ドアを開けると赤司様がいました 73

「そうだね。詩織が倒れた時は、あれは征十郎のことばかり気にしていたよ。その……変な話だが、征十郎に詩織を取られた気がしたよ」
「嫌だなぁ、父様……母様が一番愛してたのは父様だって、わかってるでしょう? オレは、父様と母様が愛し合って出来た息子なんだから……母様がオレのことを気にするのは当然でしょう?」
 赤司が誇りを持ってそう言った。――自分は赤司家の息子だと。
 オレは、うちの父ちゃんと母ちゃんのことを思い出していた。
 ――あの二人も、オレのことを愛してくれた。そして、今も、愛してくれている。父ちゃんは、きっとオレが心配だろうな……。赤司がオレを好いているのを見て。
 父ちゃんの気持ちは、わかる。だって、オレも、赤司の気持ちに応えられるかわからない。
 でも、今、赤司が好きで、赤司のこと、愛しているのは本当だよ。
 父ちゃんに母ちゃん。オレを産んでくれてありがとう。おかげで、沢山の友達に出会えた。そして――赤司征十郎に出会えた。
 初めて会った時の赤司はとても怖かったけど、一緒に暮らして、試練も一緒に乗り越えて――いつの間にか、オレは赤司の傍にいつもいるようになった。例え、現実には離れていても、心の中では。
 ありがとう、赤司征十郎。オレ、アンタに会えて良かった。
(私は、いつでもあなた方を見守っているわ――)
 女の人の声が聞こえた。きっと、詩織サンだ。
 ――そして、香水の匂い。
「今、母様の匂いがした」
 赤司は、父親に聴こえないように、早口の小声で喋った。
「『夜想曲』は母様の匂いなんだ」
「そっか……」
 オレには香水のことはよくわからないけれど――。
「オレにも、女物の香水の香りしたよ」
 と、返事をする。
「本当かい? ――ああ、キミを疑っている訳ではない。でも、『夜想曲』もそう珍しい香水でもなさそうだからな……。幼い頃はあれが母様の匂いだったんだ」
 相変わらず小声で、赤司は話す。
 いい思い出の香りなんだ……オレには香水のことはよくわからないけれど――。
「父様、オレはもう寝ます」
「そうかい。――光樹君も寝るかい?」
「はい……今日は興味深いお話が聞けて、とても幸せでした」
「私も幸せだったよ。詩織――妻のことなんて、親戚にしか話せないからな。……いや、親戚にも話せるかどうか――」
 征臣サンが憂いを帯びた顔をした。詩織サンは、赤司家には歓迎されなかったのだろうか……それを訊くのは野暮というものかもしれないけど。
「本当に、うちの親戚は暇さえあれば寄ってたかって再婚の話を持ち出すんだからな――私には詩織との思い出と征十郎がいれば充分なのに……再婚話が舞い込む度に苛々して、私は征十郎にきつく当たったよ」
「そうだったんですか?」
 赤司はきっと、目を丸くしただろう。征臣サンが赤司にきつく当たったのは本当だろうが、原因が再婚話なんて――。
 赤司がくすっと笑った。
「母様は、すごく愛されているんですねぇ。今でも――」
「ああ。さっき、詩織の声を聴いたよ」
「父様もですか?!」
「勿論。私はこの地上で、赤司詩織を一番愛する男だ」
「いやぁ、敵わないなぁ。父様には」
 本当に――オレも敵わないと思うよ。詩織サンを愛していることをそんな風に宣言出来る征臣サンは、きっと世界で一番幸せな男だ――。
 愛されるより愛した方が幸せだよな――。でも、愛されたからこそから愛し方もわかる訳で。
「父様。母様は、父様と結婚して良かったと、天国で満足していると思います」
「うん、うん」
 征臣サンは笑顔で答えた。この人の笑顔を見てオレは、この人と一緒になりたい、と思う女性は随分いるだろうな、と思った。母ちゃんだって、冗談めかしてたけど、素敵な人だとは認めたようだし。
「では、おやすみなさい。光樹。キミの部屋に案内させよう」
 そして、赤司はメイドを呼んだ。
「何の御用でしょうか。ご主人様」
「オレはまだこの家の主人じゃないよ。でも――まぁいい。光樹……この青年を客用の寝室に案内してくれたまえ」
「承知しました」
 ――メイドさんが振り返った時、その瞳には、赤司への慕情が見えた……ような気がした。気のせいかもしれないけど、赤司もモテるからな……。この娘もまた、赤司に叶わぬ恋をしているんだろうか……。
「こちらです」
 メイドさんが言った。メイド喫茶と違って、こっちは本物のメイドだからなぁ……どうも緊張して固くなってしまう。
「降旗様は、征十郎様のことをどう考えですか?」
「どうって……」
 憧れの存在。気の置けない友人同士。そして、オレが愛した相手。
「うーん……一言じゃ言えないかな」
「そうですわね。赤司様が連れて来るお相手はどんな方だろうと思っていましたが――少し意外でした。あ、悪い意味ではなくて……降旗様は可愛いと言うか、何と言うか……あ、着きました。ここです」
 うわー、でっかい扉。
「開けますよ。――どうぞ」
 前室を抜けると、広い部屋が待っていた。大きなベッドがある。
 ……今夜はここで眠るんだ……寝られるだろうか……。
 部屋の中には着替えとバスローブが用意してあった。
「シャワーはご自由にお使いください。では、おやすみなさいませ」
 メイドさんは行ってしまった。オレは、いろいろ考えを巡らせながらも――そのうち眠りに落ちていった。

 ――朝の光が眩しい。オレは、部屋に準備されてあった洋服に着替えることにした。ノックが鳴った。
「やぁ、光樹。おはよう」
 赤司の柔らかい声。
「似合うね。その服。食事はベッドで取るかい?」
「……食堂でいいです」
 だって、征臣サンとも話がしたいし。征臣サンがオレに対して言いたいことは全て、昨夜言ったのかもしれないけど。――それにしても、征臣サンなんて、赤司父のことを気安く呼んでもいいんだろうか。でもま、今更か。
 朝食はどれも美味しかった。パンがふかふかしてる~。焼きたてのいい匂いがするなぁ……。
「美味しそうに食べるね。光樹は。見てて気持ちがいいよ」
「えへ、そうかな……」
「はい、坊ちゃまの言う通りです。こちら、フォアグラのソテーになります」
 フォアグラ~?! 世界三大珍味のひとつだろ? 気軽に朝食に出しちゃっていいの? 上に乗ってんのは……何だろ。トリュフかな。平凡な家に生まれたオレが、こんなもん、お目にかかる機会は、まず、ない。
「どうした? 光樹。フォアグラは嫌いかい?」
「嫌いかも何も……食べたことないから……」
 オレはフォアグラに怖気づいていた。
「美味しいよ」
「そうだねぇ……そうとは聞いて……います……」
 オレはフォアグラを口に入れた。美味しい……ような気はするけど、味なんてよくわからない。
 赤司はいつも、こんな豪華なもん食ってんだろうか……。だとしたら、オレのいつも作っている料理なんて、料理じゃないかもな……。でも、赤司はいつも喜んで食べてくれる。
「光樹。――オレはキミの父さんのプレゼントに感動した。プレゼントを下さった――その事実そのものに感動した。万年筆、大事に使わせてもらうよ」
「オレ、母ちゃん……いや、母に『今度はおはぎでも贈ってみたら?』と言ったんだけど――その、美味しいんだけど……オレにとっては」
「えっ?!」
 赤司が一瞬目を輝かせた。
 ほら、やっぱりオレの言った通りだ。赤司はオレの父や母のプレゼントを喜んで受け取ってくれる。
 その様子を征臣サンは微笑まし気に眺めていた。
「いい恋人を持ったな。征十郎も」
「恋人だなんて、そんな――」
「照れなくていい。……いや、こちらの早合点だったら悪いのだが」
「…………」
 オレはつい汗をかいてしまう。男同士だからとか何だとか言う以前に、赤司とは価値観が違うのではないか。――そう思ってしまうのだ。
 今日だってフォアグラに恐れをなしてしまったし――ああ、オレは情けないなぁ……。
 次の料理が運ばれて来た。ああ、これも文句なく美味しい。けれど、やっぱりオレは我が家の料理が恋しいなぁ……。
 オレは、母ちゃんが作ってくれたオムライスの味を思い出していた。百人中九十九人が赤司家の料理を美味しいと選ぶとしても、それでも。――オレには、母ちゃんの手料理の方が馴染んでいる。
「父様。この間、光樹はお饅頭を作ってくれましたよ」
「ほうほう」
 征臣サンも笑顔になった。
「だからきっと、彼の母さんのおはぎも美味しいと思います」
 ――ありがとう。赤司。その後、少しは緊張も取れて来たオレは、征臣サンとも話をする。征臣サンも面白い人だ。オレは、食堂で食事をすることにして良かったなぁ、と思った。

後書き
赤司様と出会えて良かったね。降旗クン。
赤司様もいつか、降旗クンのお母さんのおはぎを食べることが出来るでしょうか。
2019.10.10

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