わないんだけど。
「真ちゃんの敵討ちっス! 相手になるっス!」
「ふふっ。負けないよ。赤司の名を名乗る者に敗北は許されないからね」
 赤司の勝利へのこだわりは異常だ。ウィンター・カップで負けたり、もう一人の赤司と統合してからはそんな部分もなりを潜めていたが――。
「アンタら、バスケで勝負しないの?」
 ――オレは聞いた。オレらの共通言語はバスケだろうが。
「そうかい。これでもやるのかい?」
 赤司がカーテンを開く。外は雪。
「うっわー! さっきまで降ってなかったのに……突然っスかねぇ」
 高尾が言った。高尾がこの家に来た時には、確かに雪も降ってはいなかった。
 高尾がぴょんぴょん跳ねている。積もればいいなぁ、とか言って。
「光樹……これでもまだバスケで勝負しろと言うのかい? いや、オレだったら全然構わないけどね――」
 近所にある外のバスケコートも無理して使うこともないだろうし……。雪の中のバスケも乙なものかもしれないが、とにかく寒いだろう。
「オレもバスケの方がいいっスけど……将棋で決着つけようじゃねぇか! 大体、真ちゃんの敵討ちは将棋のつもりで買って出たのだし――中学では真ちゃんは赤司とよく将棋を指してたし、その度負けてたことも知っていたけど!」
 と、いう訳で、将棋で勝敗を決めることとなった。
「赤司……アンタの不敗伝説、前々から気に入らなかったんスよ……アンタが負けたのは誠凛ぐらいでさぁ……あれは仕方ねぇと思うけど、オレは、あのチームでアンタに勝ちたかった……」
 高尾が涙をぐっと堪えた顔をした。オレらが一年だった頃の秀徳対洛山。高尾はあの時の敗北、まだ引きずってたんだ――。
 オレも、断然高尾の味方になりたくなった。オレは誠凛だったけど――あの時勝ちたかった緑間と高尾の気持ちがわかるような気がして。
 赤司の顔から表情が消えた。まるで能面のようだ。――ああ、こいつも本気だ……。
「手加減なしで相手してやる――来い」
 ……オレは将棋の駒と将棋盤を用意した。
「ハンデは?」
「いらねーよ」
 おー、おー、高尾のヤツ、つっぱらかってるな。こう言う、脇から見る真剣勝負程面白いものはない。
 赤司が降り駒をする。――赤司の先手だ。
「悪いが……遠慮なく行かせてもらう」
 それから、どのぐらいの時間が経っただろう。――やはり、勝負は赤司の勝ちだった。だが、赤司は浮かない顔だ。
「流石に緑間に指南してもらっただけのことはあるな。充分強い。……緑間はもっと強かったが」
「将棋で真ちゃんに勝つのは諦めてたけど……今度は真ちゃんともまた真剣に勝負してみっかな」
「頑張れよ。高尾。お前、将棋も筋がいい」
「へへっ、真ちゃんにも褒めてもらったことがあるけど……真ちゃん……」
 高尾が寂しそうな声を出す。その声が色っぽくて、何かオレも変な感じになるのがわかった。――緑間だったら自制しないだろうな。こいつら、恋人同士だって言うし――。
 多分、男役も女役も出来て……そんな高尾と別れる気は、緑間にはないだろう。そして、多分、高尾にも――。
「あー、負けた負けた」
 高尾がヤケクソで叫ぶ。赤司がくすっと笑った。
「経験の差かもしれないね……高尾、お前は将棋もまだまだ強くなる」
「オレ、将棋は母方のじいちゃんに習ったんだよ。小さい頃、死んしまったけどな。オレはじいちゃんにも勝てなかったんだ……」
 空気がしんみりとして来た。雪がしんしんと降り積もる。雪に慣れてない東京、明日も混乱しなければいいが。
「これからも将棋指しに来てもいいよ」
 あのさ、赤司――高尾は緑間と喧嘩してこの家に転がり込んだんだぜ。そんなに悠長に構えてていいのかよ……ここは駆け込み寺じゃないんだぜ。
「赤司、オレ達さ――負けないよ。将棋も、バスケも。将棋はともかく、バスケなら真ちゃんと二人で勝ってやる。オレは真ちゃんの相棒だもんな」
「ああ。受けて立ってやるさ」
 本気の勝負を経て、赤司と高尾は仲良くなったようだ。けれど、厄介事がまた増えたと思うのはオレだけだろうか――。赤司もそうだが、高尾も相当手強い相手だもんな。赤司が高尾に負けるとは思わないけれど――オレと高尾だったらオレは果たして勝ちを拾えるだろうか。将棋やバスケ以外でも……。

後書き
高尾クン。将棋で赤司と真剣勝負。
真ちゃんの敵討ちだと言うんだから、やっぱり高尾クンは真ちゃんが好きなんだなぁ、と……。
2019.11.11

BACK/HOME