ドアを開けると赤司様がいました 39

「あ……う……」
 オレは焦った。まさか、お付き合いのお誘いなんて――。
 しかも、キャンパスのマドンナと呼ばれる超美女から。
「ちょ、ちょっと待って。オレ、今、ちょっと……」
「返事は明日まで待ってます!」
 そう言って彼女は走り去っていった。
 ――こ、これって、まずいかな。でも、オレはちょっと得意になっていた。いけないことだとはわかっていても。オレは――人気者なんだ。女にも、モテるんだ。モテるのは赤司だけでなく、オレもそうなんだ。
 悪いことだとは思っても、オレは、調子に乗っていた。けれども……明日までには結論を出さなければいけない。
 ――赤司がいなかったら、オレはすぐに快諾の返事を出したかもしれない。一週間でも、憧れの彼女の彼氏になれたなら――。
 でも、待てよ? これって、レンタル彼女? でも、オレ、赤司のことで手一杯だからなぁ……。
 赤司はああ見えて、結構嫉妬深い。赤司にこの話を聞かせたら、いい思いはしないだろう。
「……へへっ」
 思わずニヤついてしまう。彼女はすごい美人だった。肌も綺麗だったし――。
 勿論、赤司も肌は綺麗だけど――いい匂いもするし。
 オレ、やっぱり付き合うなら女性の方がいいかも。例え、一週間だけでも。
 そんなことを考えてしまうオレは、やっぱりノンケなんだろうか。
 上の空で電車に乗って帰って来た。東京でぼーっとした顔で歩いて、何事もなかったのは幸いだったかもしれない。
「ただいま。あれ? 赤司――遅くなるんじゃなかったの?」
「おかえり。それがねぇ、皆が協力してくれたから嘘の様に用事が早く片付いたんだよ。やはり、人の力というのは凄いね」
 そう言って、赤司がいつものように笑顔で出迎えてくれた。今まで本を読んでいたらしい。
 ズキン。
 罪悪感で胸が痛んだ。オレは、この男を、裏切ろうとしている。
 ううん。一週間だ。一週間だけ、憧れのマドンナとデートすることが出来たなら――。
「赤司……」
「どうしたんだい? 何だか――複雑な表情だね」
「うん。あの……オレ、告白された」
「ふぅん、で?」
 赤司の表情が能面のようになる。白い細い指が本のページを繰る。
「一週間だけ、付き合ってくださいって、言われたんだけど……」
「誰だい? その相手は。男かい? 女かい?」
「女の人だけど――」
「やっぱりね。キミはノンケだからね。名前は? 言いたくなければ言わなくてもいい」
 赤司の物言いには、命令するような響きがある。オレは、その彼女の名前を言った。――赤司が考え事をしている。
「――ふぅむ……」
 そこには嫉妬の影はなかった。むしろ、自分達にとって、何が一番いいか考えているようで――。赤司が女性だったら、とオレは思った。赤司が女性だったら、そんなキャンパスのマドンナの告白も即座に断ったろうに。
「キミは、その女性が好きなんだね?」
「え? あ、うん、まぁ……告白されて悪い気はしないね」
 ――オレは、赤司が怒ると思った。けれど、赤司はしばらく考え込んでいるままだった。何だろう。変な赤司。怒られることも覚悟してたのに……。
「その女性のことはよく知っている。受けるといい。光樹。――そりゃ、少しは面白くないけれどね」
「赤司!」
「どうした? オレが嫉妬に狂わないからって、計算が違ったとでも言うのかい?」
 赤司がくすりと笑った。
「う――そりゃまぁ……」
「大丈夫。彼女の人柄についてはオレが保証する。いつぞやの、あの、リリィとかいう女とは人間の出来が違う」
「赤司の知り合いなの?」
「幼馴染なんだ」
 ――そっか。
 でも、幼馴染だからって、オレを売るようなこと、しなくてもいいのに……赤司のことも疑ってしまうよ。いつかのあの告白は嘘なのかと思って――。勿論、美女に告白されて有頂天になっていたオレにも責任はあるけれど……。
 赤司は、何だかほっとしたように見える。
 何だい何だい。赤司の馬鹿。どんな上等の女相手でも、競って恋人は自分のものにするのが赤司征十郎という男だったんじゃないのか!
 あれ? オレ、赤司に妬いてもらいたがってる――?
 それなのに、赤司は、またいつも通りの赤司に戻って――それが面白くないなんて……。
 心臓に穴が開いたような気分になった。その穴を冷たい風が吹き過ぎて行く――。
「わかったよ。赤司。――承諾の返事を出すよ」
「うん」
 赤司はまた本に戻って行った。――オレはそんな赤司を一瞥して、シャワールームへ入って行った。

 彼女とは、駅で会った。
「降旗君」
「あ、やぁ……おはよう……」
「朝から降旗君に会えるなんて、素敵な偶然ね」
「偶然とか――そういうの、信じる方?」
「ええ、まぁ……あ、返事は歩きながら、ね」
 オレとマドンナは並んで歩いている。オレは、大学のキャンパスのマドンナと歩いてるんだぞ。そう言いたい気持ちが溢れてくる。こんなラッキーなシチュエーションは、オレの人生にはもうないかもしれない。
 赤司征十郎? ふんだ。あんなヤツ。結局はオレをこの女性に押し付けたんだ。だったら、少しぐらい楽しんだって。
 オレは彼女を見た。彼女のロングヘアーがさらっと鳴る。
 う……ドキドキする……。でも、言わなきゃ。
「一週間だけだったら、いいよ」
 ほんとは一週間以上でもいいんだけど。
「降旗君……嬉しい」
 彼女は、はんなりと笑った。けど、オレ達は何も内容のない話をしながら、大学へ行く。
 彼女はオレといて退屈ではなかったのかな。ずっと微笑んでいたけれど――。オレは、ますます内容のない話をする。
 ――オレは、講義中もぼーっとしていた。確かに、それはいつものことだけれど。
 オレは――あの美女に告白されたんだよ、ね。
 オレは長い黒髪の美女のことを考えていた。そして――赤司の顔が脳裏に浮かんだ。
 ぶんぶんぶん。――オレは勢い良く首を横に振る。
 何で赤司の顔が出てくるんだ。赤司との恋が実ったとしても、この国では結婚出来ないんだぞ。渋谷では「同性パートナー条例」が認められたけれど――。新聞で読んだんだ。
 バスケ部に行くと、あの娘が待っていた。
 手を振ると、彼女も笑って応える。「いいなー」という声や、焼きもちを孕んだ視線がこちらに突き刺さってくる。でも、いいんだ。そういう覚悟で練習に臨んだんだから。部活が終わると、彼女はオレの元に駆け寄って来た。
「降旗君。すごい活躍してたね」
「あ、あはは、そうかな……赤司が相手してくれてたから――」
「そっか。赤司君と暮らしてたんだよね」
「そう、そうなんだ……」
 彼女がすっと手を差し出す。――ああ、そういうことか。オレは彼女と手を繋いだ。
「このまま、私とこの庭を横切って」
「はい……」
 オレはドキドキしながら彼女の手を握る手に力を込めた。彼女は驚いたようにオレを見たが、また微笑んだ。――極上の美女じゃないか。この人は……。何で、今まで注意して見なかったんだろう。
 オレは、赤司を裏切っているという気持ちも忘れた。――オレは彼女の連絡先を教えてもらった。
 これは――嘘なんかでは決してない。
 何で降旗があのキャンパスのマドンナと――そう言われていることも知っている。季節外れの四月バカじゃね? ――そんな失礼なことを言っているヤツがいるのも知っている。
 けれど、これは夢でも、嘘でもない。夢だと言われても、こんないい夢ならずっと覚めたくない。
 この時、オレはある種の現実逃避をしていた。
 ――赤司のことだ。
 はっきり言おう。オレは――赤司といた方が楽しい。
 ドキドキしていた時は、胸のときめきの方が勝ったけれど、ふと我に返ると――赤司のことを考えているオレがいる。
 オレは、最低かもしれない……。
「駅まで送るよ」
 オレは言った。だけど、送り狼にはとてもなれそうもない。
 その時、彼女の顔がアップになって――。
 オレの唇は彼女の唇と合わさった。

後書き
なんと! 降旗クンと女性のキスシーン!
しかも女性の方から?! 降旗クン、モテ期です!
2019.07.23

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