ドアを開けると赤司様がいました 32

「このオレが――恋をしたことがない、だと……?」
 赤司が目を瞠った。
「それか、お母さんが初恋だったとか」
「――確かに母は素敵な人だった。だが、恋とかそういうのとは……」
 赤司がおろおろしている。
 オレは箸を持つ手を止めた。ハンバーグの風味をもっと味わいたかったが、それどころではない。
 赤司は――恋をしたことがない。だって、相手から寄って来るんだもん。よりどりみどりだよな。――でも、そんなヤツに限って恋に疎かったり、恋愛感情をはき違えたりするんだよな。
 オレは……どうなんだろう。
 赤司と違ってモテたためしはない。でも、そんなオレを赤司は魅力的だと言ってくれた。リップサービスにしては真剣な響きがこもっていた。
 オレも――恋を知らない男かもしれない。カントクはオレの資質を見抜いてくれた稀有な女性だが、カントクには日向サンがいるから……。
「……光樹。オマエを愛している」
 オレもだよ。赤司。アンタが好きだった。愛しているとさえ思ったこともある。でもそれは、ただ単にこの五か月間一緒にいたからではないのか?
 ――違う。
「その……家族としての愛ではなくて……これは、恋なんだ……多分初恋だ……」
 オレは赤司をじっと見ていた。
「どうして見ているんだ」
「いや……オレもそうなのかな、と思って……オレも、赤司が初恋かな、と……」
「光樹……」
 柔らかな空気が辺りを満たし始めた。こんな幸福感は、今までになかったかもしれない。いや、バスケをしている時なんかも幸せだけど、幸せの質が違うんだ。
「オレも……愛してましゅ……」
 いけね。噛んじまった。大事なところで。赤司はふふっと笑った。
「可愛いね、光樹も。オマエもオレを可愛いと言ってくれたけれども……」
 ただ、天帝様からの『愛してる』という言葉は、オレみたいなチワワ青年には些か刺激が強過ぎた。
 ……赤司はオレのどんなところを気に入ったんだろう。
 訊いてみたいような気がしたが――辞めた。
「お前といると――世界がきらきらしていた。母さんが生きていた頃みたいに。確かにオレは母が初恋だったかもしれない。けれど、母には父がいたし……それに、どの道もう亡くなっているから――」
「赤司。赤司のお母さんは、きっと天国から赤司のことを見守っているよ」
「ありがとう。――神様を信じるなんて、柄じゃないけれどね。昔はむしろ、自分が神のように思っていたよ」
 ああ、あの、もう一人の赤司か。確かにあの赤司は神がかっていた。偉そうだし、中二病っぽかったし、今の赤司とは全然違うけれど――。
 確かにあの赤司も赤司だったのだ。だから、オレは――目の前の赤司ごと、あの赤司を心の中で抱き取る。
 ――ありがとう。
 声がした。赤司の声だった。きっと、もう一人の赤司だ。もう一人の赤司は、まだ消えてはいない。きっと赤司を見守っている。今も。
「デートが家でコンビニ弁当というのは、寂しいけれどね」
 赤司は冗談を言ったらしかった。
「いいじゃない。俺ら、勉学に打ち込む貧乏学生だろ?」
「キミが倹約家なだけじゃないのかい? でも、確かに金の無駄遣いは厳禁だよね。オレらは確かに学生なんだから――ねぇ、光樹。その……キスしてもいいかい?」
「ダメ」
 オレは言下に言い放つ。赤司はふふっと笑った。
「はっきりしてるなぁ、もう――でも、そういうところもオレは好きだよ」
「こういうことは段階を踏まなきゃダメだよ」
 赤司が笑い出した。――何がおかしいと言うのだろう。オレが口をへの字にしていると。
「ごめん、ごめん、そうだった――オレは、順番がめちゃくちゃだったから……オレが童貞でないのは知ってるよね」
「……だと思う。アンタいい男だから」
「ありがとう。けれど――初恋は……やっぱりキミかもな……」
「オレは、恋が叶ったことはないけれど……赤司が相手だったら、ゆっくり近づいて行こうと思うんだ……」
「オレも、オマエが相手なら何年でも待てるよ。じゃあさ――額と額を触れ合うのならいいかい?」
「そういうことなら――」
 オレは赤司の額に額をこつんとやった。何となく、幸せの感触がした。ああ、オレも――赤司のことが好きだったんだな、とその時思った。赤司がLGBTなら、オレだってそうだ。
「お風呂はどうする?」
「――入る」
「じゃあ、先に入っていいよ。オレは――どうせ今日は眠れそうにないから」
「うん」
 ――オレは、傷には響かないようにだけど、体の隅々まで清潔に洗い流した。あの不良どもに「潮くさい」と言われたのが何となく気になったのだ。赤司は潮くさいオレ嫌がるヤツじゃないだろうけど――。それと、医者からもらった薬も塗った。
 風呂から上がると、赤司が雑誌を読んでいた。
「何読んでんの?」
「ああ。写真集。暇つぶしに読んでた」
「どれどれ……」
「わっ!」
 赤司がびっくりしてる。普段はオレの方がびっくりさせられてるけど。
「――驚かせないでくれ給え」
 そう言って、赤司はまた本に戻った。――あ、そうだ。
「赤司。お風呂あがったよ」
「わかった。今入るよ。……いい匂いだな。光樹」
「高いボディソープを誰かさんが買って来るもんでね」
 オレは少々皮肉を込めて言ってやった。赤司がにやりと笑った。
「このメーカーの好きなんだ。肌にも優しいよ」
「ふうん。――じゃあ広告塔になってやれば?」
「そうだな。それもいいかもしれないな――入って来るよ」
 赤司がバスルームに入った後、オレは雑誌を取り上げた。――旅行雑誌か……。いろんな国があるなぁ。……眠くなったオレはくぁ~あと欠伸をした。眠い。部屋に戻って寝よう。
「光樹~」
 ――何だろ。
「なーにー? 赤司」
「バスタオルを忘れてしまった。取って来てくれ」
 へぇ……赤司がそんなポカやるとは珍しい。確か乾いたタオルがあったはずだな。
「はい、赤司」
 ドアの間からにゅっと手が出る。
「ありがとう」
 ――そして、シャワーの音。こういうこともあるから、もう少し起きててやっかな……。

「――き、光樹……」
 赤司の声が聞こえる。オレはまた寝落ちしてしまったらしい。
「……わっ、赤司……!」
「今日は見逃してあげる。けれど、今度またこんなところで寝ていたら、オレはキミに手を出すと思え」
 オレは怖くなってコクコクと頷いた。そういえば、前にこんなことがあったような――。オレがこの家に来た日、つい眠くなってここで寝てしまったのだ――思えば随分危ない橋を渡ったものだ。
 覚悟はしている。だけど、やっぱり怖い……。それはオレがチワワメンタルの持ち主だからか。
 でも、こんなところでこうして寝ていられるということは、オレもそんなに赤司のこと警戒してない、ということかな――。
「じゃあ寝よう。キミはオレの寝床で寝るつもりはないよね」
「――まぁね」
「では仕方がない。オレは独り寝で我慢しよう」
 ……いつも一緒の部屋に寝ているんですがね。
「キミも寝ないかい?」
「いや……オレはかえって目が冴えた」
「そうか――いつか共寝が出来るといいなと思ってるが――光樹はそう言うのはイヤかい?」
 イヤかどうか――考えてみたことさえなかったもんなぁ……。オレは、あー、とか、うー、とか、唸りながら考えこんでいると、赤司がふっ、と笑った。――何だよ。赤司のヤツ。
「オレはいつでも準備OKだが?」
 準備ってどんな準備だよ! オレはクッションを投げた。赤司はそれを受け止める。そしてヤツは高笑いしながら寝室に入る。
 ――何だい! 赤司のヤツ! オレは今日、いろいろ考えさせられたんだぞ! オレが悪かったんじゃないかとか、オレは赤司を愛してるんじゃないかとか――。
 赤司も事情は同じだと思ってたけど。――赤司はオレより余裕がある。やっぱりこいつがまだ未成年だなんて嘘だ!
 オレは眠気が襲って来るまでテレビを観ていた。そして……再び眠気が襲ってきたので、テレビを消してオレも寝室に移った。
 赤司、もう寝てるよな……。夜這いをかけて来なきゃいいけど……いやいや、赤司は今までも何度かチャンスはあったものの、オレに無理強いはしなかったじゃないか。赤司を信じよう、そうだ。信じよう。――そんなことを考えながら、とろとろしていた。ガタン、と音がした。

後書き
初恋同士、ですね。
初々しい二人を書けて良かったです。赤司様は何か企んでいるようですが(笑)。
2019.07.08

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