ドアを開けると赤司様がいました 72

「ちょ、ちょっとタンマ。待って、待ってください……」
 オレは言った。
「光樹君……征十郎が好きなのではなかったのかい?」
「好きですよ。そりゃ……でも、最近、また征十郎君には他に相応しい人がいるんじゃないかと思うようになって――」
「ふふ、やはり光樹君は単純に征十郎を好きな訳ではないようだな。――安心した」
「はぁ?」
 間の抜けた声を出したのは、赤司だった。
「オレは、オレの心は立派に光樹に恋してますよ。――愛してますよ。そうだろう? 光樹」
 そうか……今までのことが愛ならば、だけど……。愛してる。赤司に改めてそう言われると、何となく照れ臭い。と、同時に、勇気の塊みたいなのが熱く感じられる。
 ――少なくとも、今のオレは、チワワじゃない。降旗光樹という、一個の男だ。
「オレも、征十郎君のことを愛してます!」
「光樹……」
 そして、オレは赤司にくしゃっと髪を撫でられた。
「ありがとう。その言葉だけで、オレは充分だよ」
「だ、だけど、あ、あの行為は……」
「そうだね。無理強いはしない。オレは、このままでも充分幸せだから――」
 オレ達の様子を、征臣サンは優しい目で見ているらしかった。何故だろう。征臣サンはずっとオレのこと、好意的な目で見てくれていたような気がする。
「でも……オレは、まだ覚悟が決まってないんで……そのうちに……それまで、待ってくれないかな。赤司――征臣サンも」
「ああ。キミ達はまだ若い。これからもいろんなことがあるだろう。けれど、私はキミ達なら大丈夫だと信じているから……」
「それから、征臣サン……オレ、赤司の母さん――詩織サンに夢で逢いました。オレに、『征十郎を宜しくね』って――」
「ああ……あれはそういう女性だ」
「ありがとうございます」
 オレは、一口、オレンジジュースを含んだ。柑橘系の甘酸っぱい味と香り。オレはそれを机の上に置いた。
「いつかは、オレも覚悟を決めなきゃならない時が来る。そうは思っていますが――。それまでは、このまま友達でいていいかな。赤司……オレは今まで、赤司は友達だと思ってましたから……」
「ああ。友達になれない相手とは、恋人にもなれないよ。結論は急がない。待ってる。でも……」
「何?」
「いや、今、ハグしていいかな、と思っただけだ」
「――いいよ」
 そして、オレは、立ち上がってバッと手を広げた。――赤司がオレをぎゅっと抱き締める。赤司の甘い香りがする。オレと赤司の関係に似てる。甘くて、それからちょっとほろ苦くて……。
 赤司はオレの背中を叩くと、オレから少し離れる。
「愛してる、光樹……父様……オレが添い遂げる相手は、光樹しかいません」
「征十郎。そう思える相手に会えたのはとても大事なことだ。赤司グループの方は私が何とかする。どうせ今時世襲制でなければいけない、なんてこともあるまい。お前はお前で自由に人生を謳歌したまえ」
「はい!」
「今まで、厳しくするばかりで済まなかった。さぞかし私は鬼のように見えただろうな。――征十郎」
「いえ。それでも、オレは父様が好きでした。母様もいたし」
「詩織はお前にバスケットボールを教えてくれた――そこで、生涯の伴侶と夢を得た訳だな」
「はい。父様、確かにオレは、バスケも好きです。将来はNBAでプレイしたいと思ってます」
「うむうむ。頑張るんだぞ。――勝利を目指すのは、赤司家の男子にとって重要なことだ。――例え敗北を喫してもそこから何かを得ることもあるだろう。人生には無駄なことなんてないからな」
「父様……オレは、赤司家に生まれて良かったと思っています。父様と母様の息子で、良かったと思います。二人の間に出来た一人息子の『赤司征十郎』として、胸を張って、誇りを持って生きて行きたいと思います。もう一人のオレの為にも――」
 もう一人のオレ――。
「あ、あの、赤司のお父さんはもう……」
「知ってるよ。もう一人の征十郎のことは。中学時代に変貌したのにも気が付いていた。だが、私はそのことをあまり話題にしなかった。勝利が全て。勝てばいいと思って――だが、それは間違っていた」
「父様……もう一人のオレは、オレの弟みたいなもので……友達でもありました。前は、出来の悪い弟と思っていたのですが……」
 あれで出来の悪い弟ねぇ……チートだったじゃねぇか。もう一人の赤司も。
「けれど、最後にはわかってくれました。そして――オレに礼を言って……消えてくれました」
 すうっと、赤司の頬に涙が伝う。
「うむうむ。けれど、そのもう一人の征十郎のおかげで、お前はまたひとつ、成長したようだよ」
「ありがとうございます。……父様っ……!」
 赤司が袖で涙を拭った。オレがハンカチを取り出す。
「赤司――これで拭きなよ」
「ありがとう……光樹……」
 そう言った、泣き笑いをしている赤司の顔が美しかった。やっぱり、美形って得だな……。泣く時もオレみたいに鼻水垂らさないんだな。赤司は……。
「ああ。いい匂いがするね。キミのハンカチは……ありがとう。後で洗って返すよ」
「え? いや、いいよ。そのままで……」
 征臣サンがふふっと笑った。
「仲が良くていいな。お前達は……私も、気の合う友達はいたが、恋愛にまで発展したのは詩織一人だった――お前達を見ていると、昔の詩織と私を思い出すよ――」
 そっか……でも、征臣サンと詩織サンは異性同士だからな……こっちは同性同士だし。
 この場面は、男性と女性だったら、さぞかし微笑ましい情景だろうな――と思いながら、オレは赤司を見つめていた。赤司は優雅な仕草で涙を拭く。
「――あ、何だい? 光樹……」
 そう言って、赤司はまた微笑む。気恥ずかしいのだろう。ちょっと照れたような顔をした。
「いや、オレ――やっぱり、オレも、赤司が好きかなって……」
「……オレの方が光樹のこと、好きな気持ちは大きいよ。今からだって結婚したいと思ってる。キミは――そういう気はないんだろう? オレは、ずっと、キミと結ばれることを考えていた。――バスケの時以外には」
「う……オレはその……それはまだ……」
「――そうだろうね。オレはもう、結婚についても既に覚悟は決めてあるけど、キミはそうじゃなさそうだものな」
 けれど、赤司を愛している。その気持ちは本当。
「いいよ。焦らなくて……父様も待っててくれるでしょう?」
「ああ。お前達はまだ若い。……光樹君。君の気持ちが定まったなら、私にも教えてくれ――道はいっぱいあるのだから……もし君が征十郎を選ばなくとも、君のこと、悪くは思わないから。君が征十郎と友達になってくれて良かった」
「やだなぁ、父様ったら……オレの台詞を取っちゃうんだから……」
 ――赤司も笑った。
「けれどオレは……光樹を誰かに取られたら、平静ではいられなくなるかもしれない……」
 そういえば――オレがキャンパスのマドンナと付き合っていた時、赤司はどこか変だった。
「キミを――奪いたいと思うかもしれない……」
「征十郎……」
 ダンディな父親、征臣サンが目を閉じながら言った。
「光樹君は……前に誰かと付き合っていたようだね。だが、私は征十郎の気持ちの方がわかるし、征十郎を応援したい。私も、同じような経験があったから――昔、妻の詩織を本気で好きになった人が他にもいてね……」
「母様を?」
 赤司の言葉には、意外だ、と言いたそうな響きが混じっている。征臣サンがゆっくり瞼を開く。――赤司が言った。
「そんなこと、初耳でした。母様はモテた、というのは、父様から何度か聞かされたことがありましたが……」
「詩織は素晴らしい女性だった。控えめで――けれど、詩織の魅力を知っていたのは、私だけではなかったんだよ」
「わかります。オレも母様は好きです。母様が初恋でした」
 赤司がそう言うと、征臣サンはくすっと笑った。
「光樹君がいなかったら――そして、詩織がまだ生きていたら、今度は征十郎が私のライバルになっていたかもしれないな」
「はい。そうかもしれないですね……」
「けれど、詩織が他の男と付き合っていた時、私は失敗ばかりしていたよ。他の女と付き合ったり、小さなミスをちょくちょくしたり――あの時の私はさぞかしみっともなかったろうな。詩織が何故私を選んでくれたか、今でも謎だよ」
「母様からも、同じような話を聞かされました。『征臣さんがいないと、私はミスばかりするのよ』って――」
「ほほう。……詩織からはそんな話は……いや、聞いたこともあったかな……」
「父様と母様はお似合いだと思いますよ」
 オレは、うんうんと頷いた。
「光樹。……父様は本当に母様を愛していたんだ。だから、今まで再婚もしなかった」
「征十郎。実はな、再婚の話は今までにも出ていたんだよ。それに、詩織も、私に再婚を勧めてくれたし――けれど、私には征十郎がいたからな」
「オレが、父様の縁を切って来たんですか?」
「いや、それは関係ない。詩織――母さん以上の伴侶が見つからなかったからだよ」
「父様……オレも、母様は最高の女性だと思ってます」
 赤司がマザコンだとは知らなかったな――。
 でも、美人だし、バスケも教えてくれたようだし……確かに、赤司には母親以上の女性は見つからなかったのかもしれない。だからと言って男(オレ)に走るのはどうかと思うけど――。
 そんな詩織サンが、オレに、息子のことを託してくれたんだよな――。
 ありがとう、詩織サン、これからどうなるかわからないけれど――オレのことも宜しくお願いします。
「どうした? 光樹……何か考え事でも?」
 赤司がオレの顔を見つめている。オレが考え事してるって、わかっちゃうんだなぁ……。エンペラーアイのおかげだろうか。だとしたら、本当に凄いよ。
「オレ、詩織サンのこと、考えてた。――本当に、霊魂が夢枕に立つってこと、あるんだなぁって……赤司のところもそうだったんだなって、今、思って……オレ、詩織サンにとってはこの世に未練はなかったかもしれないけれど、ただ、赤司のことだけは気にしていたんだろうね――赤司も似たようなこと言ってたけど」

後書き
赤司様のお父さんに赤司様への愛を宣する降旗クン。
征臣サンと詩織サンも、きっとロマンチックな恋をしたんでしょうね。
2019.10.07

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