ドアを開けると赤司様がいました 54

 黛家は広かった。新築の家の匂いがする。もしかして、建てたばかりとか――? 床もぴかぴかだし。
「ご両親は出かけてるんですか?」
「そうだ。この家には今はオレとオマエらしかいない。――こっちだ」
 黛サンが自分の部屋に案内してくれた。
「わぁ、広い」
「赤司家には負けるけどな――まぁ、リラックスしてくれ」
 ああ、ラノベや漫画や同人誌が沢山あるなぁ。参考書などに混じって。黛サンは本当に本が好きなんだなぁ……。
「降旗。液タブ知ってるか?」
「ええと、聞いたことはあります」
 ――なんか、オレにとっては都市伝説みたいなもので、実際に見たことはなかったけど……。黛サンは大きな写真立てみたいな機械を持って来た。
「ほら、これが液晶タブレットだ。これで犬を描いてくれ」
 黛サンが言う。今日はよく犬を描かせられる日だ。オレは下手なりに一生懸命書いたつもり……だ。勿論、作品を作るのに一生懸命になるのは当たり前のことだけど。
 液タブは思ったより描きやすかった。オレが下手なのには変わりないけれども。
「ふんふん」
 黛サンがしきりに頷いている。何か、納得したようだ。
「これ、アップルハニーに似ているな」
「アップル……何?」
「『時計仕掛けの~』の主人公が買っている犬だよ。結構可愛いじゃないか」
「そ……そうかな……」
 褒められたオレはつい嬉しくなってしまった。
「そうでしょう? 黛サン。光樹の絵は味のあるいい絵なんだ」
 アップルハニーねぇ……そういえば、そんな犬が出て来たような気がする。オレは犬も好きなんだ。
「それはアンタに預けるから好きなように絵を描いてていいよ、降旗」
「えー? オレだけ自由にしてていいなんて、悪いな……」
「なんか面白い絵が描けたら、また見せてくれ。――お、赤司。もう描いたのか。早いな……」
 赤司は液晶タブレットではない。何て言うの? 板タブ?で描いてるみたい。オレも覗き込んだ。
 う……上手過ぎる!
 下手なプロより断然上手い! 赤司の力はこんなことにも発揮されるんだ。黛サンも、赤司の絵が上手いからアシスタントとして誘ったんだろうな……。何で赤司が黛サンに気を使ってるんだかわからないけれど。
「かわいい……」
 オレはつい呟いていた。作者が……というか、挿絵作家が描いたみたいだ……。
「よく描けてんな。流石は赤司と言ったところか。本の表紙はこれでもいいけど、降旗のも使ってやりたい気もするなぁ……」
「え? オレの……?」
 あんな下手な絵、よく使おうと思うな……。
「恥ずかしいですよ。あんなの……」
「いや、オレは見直したね。あの犬をアップルハニーということにして……そうだ。裏表紙に使おう」
「そんな……」
 オレはすっかり照れてしまった。あんな絵を使ってくれるとは……勿論光栄だけど。リップサービスも少しはあるんじゃないかなぁ、と、オレは疑っていた。
 赤司征十郎はどでかい才気を持っている。彼の絵が欲しいと言う人がいっぱいいるだろう。
「あ、まだ訊いてなかったな。降旗。オマエの犬の絵、使っていいか?」
「は……どこがいいんだかわかりませんが……お役に立てるなら幸いです……」
「いやいや。俺の方こそ、手伝ってくれて助かった。裏表紙どうしようかと、考えていたところだったからな。この頃、些かマンネリ気味だったしな。――赤司、ちょっと降旗と話して来ていいか?」
「どうぞ。オレは林檎たん描いてますので」
 オレは黛サンに廊下に連れていかれた。
「なぁ、降旗――赤司がオレに気を使ってくれてんの、わかったかい?」
「はい……なんからしくないような気もします。学校の先輩後輩だからじゃないですよね」
「そうだ……。あいつは、三年前のWCでのオレの扱いを、今でもまだ済まながってる」
 ああ……あの雑な扱い……パスを回すだけの道具に黛サンを使っていたことを、赤司は後悔しているんだ……。元は優しいヤツだからな。例えそれがもう一人の赤司の仕業だったとしても。
 赤司……あいつは、勝利だけが目的ではなくなったんだ……。
「赤司らしいや……」
 オレの言葉を黛サンはどう受け取ったのか、静かに笑った。
「さぁ、戻ろう。――来週のコミック街、降旗も来るか?」
「え? オレにはバスケの練習が……でも、ちょっと行ってみたいなぁ……」
 結局、オレはその日、いけないことだとは思いながらもサボることに決めた。顧問の先生にもあらかじめ電話をかける。
 コミック街には様々な人が集まっていた。
 なんか……イメージと違うんですけど。皆、普通の人っぽい。重そうな荷物抱えている人もいるけど。あ、あの子、コスプレしてる。可愛い……。
 オレは、売り子をさせられた。本を売る人。お金を計算する人。赤司も隣に座っている。
 代わりのクロ(黛サンのペンネームだ)さんのサークルは盛況だった。
「すごいですねぇ……」
「これでも小規模な方だよ。同人誌即売会としては。夏コミ冬コミはもっと人が集まるからな」
 黛サンが説明してくれた。赤司や黛サン個人のファンもいるらしい。
「赤司様~。お会い出来て嬉しいです~」
 と、泣く女の子もいた。
「あ、蜂蜜本だ~」
 二人組の女子。一方は白、一方は黒でおしゃれに決めている。蜂蜜本とは、『時計仕掛けの林檎と蜂蜜と妹』の本のことらしい。
「つか、このアップルハニー超可愛いんですけど!」
 えへへ……オレが描いたヤツだ。このサークル?では本の裏表紙も見せている。
「すみません。これ、ください」
「はい。五百円です」
「あ、三百円しか持ってない。あっこ、二百円貸して」
「いいよー」
 白い服の子が、黒い服の子にお金を渡す。そのお金をオレが受け取る。
「ありがとうございましたー」
 オレは万感の想いを込めて、二人組に頭を下げた。彼女達はもう行ってしまった。
 嬉しいなぁ。オレの絵が褒められた。例え、子供の絵を褒めるような感覚であってもだ。
「やったな。降旗。オマエのおかげで本が一冊売れたぞ」
 黛サンがオレの肩を叩いた。わかったんだ。黛サンにも。オレの気持ち。そして――色素の薄い目を細めてこう言った。
「わかる人にはわかるんだよ」
 そっかぁ……でも、いつもいつもそう上手く行くとは限らないし、オレにはバスケもあるし。
 即売会に行くのは、これで最後にしよう。そうそうサボってもいられない。オレは、やっぱりバスケの方が好きだから。黛サンみたいに器用に二足の草鞋を履くことなど、出来はしない。
 赤司がさらさらとスケッチブックに絵を描いている。
「赤司……何でこんなところで絵描いてんの? ――上手いけど」
「ありがとう。これはスケブって言うんだ。頼んでくれたお客様の為に描かせてもらっているんだよ」
 赤司は、何だか変わった気がする。いい方向にだ。描かせてもらうだなんて――昔の、もう一人の赤司だったら、描いてやるから土下座しろ、ぐらい言いそうなものなのに……。それはもう一人の赤司に対して失礼か。
「赤司様。今日はあなたにお会いできてラッキーでした」
「オレもちょっと骨休めがしたくてね。はい、スケブ」
「ありがと……ございます……」
 その娘は泣いてしまった。
「――泣くのはおよし。光樹、ティッシュあるかい? ――ああ、ポケットティッシュがあったね。これで涙を拭いてくれ給え」
「ありがとうございます。ありがとうございます」
 その人は何度も頭を下げながら売り場を後にした。赤司はファンが多いよなぁ。さっきのスケブの林檎たんも可愛かったし。色までつけてたし。
 あ、林檎たんって……赤司や黛サンが言ってたのがうつったかな。
 でも、珍しい経験が出来て、良かったなぁ。
「あー、オマエら。何でここにいんの」
 そう言ったのは灰崎であった。――何か、会うような気はしてたんだよね……。
「おっ、黛サンじゃん。おひさ~」
「やぁ」
「赤司に降旗、オマエらただのバスケ馬鹿じゃなかったんだな」
「いや、オレ達はバスケ馬鹿だよ。今日は手伝いに来ているだけで、滅多には来ないんだ。オレはやはりバスケの方が好きだからね。それより、またサボってんのかい? 灰崎は」
「まぁね。――あ、一部買ってやるから、オレとここで会ったこと、虹村には言うなよ」
 赤司はクスッと笑って、わかった、と答えた。

後書き
降旗クンは、きっとあったかい絵を描くんだろうな、と勝手に思ってます。
それにしても灰崎と同人誌即売会はちょっと意外な組み合わせかな、と思いました。
2019.08.25

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